あなたは小石を食べる子どもをあなたは見たことがあるだろうか。
写真ではあったが私は20年ほど前に見たことがある。
たぶん、エチオピアの少女だったと思う。
茶色の大地にしゃがんで何かをつまんでいた。
写真には飢えて空腹のため、小石を口に入れているのだとあった。
心が震えた。
後進国の子どもたちを支援するきっかけになった1枚の写真。
以来、何カ国かの子どもたちに教育支援をしてきたが、無事に学校を卒業できた子は僅かにふたりだけだった。
初めての子は4年ほど支援したが、支援団体の前から消えてしまった。
両親は彼に働いて欲しかったらしい。
やっと文字を覚えた彼からの手紙には勉強が楽しい、上級学校にも行きたいと書いてあった。
現地スタッフが探してくれたらしいが、ついに見つからなかった。
もし生きているなら私の息子と同じくらいの年になっている。
せめてイエス様の愛を彼に伝えたかったと今も心が痛い。
もうひとり、忘れられない子がいる。
父親を戦争で亡くしたタイの少年で農業の母親と何人かの兄弟たちと暮らしていた。
長子だったらしいが母親がその子の勉学に理解を示し、彼を3年余支援した。
彼の手紙はいつも感謝と希望で溢れ、イエス様を知る子だった。
14歳になった時、母親が過労で倒れ、彼は長男として家族のために農業の道を選んだが、その後、よく働くということで、村長さんがお嫁さんを世話してくれたと現地スタッフから連絡があった。
さらに1年後、父親になったからと日本のお母さんに伝えて欲しいと、現地スタッフから連絡があった。
とても幸せだとも、どの子の手紙にも必ずと言っていいほど感謝の言葉がつづられていたけれど、感謝するのはいつも私、けなげに懸命に生きる彼らにどれほど勇気をもらったことだろう。
自分の傲慢さを気付かせてくれたのも彼らだった。
支援など一度もしていない、共に生きてきただけだった。
8年前の春、八ヶ岳に移り住み、秋、運転免許を取り、冬、今の職場のNGO団体から隣県の町に移転してきたので経理スタッフとして来てほしいと連絡があり、今に至っている。
そのどの場面にも主の導きがあった。
今、私は貧困に苦しんでいる子どもたちに教育を受けさせる活動のNGO団体に勤務している。
かつて、教育を受けられない子どもたちとの交流を経験していなかったら、運転免許がなかったら、隣県に今のNGO事務局が移転してこなかったら、私はここで隠遁生活をしていたかもしれない。
あなたにも地球家族として現状を知ってほしいと願っている。
私がどれほど彼らと愛を分かち合えたか分からないけれど、人はいろいろな意味で優しくあって初めて人間になれるのではないかと今も思う。
それには神の導きとイエス様の助けがどうしても必要なのだと確信している。
そしてそれを素直に受け入れること。私は人間であり続けたいと思う。
彼らが私にそれを教えた。
かつて小石を食べる少女を私に見せたのは主であったと思う。
欠けだらけの私を訓練し、ティラノの牙を抜いて、何とか人間らしく今の私に導いてくださった神への感謝は絶えない。
「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、
あわれみの心を閉ざすような者に、
どうして神の愛がとどまっているでしょう。」
第一ヨハネ 3章17節
2010/10/31
八ヶ岳のティラノちゃん