高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

飯田線 車輌転入出状況 1960(S35)-1964(S39) 車号順

2016-02-07 00:29:11 | 旧型国電

 前回の表を車号順にしてみました。

 

年月日 車種 番号 新形式 新(旧)番号 備考・施行工場等
'S39.09.08 クモハ 1700     豊橋 廃車 事業用車代用
S39.09.08 クエ 9321     豊橋 廃車  
'S37.03.21 クモハ 11220     青梅 豊橋  
'S38.10.19 クモハ 11220     豊橋 青梅  
'S38.10.19 クモハ 11258     豊橋 弁天橋  
'S38.10.19 クモハ 11266     豊橋 弁天橋  
'S39.12.04 クモハ 11305     中原 豊橋  
'S35.03 クモハ 11432     青梅 豊橋  
'S38.10.19 クモハ 11432     豊橋 青梅 ※転出元伊那松島と誤記
'S35.03 クモハ 11444     青梅 豊橋  
'S36.06.01 クモニ 13027     豊橋  
'S38.11.02 クモハ 14000     富士 豊橋  
'S38.11.02 クモハ 14001     富士 豊橋  
'S38.11.02 クモハ 14002     富士 豊橋  
'S38.11.02 クモハ 14003     富士 豊橋  
'S38.11.27 クモハ 14004     富士 豊橋  
'S38.10.05 クモハ 14006     富士 伊那松島  
'S38.10.05 クモハ 14010     富士 伊那松島  
'S38.03.28 クモハ 14011   (14035) 伊那松島 中部天竜  
'S38.10.05 クモハ 14012     富士 伊那松島  
'S38.03.28 クモハ 14101     中部天竜 豊橋  
'S38.10.05 クモハ 14101     豊橋 大垣  
'S39.12.04 クハ 16219     中原 豊橋  
'S38.10.05 クハ 16441     富士 豊橋  
'S38.10.05 クハ 16447     富士 伊那松島  
'S38.10.05 クハ 16451     富士 伊那松島  
'S38.10.19 クハ 16474     伊那松島 中原  
'S38.03.31 クハ 16515     伊那松島 豊橋  
'S38.10.19 クハ 16515     伊那松島 青梅  
'S38.02.26 クハ 16519     弁天橋 伊那松島  
'S38.03.16 サハ 17116     弁天橋 豊橋  
S39.09.02 サハ 17116     豊橋 仙石(管)  
'S38.11.10 サハ 17122     中原 豊橋  
'S39.03.30 サハ 17122 クエ 28100 豊橋 豊橋 救援車改造
'S38.03.31 クハニ 19055     豊橋 伊那松島  
'S38.12.26 クハニ 19055     伊那松島 廃車 浜松工で解体
'S37.03.30 クモハ 41016     伊那松島 富士  
'S38.02.26 クモハ 41113     津田沼 伊那松島  
'S38.10.19 クモハ 41113     伊那松島 中原
'S38.03.16 クモハ 41117     津田沼 伊那松島  
'S38.10.19 クモハ 41117     伊那松島 中原  
'S39.02.11 クモハ 43004     伊東 豊橋  
'S39.02.11 クモハ 43013     伊東 伊那松島  
'S38.11.07 クモハ 43015     田町 伊那松島 ※転出元中原と誤記
'S39.02.11 クモハ 43022     伊東 伊那松島  
'S37.03.28 クモハ 43025     豊橋 伊那松島  
'S39.08.21 サロ 45012     大船 豊橋  
'S39.08.31 サロ 45012 サハ 45012 豊橋 豊橋 サハ格下げ
'S38.11.12 クハ 47002     伊那松島 大船 ※転出元池袋と誤記
'S37.03.31 クモハ 47009     富士 伊那松島  
'S39.03.02 クハ 47070     豊橋 静岡  
'S39.03.02 クハ 47076     静岡 豊橋  
'S39.02.11 サハ 48021     新前橋 豊橋  
'S39.03.02 サハ 48021     豊橋 静岡  
'S39.02.11 サハ 48024     新前橋 豊橋  
'S35.12.11 クモハ 51069     明石 伊那松島  
'S38.10.19 クモハ 60125     伊那松島 中原  
'S35.12.11 クハ 68064     高槻 伊那松島  


