店長スペシャル

人生は心に想い描いた通りになる。ゴールデンルールの道。

スピードの果て

2009-02-26 18:40:24 | Weblog
スピードの果て 近藤史恵著(yom yom vol.9より)
車を運転中、自転車レーサーが脇に近付くと、“歩道走れよ!”といつもうざい気持ちになっていた。でも彼らからすると歩道を走る事自体が無意味なのである。ちょっとした段差でパンクするし、スピードすら出せない。この作品はレーサーからの視点でかかれており、いかに公道で練習することが危険なものか分からせてくれる。ロードレーサーなりの理屈が見えた気がした。前作、ロードレーサー小説「サクリファイス」で、脇役だった伊庭がこの短篇では主人公となっている。相変わらず孤高の自転車乗りだが、意外な性格も描かれていて痛快だった。やはりロードバイクの世界を描かせたら、この著者はうまいなぁ。想像力がリアルを凌駕していく文体って好きなのだよね。でも主人公は将来必ず世界のトップになるのだろう、という期待を読者にうえつけ、敵から勝ち抜くにはさまざまな試練(イジメ)を乗り越え、何もかも捨てなければならない孤独簑を教えてくれた。性格はともかくとしても、妹と両親の微妙な関係も教えて欲しかったな。

ポトスライムの舟

2009-02-21 19:11:28 | Weblog
ポトスライムの舟 津村記久子著
 実は、僕が読んだのは単行本ではなく、文藝春秋の三月特別号。
主人公の女性は工場で働く契約社員。手取りは十三万円余り、厳しい生活ながら世界一周旅行を夢みて明日への希望を失わない。現代の“今”にピッタリな作品で、経済危機も悪いことばかりではないと思わせる。突拍子もないストーリーより日常のさりげない事柄や瞬間などで人間が必死に時代に合わせて生きていく姿が共感を生んだのだろう。最近の芥川賞受賞作ってこういうパターン多いよな。でも、関西弁の会話を活字で読むことが僕にとっては困難だった。特有のイントネーションで表現が異なってゆくから少々疲れてしまった。主人公をカタカナで表すあたりも…。でもなんか著者に魅かれる。たぶんもの凄く性格良い女性なのだろうなぁ。

みちたりた痛み

2009-02-20 19:25:35 | Weblog
みちたりた痛み 甘糟りり子著
「いろいろな物事を手にすればするほど、強烈な飢えが湧いてきた」。のし上がる男、堕ちていく女、金に飽いた女、老いていく男…東京の街で出会い、別れ、再会する男女が繰り広げるせつない物語。テーブルの上を行き来する、恋と野心と死の予感と―。実在するレストランの名を冠した連作短篇8編を収録。
昔読んだ「伊勢物語」思い出しちゃたな。文明社会が作り出した環境さえ違いはあるけど、現代も平安時代も男女間の欲望は大差ないだなって。僕は物欲も心欲も同一と考えているから、なおさらそう思えてしまった。豊かでない人の心は必ず豊かではない。何もかもを手に入れた。でもまだ何かが欲しい。自分がいったい何が欲しいのかさえも分からない。でも、何かが欲しい。他人には贅沢に聞こえるけど、当の本人は疼きまくっているのだろうね。みちたりているけど、襲ってくる孤独感。だから「みちたりた痛み」なのでしょう。男女の酷い本音のぶつけ合いは、甘糟りり子は天下一品だな!

