放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

6000日!

2020年10月31日 | 京都編集邁進道
ついにこのブログも開設から6000日を迎えました。
16年以上ですよ、驚いちゃうね。
ついこの間に5000日を迎えたと思ったのに。加齢と共に、年月の感じ方も早くなるとは本当のことのようです。


Facebook・Instagramで近況は更新しているので、このブログはもっぱら旅行記になってます。
現在、2019年のスリランカの旅をアップしていっています。コロンボで呑んだら旅は終わったも同然なので、今少しお付き合いのほどを。


さーて、これからの「放浪日記」のラインナップは、


モグモグ隊 福島遠征(の続き)
モグモグ隊 讃岐うどん遠征
ラオスが誇る古都・ルアンパバーンの旅


の3本です。
これからもまた見てくださいね~!


フンガググッ(饅頭をのどにつまらせながら)




スリランカ酔夢行(10)そしてコロンボへ

2020年10月28日 | スリランカ2019
「酔夢行」なんてタイトルをつけておきながら、これまでの旅では正直呑んだくれるところまではいっていなかった。
キャンディは祭りの真っ只中だったし、シーギリヤは田舎で、外でフラフラ呑み歩けるような店がなかったからだ。
そろそろ本格的に呑みたい。居酒屋とかバーに行ってみたい。スリランカ人はどんな酒場でどんな酒を飲んでいるのだろう。
シーギリヤからは、首都・コロンボに戻って数日を過ごし(主に嫁さんのお土産ショッピング)、帰国する予定だ。飲み歩く最初で最後のチャンスがやってきた。


シーギリヤからコロンボへは、すべてバス移動。
まずダンブッラに出て、新しいバスを拾ってコロンボまで。
ダンブッラはスリランカ有数の幹線道路に面しているので、ひっきりなしにバスが通る。
始発ではないので、来たバスに乗り込むだけでいい。
ただ、どのバスも驚くほどに混雑していた。






バス車内の様子。
運よく座席を確保できたが、通路まで人がびっしり。本来ならば嫁さんと隣同士で乗りたいところだが、それもかなわず。
エアコンなんて、もちろんないので、外から入ってくる風だけが頼りなのだが、満員状態なので風通しゼロ。蒸し風呂である。




そんな混雑の中でも、子供は無邪気。





コロンボまで4時間以上かかるので、途中のドライブインで休憩。
昼食を食べる人、タバコをふかす人、トイレに駆け込む人。世界のどこでも同じ光景。
こんなところで放り出されたら…と妄想して、発車までの時間をつぶす。







中国資本で建てられているロータスタワーが見えてくれば、コロンボに到着。
コロンボ・フォート駅の付近でバスを降ろされる。
ここからオートリキシャを拾って、荷物を預けていた高級ホテルに向かった。




コロンボ1とも呼ばれるフォート地区にそびえる5つ星ホテル「ザ・キングスバリー」!



コロンボ有数の高級ホテルだが、実はここ、この旅の4か月ほど前に、コロンボ市内で発生したスリランカ連続爆破テロ事件の現場となった場所でもある。
テロ発生によって外務省の危険レベルも上がり、一時は旅行できないかと思われたが、スリランカ政府・警察の対応がよかったのか、その後テロは起きておらず、無事に旅ができるようになった。
ただ、さすがに現場になったホテルは客が寄り付かないのか、おそろしいほどに値下げをして客足の回復を目指していた。
テロからの復興支援という名目、実際はいいホテルに安く泊まりたいという一心で、今回のコロンボ滞在は「ザ・キングスバリー」にした。
もちろん嫁さんはめちゃくちゃ心配していたが、同じホテルに連続でテロは起こらない。逆にセキュリティが’しっかりしているから安全。と言い聞かせ、連れてきたのだった。




ホテルの出入口は正面エントランス以外すべて封鎖されていて、出入りするゲストは都度ものものしいセキュリティチェックを受けなければならなかった。
もちろんしっかりしたホテルのスタッフなので、物腰もやわらかで、嫌な気持ちになることはないのだが、1日に数回、バッグの中を見せたり、身体を金属探知機でなぞられたりするのは、非常に面倒臭かったのも正直なところだ。




大理石の床に、薔薇が映える。
花はもちろん生花。芳しいローズのかほりが廊下に満ちる。
ホテルは外国人旅行者の数よりも、結婚式やパーティなどで利用しているハイクラスのスリランカ人が多かった。サンダル履きでウロウロしているのが、少し恥ずかしくなる…。





