『永遠の0』 百田尚樹著
祖母がまだ健在だったころ戦争の悲惨さをたくさん聞かされた。
でもそれは僕にとって苦痛ではなく、むしろもっともっと聞きたかった印象が残っている。
現実味を帯びないその内容は、はるか遠い昔の話をまるでおとぎ話かのごとく興味をそそり、成長するたびに戦争の実態を深く考えさせることになる。
かつての戦争にはさまざまな意見があると思う。
善悪の議論はいったんおいて、純粋な気持ちで本書を読むことを勧めたい。
ピュアな心で物語に入り込むからこそ、あの戦争の悲惨さが理解できるだろう。
六十年前の戦争。
事実はたった一つ。
それは、自分の祖父、祖母が力強くこの時代を生き抜き、今の自分たちがあるのだ、という事。それ以外の何ものでもない。
僕は戦争を経験していない。もちろん参加もしていない。
それは幸せな事だと思う。
でも、この時代に儚くも亡くなった人たち、そして必死に戦い生き抜いた人たちの上に、僕は存在していると思うと涙が溢れてきた。
「必ず生きて妻のもとへ帰る」日本軍敗色濃厚な中、“生”への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」と蔑まれた一人のゼロ戦パイロットがいた。
人生の目標を失いかけていた青年・佐伯健太郎とフリーライターの姉・慶子は、太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べ始める。祖父の話は特攻で死んでいったこと以外、何も残されていなかった。
元戦友たちの証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿は、健太郎たちの予想もしないものだった。凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、生に執着する戦闘機乗り、それが祖父だった。
「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた男は、なぜ特攻に志願したのだろうか? 健太郎と慶子はついに六十年の長きにわたって封印されていた驚愕の事実にたどりつく…。
宮部久蔵は架空の人物であり、本書もフィクションだが実在した撃墜王、岩本徹三、西澤広義、坂井三郎といった人物が登場しフィクションとは思えないほどのリアリティを醸し出している。
また、宮部をはじめとした人物の思いも、圧倒的な臨場感で迫ってくる。
「敵を何機墜としても、一度でも墜とされたら、それでおしまいです。」
当然と思える考え方ですが、それが当然とされなかった組織・時代があったのだと。
ともすれば特攻が美化されることもある中、本当に特攻隊員が考えていたことは何か?
そして日本軍の失敗はなぜ起きたのか?
真の教訓が描かれているような気がしてならない。
日本が活力を失っている今だからこそ、その教訓に深く心を抉られる。
こんなに心が引きつけられるのは、宮部さんの人柄でなのであろう。
目下の者にも丁寧な言葉を使い、決して傲慢にならない。
臆病者と言われても、生きて帰ると言った妻との約束を貫こうとする。
大変厳しい状況の中にあっても信念を変えない。本当の意味で強い人だ。
また「特攻隊はテロ、今で言うイスラム教の自爆テロと同じ!」と断罪する新聞記者には、こんな奴らが戦後の日本では文化人と称賛され思想の中心だったことに哀れみを感じるし、「あの戦争を引き起こしたのは、新聞社だ」という戦友の指摘は現代のマスコミ社会そのものであり、何一つ変化することなく、組織に対する盲信は現在の状況を暗示している。
そして、特攻隊とテロリストを同一と考える非情な愛国者を祭り上げる世の中こそまさにテロ国家なのだ。
それでもこの小説は面白い。何故だろうか。
解説で、児玉清氏が書いているように「心を洗われる感動的な出来事や素晴らしい人間と出逢いたい」という私たちの真の願望を、見事に叶えてくれたからかもしれない。
登場人物が善人で純粋な人ばかりで、現代では考えられない人の言動や思考が表現されている。
そんなバカな!と突っ込みたくなりつつも気持ちよく読み進める。
PS.そもそも当時の軍人はあの戦争のことを太平洋戦争ではなく、大東亜戦争と呼んでいたはず。
でも書けないのだろうな。言論の自由とはいえ、クレームが来そうだものな。