蚊トンボ白鬚の冒険

2009-02-17 12:20:44 | Weblog
蚊トンボ白鬚の冒険 藤原伊織著
 心臓疾患で陸上をあきらめ、無気力な日々を過ごす若い水道配管工である主人公達夫は、頭の中で羽音を聞く。その正体は白髭(シラヒゲ)と名乗る蚊トンボで、宿り主の筋肉を自在に操る特殊な能力を持つ。シラヒゲの力を借りてアパートの隣人・黒木の窮地を救うのだが黒木はヤクザに追われる身。達夫も巻き込まれるがシラヒゲと協力して悪党に立ち向かう。設定の面白さに引き込まれ、達夫とシラヒゲの会話もテンポが良く、心に何らかの傷を負った個性のある登場人物が叙情豊かに描かれていて、楽しく読める一冊。毎回同じ様な枠組みでありながらも作者が工夫しているのは、主人公の設定にある。「テロリストのパラソル」や「てのひらの闇」ではアルコール依存型の主人公と設定が似ていたが、今回の主人公は、飲酒もまだ覚えていない水道職人の若者で、学歴や学問的知識には乏しいが、理解力、解釈力に富んだ、潜在的な聡明さを持つのが特徴である。その上、頭の中に蚊トンボがいつの間にか住みついてしまい、その結果、スーパーマン的パワーまで備えてしまったことで、物語の冒険性が格段に飛躍している。突拍子もない設定だが、不自然でなく展開していくのは、作者の筆力であろう。孤独でタフな主人公、謎の多い脇役、妙に義理堅く味のあるヤクザ、率直すぎるほど率直な女性、などは藤原作品ではおなじみの形。しかし敵役のカイバラは若干異質かもしれない。「壊れた」サイコキラー。今までの作品では馴染みがない。そして、登場人物がみな、「家族」の縁が薄いのも、藤原作品のひとつの特徴かもしれない。僕がこの作品で一番好きになった主人公達夫。黒木の居場所を卑劣な手段でヤクザに問われるが、口を割らない。「居場所は言わないって奴と約束したんだ。もうこれは俺自身の問題なんだ」日本の20才の青年がみな達夫のようだったら、この国の未来はどんなに明るいだろう。わずか3日間の出来事。スピード展開の割には1ページ1ページ心に染みた。

祖母のゆんたく (パート5)

2009-02-15 19:01:57 | Weblog
祖父は戦前に南米のペルーで新聞会社の社長をしていたらしく、当時の事をよく話してくれた。

だからペルーなんて行ったことないけど、なんか懐かしい国のように思える。

午後3時頃になると祖父は食パンを2枚焼いて間に焼き魚を挟んで食べる。
サンマやサバ等。そして、飲み物は決まって紅茶。コーヒーじゃなくて紅茶だったんだ。

僕が欲しそうに見ていると、「半分たべるか?」と言って、包丁で切って僕に差し出す。やさしい祖父なのだ。

パンに魚を挟んで食べるというのは南米では常識らしい。

そういえば祖父は圧倒的にパン派だったなぁ。
仲睦まじい祖父との幸せなひととき。

だがその光景をみている祖母は突然こうきり出す。

「おい!今そんなの食べると夕飯食べれないだろう!」

と言って僕の取り分を自分の口に放り込む。

「まぁ、いいじゃないか」と言う祖父に対して祖母は笑いながら横にある紅茶を半分コップに入れてこう言う。

「紅茶飲みなさい。紅茶はのどを殺菌してくれるから」

訳の分からないことを強制して理解させ、がまんして熱い紅茶を飲み、僕は喉が痛くなる。

学校から帰るとたまに祖母と祖父でうどんを食べている光景に出くわす。
出前で頼んだものだろう。でも僕はうどんを食べることは許されず、祖母が麺類を食べ、残った汁にご飯をいれたものを食べるのだ。

たまにはうどんを食べてみたい欲求にかられるが、
「うどんは大人にならないと食べちゃいけないんだよ。麺が細長いから首が長くならないとダメなんだ!」って。首を長くするには紅茶を飲みなさいってよく言ってた。

訳の分からない上また紅茶かよ!当時は、どうしてもうどんを食べたくて首を長くして待っていたなぁ。シャレでも何でもなく事実だよ。でも、残った汁にごはんを入れて食べるのは意外と美味かったな…。


祖父がペルーに住んでいた時に終戦を迎えたから、アメリカのテキサスの収容所で過ごした時期があったらしい。

今から約15年ぐらい前に、その日本人に対してアメリカが倍賞責任を履行してくれる事になり、父が“大金が入る”なんて騒いだ時期もあったけど、祖父は27年前に亡くなっていたから金は支払われなかった。