バイキング形式の朝食は、ホテル1階のバーレストランで。
プールに面したレストランが本来の朝食会場なのだが、先述したテロは、朝食時レストランを狙ったものだったらしく、会場は吹き飛んでしまい、現在は使用できない状態だった。
こういう真実を伝えることは、いらぬ心配をかけてしまうことになるので、「お紅茶おいしいざます」とモーニングティーを楽しむ嫁さんには黙っておいた。



テロの現場となったレストラン。
ガラスは入っているものの、中には何もない。




プールサイドには、スリランカのリッチファミリーがバカンス。
家族でひと泳ぎする横で、僕は、温泉のようにプールに浸かる。


ホテルはあまりに快適なので、ついこのまま過ごしてしまいたくなるが、何より身体はアルコールを欲し始めている。
さて、飲みに行くか。


(つづく)



スリランカ酔夢行(9)岩上に残る夢の跡

2020年10月15日 | スリランカ2019

今回のスリランカ旅の最大の目的地は、シーギリヤロック。

初めてその存在を知ったのは「世界ふしぎ発見」か「なるほどザワールド」だったかもしれない。岩の上に作られた王宮というその存在感。一度訪れてみたかった。

 

Wikipediaによると

5世紀にカッサパ1世によって建造された、要塞化した岩上の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構からなる遺跡。岩山の中腹には『シーギリヤ・レディ』として知られるフレスコの女性像が描かれている。当初は500体ともいわれたが、風化が進み現在は18体だけが残る。シーギリヤロックは火道内のマグマが硬化して出来た岩頸で、形状は楕円柱、標高約370m、岩頸そのものの高さは約195m、全方位が切り立った崖になっている。

 

ということだ。

宿泊する岩見荘の屋上テラスからすでに拝んでしまっていたものの、やはりいざ自分がそこにいると思うとドキドキする。遺跡にこれほどビンビンになっているのは、いつぶりのことだろう。

かつてインドを旅していた時、そのついでにスリランカにも足を延ばそうと考えたことはあったが、当時はシンハラ人とタミル人の内戦・衝突が散発的に発生しており、インドからの海路が閉ざされていたこともあり、あきらめていた。

それだけに、今回は楽しみなのだ。

 

岩見荘のパパに車で入口まで送ってもらって、いざロックへ。

入場料は、外国人30USドルに対して、スリランカ人は30円程度。その差、100倍だ!

いままでいろんな遺跡に行ってきたけれど、世界屈指のエゲツない料金差に唖然となる。若気に満ち溢れていた頃は、もしかすると裏口を探したかもしれないが、嫁さん同伴では払わざるを得ない。二人で60ドル払いましたよ。

 

 


遺跡公園内に入ると、いきなり見えちゃう巨大岩。道案内もなにもないけれど、まっすぐ歩けばいいってことは、誰もが分かる。

 


 

ウ●コみたいな形の注意書き。
さまざまな国の観光客が来るだけあって、すべてピクトグラム。
それにしても注意すること、多すぎない?

 




岩の下まで来ると、なんとそこにはものすごい行列が。
いままでいろんな行列に並んできた日本人としても、岩登りの行列は初めてだ。観光客は、中国人3割、スリランカ人3割、そのほか4割という感じ。



日差しの関係で、日陰となる午前中がベストというガイドブックを鵜呑みにしてやってきたけれど、この人混みが暑さよりもしんどいわ。
後日、午後から登った人に話を聞いたが、まったく混雑してなかったとか。
暑かろうが、シーギリヤは午後に限るのではないか。


Wikipediaにも書いてあったが、途中の岩肌には、シーギリヤ・レディと呼ばれる美人壁画があった。昔は写真撮影もできたっぽいけれど、今は完全禁止。警備員がしっかり彼女をガードしている。
しかしその容姿はさすがに綺麗でござんした。





そして次に出てくるのが、ライオンの足。
かつての王宮の入口だったといわれるところだ。
朽ちる前は、ライオンの顔もあって、口の中へ入るようになっていたそうだ。
これこれ、これが見たかったのよ。

