しばらくの間冷蔵庫の中に入れっぱなしにしておいたハズレのスイカを
切って「どうぞ、きっとおいしいよ、さっき少しだけ味見したら
甘かったよ、ホントだよ、嘘じゃないよ、だまされたと思って
食べてみて」と私、
「エー、ほんとかな?なんか怪しいなあ」と息子、
「よし、オレは食べるぞ、パク、うまいぞ、けっこう甘いよ」と田舎牧師、
「わしも食べてみる、ホントに甘いよ、ちゃんとスイカの味がする、
ちょっと、白っぽいけど大丈夫だ」と勉強人生の娘、
「仕方ない、塩をかけて、オレも食べてみるとするか」と息子、
結果、もうひと皿ハズレのスイカを切ってテーブルに出した・・
みんなパクパクシャリシャリとたくさん食べてくれた、
母にも少しだけ食べてもらった「おいしいよ、甘いよ」と目を輝かせていた、
さて、今日は夕方から大雨・・夕食後、息子とチビ太は雨の中、走りに行った、1時間半後、
びしょ濡れで帰ってきた息子とチビ太はお風呂に入った、お風呂から出てきたチビ太は
自慢げに部屋を練り歩いていた「チョっちゃん、よかったね、兄ちゃんと散歩行って
お風呂にもはいったの」と私「うん、そうだよ」とチビ太、
ところで、あの日からアイスのバク食いをやめて、夕食後、走りに行っていた私は
2キロ体重が落ちた、10月の検診までにあと2キロ落とす予定・・
さて、さて、今日も午後1時半から水曜日のお祈り会へ行きました、3人で心を合わせて
信仰の祈りをささげました、あなたのため祈りました、祈られていることを忘れないで
くださいね、
それではまた明日、イエス様の祝福があなたの上にありますように。
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分より
まさっていると思いなさい。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。聖書、ローマ、12,10-12.
2017,7,26. トマトでした。
切って「どうぞ、きっとおいしいよ、さっき少しだけ味見したら
甘かったよ、ホントだよ、嘘じゃないよ、だまされたと思って
食べてみて」と私、
「エー、ほんとかな?なんか怪しいなあ」と息子、
「よし、オレは食べるぞ、パク、うまいぞ、けっこう甘いよ」と田舎牧師、
「わしも食べてみる、ホントに甘いよ、ちゃんとスイカの味がする、
ちょっと、白っぽいけど大丈夫だ」と勉強人生の娘、
「仕方ない、塩をかけて、オレも食べてみるとするか」と息子、
結果、もうひと皿ハズレのスイカを切ってテーブルに出した・・
みんなパクパクシャリシャリとたくさん食べてくれた、
母にも少しだけ食べてもらった「おいしいよ、甘いよ」と目を輝かせていた、
さて、今日は夕方から大雨・・夕食後、息子とチビ太は雨の中、走りに行った、1時間半後、
びしょ濡れで帰ってきた息子とチビ太はお風呂に入った、お風呂から出てきたチビ太は
自慢げに部屋を練り歩いていた「チョっちゃん、よかったね、兄ちゃんと散歩行って
お風呂にもはいったの」と私「うん、そうだよ」とチビ太、
ところで、あの日からアイスのバク食いをやめて、夕食後、走りに行っていた私は
2キロ体重が落ちた、10月の検診までにあと2キロ落とす予定・・
さて、さて、今日も午後1時半から水曜日のお祈り会へ行きました、3人で心を合わせて
信仰の祈りをささげました、あなたのため祈りました、祈られていることを忘れないで
くださいね、
それではまた明日、イエス様の祝福があなたの上にありますように。
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分より
まさっていると思いなさい。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。聖書、ローマ、12,10-12.
2017,7,26. トマトでした。
すごいですね、その無駄を省くコツを
ぜひ私も学びたいです、
今はまだ家族が多いので必死で、作ったり
洗ったりばかりしています、
今は、手をかけることが節約になって
います、
今年の桃はおいしいですよ、たまには
食べてみてください、うちの娘たちは
皮をむかないでかぶりつくのが
桃の一番おいしい食べたかただといって
かぶりついて食べています。
それではまた、おやすみなさい。
自分はスイカの皮に近い硬い部分が好きで、スイカを食べる時は皮ギリギリまで食べてしまいます。
でも妻が倒れてからこの二十一年間ほとんど食べた記憶無しです。
桃も好きなんですが皮を剥くのが面倒です。
妻が元気な時は全部やってくれたのですが。
今はなるべく火を使わない洗い物を出さない汚さないが食事の基本。
このところオギノやヤマトの弁当を食べる時、ビールを飲みながらが多くなりました。
もちろんノンアルコールですけれどね。
冷凍庫でシャーベット寸前まで冷やし、これで食物を流し込んでいるという感じです。
いわば自分仕様の流動食です。
でも「日用の糧を」当然のように与えられて感謝です。
少年時代に日用の糧が買えなくて母親が泣いていた記憶が何度もあります。
美味い不味いに関係なく食べ物があるだけでも感謝の日々です。