私は、かなりの方向おんちである。並みはずれた方向おんちとゆうべきかもしれない。その点田舎牧師は、方向感覚が優れている。どこに行くにも感で目的地に到着できるのだ。男性は方向おんちはいないと思っていたが、田舎牧師の父はひどい方向おんちだったそうだ。運転中、いつも通っている道なのに、突然「オレはどこを走っているんだ、ここはどこだ?!!」とパニックになってしまったという。しかし、父は方向おんちのおかげで、息子の田舎牧師より親孝行をしてもらったよう。父は「オレを車で旅行に連れて行ってくれ」、とゆう事で,年2回父と母は、田舎牧師の運転で、旅行にいけた。楽しかっただろう。そして、父の頭には定時に旅館に着き、定時においしいごちそうを食べる事が常にイメージされていた、ので田舎牧師は、ありとあらゆる方向感覚を働かせ、また時間の配分を考え、父の期待とイメージに答えようとし、けっこうつらい旅行だったとか。でも、田舎牧師はオレはオヤジが生きている間に親孝行できてよかったと言っている。父は動けなくなってから、よく目を細めて言った「元気な時にたくさんいろんな所に連れて行ってもらったからよかったよう」と。
あなたの行く所どこにおいてもしゅを認めよ。そうすれば、しゅはあなたの道をまっすぐにされる。箴言3,6.
2014,3,10、 トマトでした
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