祖母がまだ健在だったころ戦争の悲惨さをたくさん聞かされた。
でもそれは僕にとって苦痛ではなく、むしろもっともっと聞きたかった印象が残っている。
現実味を帯びないその内容は、はるか遠い昔の話をまるでおとぎ話かのごとく興味をそそり、成長するたびに戦争の実態を深く考えさせることになる。
かつての戦争にはさまざまな意見があると思う。
善悪の議論はいったんおいて、純粋な気持ちで本書を読むことを勧めたい。
ピュアな心で物語に入り込むからこそ、あの戦争の悲惨さが理解できるだろう。
六十年前の戦争。
事実はたった一つ。
それは、自分の祖父、祖母が力強くこの時代を生き抜き、今の自分たちがあるのだ、という事。それ以外の何ものでもない。
僕は戦争を経験していない。もちろん参加もしていない。
それは幸せな事だと思う。
でも、この時代に儚くも亡くなった人たち、そして必死に戦い生き抜いた人たちの上に、僕は存在していると思うと涙が溢れてきた。
「必ず生きて妻のもとへ帰る」日本軍敗色濃厚な中、“生”への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」と蔑まれた一人のゼロ戦パイロットがいた。
人生の目標を失いかけていた青年・佐伯健太郎とフリーライターの姉・慶子は、太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べ始める。祖父の話は特攻で死んでいったこと以外、何も残されていなかった。
元戦友たちの証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿は、健太郎たちの予想もしないものだった。凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、生に執着する戦闘機乗り、それが祖父だった。
「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた男は、なぜ特攻に志願したのだろうか? 健太郎と慶子はついに六十年の長きにわたって封印されていた驚愕の事実にたどりつく…。
宮部久蔵は架空の人物であり、本書もフィクションだが実在した撃墜王、岩本徹三、西澤広義、坂井三郎といった人物が登場しフィクションとは思えないほどのリアリティを醸し出している。
また、宮部をはじめとした人物の思いも、圧倒的な臨場感で迫ってくる。
「敵を何機墜としても、一度でも墜とされたら、それでおしまいです。」
当然と思える考え方ですが、それが当然とされなかった組織・時代があったのだと。
ともすれば特攻が美化されることもある中、本当に特攻隊員が考えていたことは何か?
そして日本軍の失敗はなぜ起きたのか?
真の教訓が描かれているような気がしてならない。
日本が活力を失っている今だからこそ、その教訓に深く心を抉られる。
こんなに心が引きつけられるのは、宮部さんの人柄でなのであろう。
目下の者にも丁寧な言葉を使い、決して傲慢にならない。
臆病者と言われても、生きて帰ると言った妻との約束を貫こうとする。
大変厳しい状況の中にあっても信念を変えない。本当の意味で強い人だ。
また「特攻隊はテロ、今で言うイスラム教の自爆テロと同じ!」と断罪する新聞記者には、こんな奴らが戦後の日本では文化人と称賛され思想の中心だったことに哀れみを感じるし、「あの戦争を引き起こしたのは、新聞社だ」という戦友の指摘は現代のマスコミ社会そのものであり、何一つ変化することなく、組織に対する盲信は現在の状況を暗示している。
そして、特攻隊とテロリストを同一と考える非情な愛国者を祭り上げる世の中こそまさにテロ国家なのだ。
それでもこの小説は面白い。何故だろうか。
解説で、児玉清氏が書いているように「心を洗われる感動的な出来事や素晴らしい人間と出逢いたい」という私たちの真の願望を、見事に叶えてくれたからかもしれない。
登場人物が善人で純粋な人ばかりで、現代では考えられない人の言動や思考が表現されている。
そんなバカな!と突っ込みたくなりつつも気持ちよく読み進める。
PS.そもそも当時の軍人はあの戦争のことを太平洋戦争ではなく、大東亜戦争と呼んでいたはず。
でも書けないのだろうな。言論の自由とはいえ、クレームが来そうだものな。