ただ、上の写真、人がいないところを撮ったもので、ここも当然のようにめちゃくちゃ人で混雑している。



上までずらーーーーり。


実は僕は高所恐怖症。
観光名所としてありがちなタワー類にも、金を出して登る気がしれない。
スカイツリーも通天閣も京都タワーも、いまだ登ったことはない。
このシーギリヤロックは階段があるので、高所恐怖症が発生しないと思っていたが、このライオン足から王宮へのほぼ垂直の階段が、腰が抜けるほど怖かった。
いったいいつ造られたのか分からないグラグラの鉄階段。当然スケルトン状になっているので下は丸見え(上も丸見えなのでスカートの方は注意)。さらにそこに行列が重なり、これだけの人の体重をこの鉄パイプ階段で支えることができるのかと考え始めると、もういけない。シーギリヤロックは周りを遮るものがなにもないため、岩肌をもろに強風が吹き抜けていく。ただでさえグラグラしている階段が、風で揺れるわ、人の動きで揺れるわ。
いまだに思い出すだけで、手の平が汗ばんでくる。
頂上に行くには、この階段しかないので、高所恐怖症の人は覚悟して来るべし。


そして、ほうほうの体で頂へ。




見渡す限りのスリランカの森林。
さっきまでの恐怖をすっかり忘れるくらいの心地よさ。
ただ、遮るものが何もないということは、直射日光も襲いかかる。

暑いのよ。



日陰では犬も寝る。
っていうか、犬よ、お前はあの階段を登ってきたのか?


王宮跡は、まさにもう廃墟で、土台やレンガなどが残るのみ。
こんな岩の上に王宮を造ろうと考えるやつは、よっぽど狂ってるとしか言いようがない。造らされた数多の庶民もやるせなかっただろうなあ…。

頂には、カフェもなけりゃ、ドリンク売りもいないので、一通り巡って景色を眺めて、帰路に着いた。


百聞は一見にしかずという言葉通り、シーギリヤロックがあんなに急な階段なんて、初めて知ったわ。




帰りの駐車場にいたトカゲ。
現地では普通にいる。地元民は誰も見向きもしない。






ちなみに、これが岩見荘からの眺め。



カメラの性能のせいでけっこう小さく写ってるけれど、体感的には非常に近い。頂にいる人の数もカウントできるくらい。


シーギリヤロック、一度は行ってみたかった場所。
ただ、もう登んないだろうな。ビール飲みながら見るだけで満足しちゃう。



(つづく)

スリランカ酔夢行(8)岩見荘に泊まる

2020年10月14日 | スリランカ2019

ダンブッラで偶然拾ったトゥクトゥクで、シーギリヤに到着した。

バスも頻繁に出ているという情報だったし、比較的近いのではないかと勝手に想像していたが、案外距離があった。ダンブッラの黄金寺院→ダンブッラ市内で待機→シーギリヤのホテルまでで800Rs.だったら安いのではと思った。

シーギリヤまでの道中で、ドライバーの兄ちゃんはしきりに貸切観光を薦めてきたが、後ろを振り向いて営業してくるのは閉口した。

「シーギリヤは俺の庭みたいなものだ」と豪語していたが、行きたいホテルがどこか分からないようで、地元民に尋ねることを繰り返し、ようやく予約していたホテルにたどり着いた。

 

 

 

 

 

宿泊したのは、岩見荘。

 

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sigiriya

 

 

 

 

漫画家・東條さち子さんが経営するゲストハウスだ。

 

スリランカを旅したのは、2019年4月に起こったテロ事件の後ということもあり、海外からの旅行者が少なかった。日本人をメインターゲットにするこの宿も、影響を受けており、宿泊客は僕らのほかには一人だけだった。

ちなみにこの一人とは、友人の彼女で、たまたまこの時期にスリランカを旅していることを知り連絡を取ったら、この宿で落ち合おうということになったのだった。予約も、すべて彼女にしてもらっていた。

 

世界遺産を有するシーギリヤには数多くの宿があるが、この宿のコストパフォーメンスは非常に良かった。

リスや鳥が遊ぶ広い庭、フレンドリーだけど干渉してこないホストファミリー、洗濯機(有料)、シーギリヤロックを望む屋上テラス(当時は改装中)、無料の朝食、有料だけどボリュームたっぷりのディナー、ビールも冷えていた。そしてなにより、部屋が快適だった。

 

 