 なお、この表を見ますと、1960年前後までは首都圏から17m車の転入もありましたが、62, 3年以降、首都圏や大阪圏から20m2扉クロスシート車や3扉セミクロス車の転入で、17mロングシート車の首都圏還流や北松本への放逐が図られています。中には首都圏から入ってすぐ首都圏に押し戻しているケースもありますが、結構現場の判断でこれは使えないと、どこかに放出するということもあったのでしょうか。それとも次の転用までにちょっと時間が掛かるため一時的に田舎に疎開させるという感覚で、転入出させていたのでしょうか。今だったら、疎開留置のためにいちいち転入出はさせていないと思いますが...
 またクモハ41もあまり好かれておらず、首都圏から入ってきたものをまた押し返したり、押し返したものがまた押し戻されたりしています。飯田線に限らず『鉄道ピクトリアル』誌の車輌の動き全般を見ていますと、クモハ41は20m車扱いされているというよりは、準17m車扱い的なところがあったように思いますが、やはり通勤型にもかかわらずモーターの出力が低い点が嫌われたのでしょうか?あるいは電動発電機の出力に差があったのかも知れません。
 なお、クハ47002の伊那松島からの大船への還流が異色ですが、これは転入後すぐ大船工場で3扉、クハ68化改造を受けて、まもなく他のモハ70やクハ76と共に長岡に転出します。おそらく横須賀線は走っていないのではないでしょうか。
 また、17m車の放出が目立つようになった頃に北関東からサハ15が入ってきています。これは元サロで、元々1962年まで横須賀線で使われており、その後伊東線、さらに1964年からは日光線及び東北線宇都宮ローカルで運用されていたものですが、宇都宮転入早々同僚の15001を矢板での事故で失ってしまい、宙ぶらりんであったものが転入してきました。ただ、飯田線での活躍はやはり短かったようです。なお『鉄ピク』誌では転出元を新前橋としていますが、単純ミスなのか、それとも宇都宮から一時的に新前橋に転出していたのか (その記述は見あたりませんでした) は不明です。


懐かしの159系 修学旅行色 (蔵出し画像)

2016-02-04 19:27:49 | 国鉄

 ここのところ、飯田線関連の記事ばかりですので、本日はちょっと毛色を変えたいと思います。

 この写真も当時何気なく撮った写真ですが、やはり貴重な歴史の証言に...

修学旅行用に製造された159系 (多分)、東海道線保土ヶ谷-戸塚間を行く姿です。155系は元々グローブベンチレーターだったのを後に押し込みベンチレーターに改造したようなので、どちらかははっきりしませんが、屋根上に改造したような痕跡が見あたらないので、おそらく名カキの159系かと思います。撮影は1977年5月頃です。この後に修学旅行用車は、湘南色に改められますが、この写真はおそらくその直前の姿と思われます。


 俯瞰ショットなので、低トンネル山岳地帯入線を配慮した特徴ある平べったい屋根がはっきり写っています。これは我ながら貴重な記録かも。

 

 

 関東では小学生の修学旅行は日光方面に行くケースが多かったと思いますが、その時修学旅行車(といっても東チタの155系の方だと思いますが)にお世話になった記憶があります。

原型モハ41の雰囲気を残したクモハ51069 (蔵出し画像)

2016-02-01 22:45:33 | 旧型国電
 こちらは伊那松島区に所属していたクモハ51069です。オリジナルのクモハ51ではなく、モハ41をセミクロス化した改造車ですが、飯田線の車輌としては珍しく、通風機が潰されていません。パンタグラフもオリジナルのPS-11でそれに加えて側面の通風機も健在という、オリジナルの初期タイプ、城東線に配備されたモハ41の雰囲気を強く残した車輌でした。これで樋までオリジナルであればもっと良いのですが、それは望みすぎでしょう。では両サイドともご覧頂きます。









 やはり特徴があるせいか、模型キットも発売されたことがあるようです。

本車の車歴ですが、

1932.12.12日本車輌東京支店製造(モハ41009)→1932.12.28使用開始 (大ヨト)→1943.12.17改造・改番 (モハ51066 [初代])→1943.12.27大アカ→1944.7.26改番 (モハ51069)→1945.1.15座席撤去→1951.2.19更新修繕I(吹田工)→1956.6.30更新修繕II→1960.12.11静ママ→1966.1.26長キマ→1966.5.8静ママ→[77-12全検浜松工]→1978.10.19静トヨ→1978.12.20廃車

 一時的に大糸線にいた時期があったのですね。今回調べてみて初めて分かりました。また本車の飯田線の転入は1960年と早いですが、これはちょうど101系の増備で関東から押し出されてきた73系が明石に流れ始めた頃。この時初期の40系を51系に改造したグループが岡山ローカルやこちらに押し出されていたようです。おそらく車令を考慮していたのでしょう。

以上『関西国電50年』および『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』バックナンバー・データ(一部現車確認)によります。
※78年10月に移動していると思われますが、鉄道ピクトリアルの10月移動データから番号がありません。