昨年、12月、クリスマス礼拝の日、一人の青年が教会に来た。仕事の為、今年の6月の
始めまで山梨にいた。彼は、日曜日、昼の礼拝、夜の礼拝、又水曜日の祈り会しょっちゅう
来られた。はにかんだ表情又、涙ぐみながら語られる信仰の証。語られた証しは決して
忘れられない。主イエスに従って生きていくと言う決意と情熱に満ちた青年であった。
「これからも神にすべて委ね期待して生きていくので何も怖くありません。またいつか、
八ヶ岳キリスト教会に来ます、その時にはこの教会に大きな教会堂があたえられ
ていることを信じます。」と笑顔で帰っていった。さわやかな風の様に去っていったクリス
チャンの若者、神の祝福がありますようにと祈りつつ見送った田舎牧師と私。
昨日の礼拝に集われたすべての方々と手を取り合って祈った。私たちの教会に教会堂
を与えて下さいと。神はきっと素晴らしい何かをして下さるに違いない。
神御自身の計画がなりますように、また、新しいあゆみをされる方々に主イエスキリストの
祝福が注がれますように。
<愛は寛容であり親切です。、、、、すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべ
てを耐え忍びます。> 第1コリント13章
2013.6.3 トマトでした。
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