こんにちは、お元気ですか?
一週間前に心温まる嬉しい出来事がありました。
私がスーパーで山ほど食料品を買い、袋に詰め込み、スーパーの出入り口に行ったとき、一人の青年が私を呼び止め「すみません、ヨーグルトを落としましたよ」と声をかけてくれたのです。
「え!ありがとうございます。どこですか?」と私。
すると、もう一人の主婦と思われる女性が「あの台の上ですよ」と。
そして、その台の所にいた人が「これですよ」と。
親切な3人の方達の連係プレー。
本当に嬉しかったです。
こんな親切な人がいる日本ってまだまだ捨てたモンじゃないと希望がわいてきました。
親切な3人の方、本当にありがとうございました。
(しかし、ヨーグルトを落としたことも気づかない私はドジですね。)
4月はめまぐるしく過ぎ、気がつくと、今日はもう4月22日。
今日は珍しくホッとした時間がとれたので、神の御前で自分を見つめ直す時間を持ちました。
なぜか涙があふれました。
仕事の中、知らず知らずのうち人を傷つけてしまっている自分、また、人の言葉で傷ついている自分、そして、色々な行き違いや、自分の間違いなど・・・・
さらに、毎日の生活の中ほとんどホッとする事がないくらい動き回っている中、時として苛立ち、不平不満、つぶやきで心が一杯になってしまう自分。
そんな中、神の前に祈ることが私の唯一の慰めであることに気づかされました。
言葉にならないくらい一杯になってしまったストレス、弱さ、罪もさらけ出し祈りました。
神はその愛によって私の涙をぬぐって下さり、今日もまた、心を作りかえてくださいました。
神の前で祈るとき涙があふれます。
神の前に泣けると言うことは本当に幸せです。
クリスチャンになってからも泣いてばかりいる私です。
大切な甥が亡くなったとき、悲しみの中ただ神の前に泣きました。
自分が悪い病気であると言われたときも、絶望の中ただ助けてくださいと泣いて祈りました。
今、病気と闘っている高知の母のために癒してくださいと、ただ涙して祈りました。
神様助けてくださいと涙を流し泣き叫ぶしかない、その涙の祈りの中、神は確かに祈りを聞き、助けてくださいました。
かつて、神の存在を知らなかった私は、辛いとき、誰もいないところで泣きました。
ある時は、故郷の河川敷で泣き、布団の中で泣き、一人星空を眺めながらひっそりと泣いていました。
一人で泣くことはさみしく、大変辛いものでした。
泣いて泣いて泣き尽くし、涙が枯れ果てたとき、一筋の光がみえてきたのです。
その思いは不思議な思いでした。「私の涙を見てくれている方がきっといるはず」と。
そして19歳の時、教会でイエスキリストを信じクリスチャンとなったとき、私の涙を見ていてくださったのは、イエス様だったと分かりました。
あなたの流す涙は神が見ています。
さみしいとき、辛いとき、神の前で泣いてください
神ご自身が彼らと共におられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐいとってくださ
黙示21.6
あなたのため、心より祈っています。
それではまた。
2010.4.22 トマト