八ヶ岳キリスト教会 牧師ファミリーのブログ

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母の信仰

2011年08月18日 16時56分04秒 | 証し


こんにちは、お元気ですか?
毎日暑いですね。熱中症にならないよう水分補給に気をつける毎日はいつまで続くでしょうか?
このところ、現実から目をそらせてしまう自分となってしまい、「トマト」を書けませんでした。
長く書かなくてごめんなさい。

今年5月の終わり頃、高地の姉より涙の電話があり、母の余命があと3ヶ月であると医師から言われたとのことでした。
そのときから私は月日の過ぎるのが怖くてたまらなく、また、母の死ということが現実になってしまうことから目を背けようとしていました。
18歳のときから親元を離れ、母に対して何もできなかった私でしたので、気持ちの整理が着かなかったのだと思います。

のう天気の母なので、長生きするぞと父も私たち三人姉妹も思いこんでいました。
ところが、今から二年前、母は悪性リンパ腫と診断されました。
姉が言うには青天の霹靂だったと・・・。
30年以上前から聖書を読み、イエス様の名によって祈り、信仰を持っていた母は洗礼を受け、クリスチャンとなりました。
二年間の病との苦しい闘いの中にも、いつも聖書の言葉を信じて喜んでいました。
母が一番好きだったみ言葉は、

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことについて感謝しなさい(Ⅰテサロニケ5:16~18」

でした。
2人の姉たちは母のために必死で動いていました。
父は夕方になると泣いていたそうですが、母の目の前では涙を見せず、優しく看病していました。
母は、
「まあ!お父ちゃんがこんなに優しい人だとは思わなかった。」
と父に言ったそうです。

私は山梨から「お母ちゃん元気?」と電話していましたが、そのたびに母は「元気だよ」と明るい声で答えてくれました。
ですが、7月の終わりの頃の電話は、「お母ちゃんはさいごまで頑張るけん、お前も頑張れよ!」という電話でした。
これは遺言なのかも知れない、そしてこれは信仰の戦いのことを言っているんだとはっきり分かりました。

7月29日は高知に帰りました。
そして、7月30日、家族が見守る中母は天に召されました。

とうとう来てしまった”母の死”という現実。
ただただ涙が流れましたが、深い底知れぬような悲しみではなく、それは、穏やかな涙でした。
自分でも驚くほど静かな慰めに満ちた涙でした。
そして、ずっとこのみ言葉が心を満たしていました。

「あなた方は心を騒がしてはなりません。神を信じ、また、私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんあります・・・・・・あなた方のために私は場所 を備えたら、また来て、あなた方を私のもとに迎えます。私のいるところに、あなた方をもおらせる為です。(ヨハネ14:1~5」

そして、

「信仰の戦いを戦いぬき、永遠のいのちを獲得しなさい(Ⅰテモテ6:12)」

母は、信仰の戦いを戦いぬいて、今は天国で神を褒めたたえているのだ、という確信、
また天国で逢えるという希望、
主イエス様を信じていることは何と素晴らしいことでしょう。
十日間ぐらい流れ続けた涙も 今はとまり、母が「がんばれよ!」と言った言葉を思い出しつつ、今こうして書いています。

あなたの為に心より祈っています。
一緒にがんばりましょうね!
ガンバレ クリスチャン!
ガンバレ 日本!

2011.8.18
トマト