その時も祖母は一人で悔しがっていたな。

テキサスの収容所から大船で日本に帰ってくる途中、収監されていた日本人の大半はフィリピンで降ろされたらしい。

運よく、祖父と親戚一同は船に乗り帰国することができたが、大半の日本人はそのままフィリピンに在中を余儀なくされた。

そう考えると僕もフィリピン人として生まれた可能性もあったのだ。

怖い怖い!   つづく…。

架空の球を追う

2009-02-15 17:47:40 | Weblog
架空の球を追う 森絵都著
 大ファンである彼女の作品は新刊で購入する。オール読物で連載されていたのは知っているけど、必死で我慢して待っていた。日常のふとした瞬間を捉え、人の心の機微を細やかにそしてユーモラスに描き出した珠玉の短編集。「架空の球を追う」タイトルから魅かれまくり、語一句大切に読みたくなる。大切なメッセージがあるわけではないが、女性のいろいろな人生へのやさしい眼差しから放たれる笑みが読み手を愉快にさせる。
『架空の球を追う』 スポーツ指導者が教え子に技術を演技で教えるのは不可能。確実に実践で伝えるべき。じゃないと馬鹿馬鹿しく映る。少年野球チームの熱血コーチの指導にもかかわらず、ナメて遊んでしまう野球少年達をスタンドで見つめるもっとナメナメのヤング・ママたちを傍から眺める光景はいささか気分が安らぐかも…。
『銀座か、あるいは新宿か』 年に数度定期的に飲み会を開き飲みまくって愛や恋や家庭や不倫やさらには新宿・銀座の有利不利までなんでもかんでも議論してしまうアラフォー近づく三十路のヤング・ミセスたちは、久し振りの再会であっても、自分自身の身近な環境や出来事の最近話で盛り上がるのは現実味があるし爽快。“東金をなめんなよ”は笑った。
『ハチの巣退治』 本当に嫌な事は想像するにも嫌悪を感じるが、実のところ意外と誰にでもできて簡単な結果に終わることもある。車の運転なんて教習所通っている時は、本当に運転免許取得できるのか?なんて思うけど取得した後は、なんだ簡単だったな、なんてね。
『パパイヤと五家宝』 以前料理にはまっていた時期があったが、自分が作る料理よりも他人のスーパーの籠の中身観察をよく行っていた。単純に面白かった。
『夏の森』 この作品は好き。幼い頃の記憶の香りって必ずある。僕は夏の夕方の匂いや感覚がいまだに脳裡に焼きついているので自然な森の香りを感じてしまった。
『ドバイ@建設中』 結局のところ自分を偽ってでも相手に好かれたい、というのは限界あるのかなぁ~。所詮恋愛なんて全てそれで始まるように思えるけど。自分自身を隠してまで、と人は言うけど、世の中の離婚の原因は全てをさらけ出した一方から始まるのでは…。女性がキレて関係に終止符を打つが、対向した男性と最後にハッピーエンドで飾る描き方は著者ならではのもの。山本文緒ならこうはならない。
『あの角を過ぎたところに』 タクシー運転手の大半は転職者が多いなぁ。読み終わった後、くよくよしている自分を叱りたくなった。奥さんが東南アジアの人なのがご主人の人生を表している気がした。
『二人姉妹』 昔付き合っていた彼女との事を思い出した。渋滞の車の中で大ゲンカ後、暫し続いた沈黙中、突然目の前の上空にUFOが出現した。異常な速さと光明で上下を繰返し移動する。すぐにUFOだと確認できたがケンカ最中なのでお互い何も語らないまま…。後日この話を彼女にすると「やっぱりそう思っていた!?絶対UFOだよね!」なんて事を…。
『太陽のうた』 難民キャンプで数十年家族を守り続けながらもひっきりなしにやってくるNGOスタッフやジャーナリストの正義の味方ヅラした上から目線に抗して尊厳を守り続けようとする30代の老婆と呼ばれるママがいての話。紫のボタンに手をのばす場面は特にいい!
森絵都の作品にしては評価低いみたいだけど僕は幸せな気分で読むことができました。みなさんもぜひご覧ください。

