高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

飯田線の数少ないオリジナル原型クハ68, クハ68038 (蔵出し画像)

2016-02-20 22:03:03 | 旧型国電
 さてこちらは、飯田線に残った数少ない原型 (オリジナル&便所非取付) クハ68である、クハ68038(静トヨ)です。とはいえ、関西暮らしが長かったので運転台窓はHゴム化されています。誕生時点のオリジナル番号はクハ68008でした。豊橋機関区50番台運用で運用されていました。
 ふと今気付きましたが、なぜか所属表記が消されていますね (写真撮影は1977年末-78年正月)。





本車の車歴は下記の通りです。

1937.3.1川崎車輌製造 (クハ68008 [初代])→1937.5.24使用開始(大ミハ)→1937.10(大アカ)→1943.8.9改造(吹田 / クハ55122)→1948.6.1改番 (クハ68038) 1948.12.8座席整備→1956.6.9更新修繕I→1967.5.24岡オカ→1972.3.26静ママ→1972.5.11静トヨ→1979.8.29廃車

(データ出所は『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』誌バックナンバーです)

 新製直後に宮原から明石に移転し、30年間を明石で過ごしました。岡山ローカルから飯田線転入後まもなく、伊那松島から豊橋に移動していますが、その時はクハ47108との交換でした。便所がないこと、そして豊橋口の混雑が考慮された結果でしょう。また本車、および68098の伊那松島転入により、伊那松島に残った最後のクハ16 (446, 447)が廃車となっています。
 おそらく便所がないこともあったのでしょう、80系の転入により廃車になっています。


裏高尾の梅開花状況について

2016-02-20 10:53:33 | 日記
 裏高尾の、梅の花の開花状況についてです。見たところ平均すると7-8分咲きの状態です。ただ今年は開花のばらつきが激しく、既に報じたように松の内から開花している木もあれば、まだまだこれからという木もあり、何とも言い難いです。梅の花が見られる期間は全体として長くなりそうですが、一斉にぱっと咲いたという感じがなく、見ごたえとしては今ひとつかもしれません。

 因みに日影沢の花はさすがにまだまだです。

買収国電の型式番号について

2016-02-17 23:50:00 | 旧型国電

 1953年、国鉄形式称号規制改正による、買収国電の型式番号付与規則です。情報源は、林正造「国電の称号規程改正」(下), 『国鉄電車特集集成』1, p39 (鉄道図書刊行会)です。

 これも筆者の備忘録です。

( )内の番号は、改正時点で対象車が廃車になり、存在しなかった番号、また*を付した番号は合造車、荷電等の番号です。


 なお、三信鉄道、青梅電鉄、富岩は電動車がありませんが、いずれも買収後電動車は電装解除されています。

 

  電動車 制御車
広浜 (10)  
信濃 11, 31* 51
富士身延 12 72*
宇部 13 53
富岩   (54)
鶴見 15 55
豊川 16 56
鳳来寺 17  
三信   58
伊那 19 59, 79*
南武 20 60
青梅   61
阪和(南海) 22, 32* 62
宮城 23 63, 73*
その他 24, 34* 64

幌が格好良かった豊橋機関区 クハ47114 (蔵出し画像)

2016-02-14 10:08:33 | 旧型国電
 先日、クモハ43013とコンビを組んでいたクハ47116 (静ママ) を紹介しましたが、こちらは静トヨにいたクハ47114です。70年代初めには静トヨにも旧クハ58である47100台が何両かいたようですが、80系置換え直前には、多くは静ママへ移動し、静トヨには本車しか残りませんでした。乗客の多い豊橋口ではやはり2扉車は不便だったのでしょうか。ですが、その後配備された80系(しかも豊橋口で集中的に運用)はさらに乗り降りに不便だったのは皮肉です。
 クハ47116は幌枠が完全に撤去されていてそこが残念でしたが、本車は幌枠がしっかりあってなかなか良い感じです。写真を撮影したときは単独ぽつねんと豊橋機関区の片隅にいました (1977.12)。
 主に、先日紹介したクモハ54007とコンビを組んでいたらしいので、その全検戻り待ち状況だったかも知れません。本来ならばクモハ42とコンビを組んでいるときれいに揃うのですが、やはり乗客の乗降の便を考えて敢えて2扉同士で組まないという配慮があったのかも知れません。



向きが一緒ですが...


例によって車歴データです。

1933.12.21田中車輌製造(クハ58014)→19347使用開始 (大ミハ)→1945.1座席撤去→1948.11.23座席整備→1950.3.15更新修繕I(吹田)→1950.9.26東チタ→(1951年頃?)東イト→1953.6.1改番(クハ47114)→1954.6静トヨ→1954.6.15WC取付→1954.9静フシ→1958更新修繕II(豊川分工)→1958.6静トヨ→1978.12.20廃車

出典:『関西国電50年』、『鉄道ピクトリアル』バックナンバー、一部現車確認
 
やはり伊東支区への転出時期は47116と同様、推測です。

追記
反対側からの写真が見つかりましたので掲載します。

中部天竜機関支区のクモハ51021 (蔵出し画像)

2016-02-11 00:47:22 | 旧型国電
 若干ブレ気味のモノクロ画像ですが、こちらは静チウのクモハ51021です。残念ながらこの車輌に関してはこの写真しか見つからず... 運転台の両側の窓がHゴム化されています。おそらく関西にいたときは関西型通風機が付いていたものと思われます。



本車の車歴ですが、

1937.4 汽車会社東京支店製造(東ミツ)→1943.11.20改造 (モハ41076)→1950.9.17大ミハ→1951.12.19改造(吹田、モハ51021へ復旧)→1954.2.10更新修繕I(吹田)→1956.3.1大タツ→1962.9.15大アカ→1969.5.1静ママ→1978.10.1静トヨ→1978.12.20廃車

 元々は中央線向けとして三鷹電車区に配備され、さらに戦時中にモハ41に編入され、そしてモハ43らとの交換で関西へ行きモハ51に復旧、京阪神緩行線をお役ご免になって飯田線へと流れてきました。関東13年、関西19年、飯田線9年といった経歴です。