月の扉

2009-02-13 19:27:07 | Weblog
 月の扉 石持浅海著
週明けに国際会議を控え、厳重な警戒下にあった那覇空港で、ハイジャック事件が発生した。3人の犯行グループが、乳幼児を人質にとって乗客の自由を奪ったのだ。彼らの要求はただひとつ、那覇警察署に留置されている彼らの「師匠」石嶺孝志を、空港滑走路まで「連れてくること」だった。緊迫した状況の中、機内のトイレで、乗客の死体が発見された。誰が、なぜ、どのようにして―。
ハイジャック事件と、謎の死体。二つの事件を平行して展開していく。読み始めから結構引き込まれハイスペースで進んで行く。犯人側の要求が「釈放」ではなく「連れてくること」が興味をそそられる。だが、視点が定まらない点に気づきだすと、だんだん冷めてくる。ハイジャック中の飛行機のトイレという究極の密室殺人は大変良くできていたが、殺人動機にはあたまが痛くなった。理屈ではわかるがそんな動機って実際あるのか?それを犯人達と乗客のひとりが謎を解いていくのだが、その場面はハイジャックそのものの緊張感を奪い取る。周りの乗客がやたら静かにしているのも不気味。子供を人質に取られた親がスキを見て襲いかかるシーンはあるが、迫力足りず残念。謎を解いている青年はなぜこんな頭が良いのかわからない。そもそも、ハイジャック犯は「月の向こう側」へ行くことが目的なので、逃げようとか生き延びようとか思っていないから緊張感など希薄なのだ。しかも、警察が折れて「師匠」石嶺孝志が解放されてハイジャッカーと対面した後も謎解きを続けるに場面はつまらなすぎた。意味不明。全体的にこの作品は、ハイジャックを書きたいのか、密室殺人を書きたいのか、「師匠」のカリスマ性(全然出てこない)を書きたいのか、焦点が定まらなかった。全てが中途半端である。取り囲む警察陣の描写も中途半端なので、本来緊張感たっぷりのはずの映像を描けなかったところが問題。何がなんでもSATに射殺させようとか、絶対犯人の要求を飲まないとかの緊迫感あふれるやり取り場を見たかったな。

スプートニクの恋人 

2009-02-12 19:01:25 | Weblog
スプートニクの恋人 村上春樹著 
 当初のすみれはほんとうに可愛い。何事にもまっすぐな感じがしていて。彼女に出会ったら、髪をくしゃくしゃとしてしまいたい気持ちになると思う。22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。相手は17歳年上の結婚している女性だった。それがすべてのものごとが始まった場所であり、すべてのものごとが終わった場所だった。7~8年位前に初めて読んで、最近また読み返してみた。1回目の時とはまったく異なった捉え方をしてしまったな。しかしながら共通するのは、凄く共感できるって事。読み手の気持ちが動かされるのだけれど、それを言葉として捉えることがとても難しく、ふわふわしたものをつかまえるのにとても苦労してしまう感覚に似ている。世の中にはどうしようもないことが数え切れないほどあり、僕たちはその中でできるだけ良い結果が返ってくるように尽力するしかない、そしてそれが正しいのかさえも分かりません、という感じの内容が続き、凄く深い内容でありながらも、それを飽きさせずに、納得しながら読ませるところはさすがと言わざるを得ない。だが、その奥にあるものは、喪失、強い力、どうしようもないこと、日々の営み、非力、もがき等、耐えがたい部分も少なくない。読了後さらに辛く、悲しい日々になってしまうかもしれないわけだけど、それでも読めば何かが変わるんじゃないかという気がしてくる。これは、語り手が一人称という技法に読み手が引っ掛かるパターン。簡素な恋愛でもなく、卑猥なセックスでもない。ただ単に純粋な心が恋愛を生み出しただけなのだろう。実際には決して起こる事のない小説ならではの物語。