気付いたら部屋の中に蟻が入り込むという、アジア宿のあるあるも、この宿では無縁。ドア、窓もぴったりと隙間なく機密性高い。浴室はジャグジー付きのカプセルバスがあり、女性も満足間違いなし(使用方法は少々ややこしいが)。エアコンを効かせながら惰眠をむさぼることもできるし、早朝や夕暮れどきにシーギリヤロックを眺めながらビールを飲むこともできた。

これで2人で3,000円以下で泊まれるのだから。

 

ホストファミリーは、東條さち子さんと共同で宿を経営しており、ほかにもエレファントライドやカフェも経営しているやり手だ(行かなかったけど)。シーギリヤロックの往復や帰路のバス停までは車も出してくれる(ダンブッラに買い出しに行く際に乗せてもらった人もいるようだ)。

 

これまでいろんな宿に泊まってきたけれど、指折りの快適な宿だった。

1泊して次の目的地へ行く予定を変更したほど。

 

宿から特に何を言われているわけでもないけれど、快適な宿だったのでおすすめ記事を書いてしまった。

もし自分が長旅だったら、もう数日のんびりしたかもしれない。ドミトリーなどはなさそうだった。

 

 

(つづく)


スリランカ酔夢行(7)トゥクトゥク考

2020年09月26日 | スリランカ2019
ダンブッラで黄金寺院の観光を終えた後、僕にはやることがあった。
 
それはビールを飲むこと。
そしてシーギリヤでの滞在中に飲む酒をまとめて買っておくこと。
 
シーギリヤでは2泊する予定のため、その分の酒が必要なのだ。
昨夜飲めなかった分も飲まなければ、気が済まないのだ。
なんのために、酒が一般的に飲めるスリランカに来たと思っているんだ、まったく。
 
 
 
黄金寺院から町へ戻ろうとしたら、一台のトゥクトゥクが声をかけてきた。
「ハロー、ミスタル、どこ行くんだい?」
タイヤまわりにボブ・マーリーを飾る、イカしたダンブッラ・ガイだった。
 
 
町に戻ると言うと、相場の3倍くらいをふっかけてきた。
いつものことながら、このやりとりは非常に面倒くさい。
このやりとりを避けるためだけに、時間をかけてバスに乗ることもあるくらいだ。
 
 
いつもならイライラする僕も、今回の旅では違う。
スマホにPick Meをダウンロードしている。
「じゃあ、50Rs.でどうだ?」
と、こちらから提案すると、さらに金額交渉を続けようとしてくるが、そんなときはスマホをかざしてPick Meの画面を見せる。
そして今回もスムーズに交渉がまとまるのだった。
 
町に戻る途中、ドライバーは「次はどこに行くんだ? キャンディか? コロンボか? シーギリヤか?」と聞いてきた。
「シーギリヤだけど」と言うと、バスで行くより、「俺のトゥクトゥクで行かないか、安くしとくぜ」と言い始めた。
スリランカを旅している中で、トゥクトゥクのドライバーからこのように貸し切りしないかと言われることがよくあった。実際に数日間貸し切って一緒に旅した人もいるようだ。
彼らとしても身入りがいいんだろう。
 
この兄ちゃんにはダンブッラの町まで運んでもらえるだけでよかったのだが、ここから町で食事をして、酒を(多めに)購入して、さらに20km程度離れたシーギリヤまでバスに乗って、宿の最寄りで降りて、宿まで歩いて、という工程が急に面倒臭くなってきた。
今晩の宿はすでに予約しており、どうやら現地のバス停からは少々不便なところにあるらしい。
この兄ちゃんのトゥクトゥクですべてがまかなえればと思った。
 
「ここからダンブッラの町に戻って、数時間後に改めて俺を迎えにきて、その後シーギリヤのホテルに連れて行ってくれ」
「もちろんだ、ミスタル」
 
ちなみに、どうでもいいことだが、ミスタルというのは、Mr.のこと。インド発音だと「r」を「ル」って言う。
 
「いくらで行ってくれる?」
「1000Rs.」
600円くらいだ。
非常に安いけれど、意地悪く、もう少し絞ってやろうと思った。
「800Rs.ならいいよ。即決する」
「おー、ミスタル!」
「Pick Meで調べることもできるけど…」
「OK、わかった。800Rs.でシーギリヤまで行こう」
 
交渉成立だ。
ということで、まずは町で一番のスーパーマーケットまで連れていってもらうことにした。
もちろん、酒が買えるところとリクエストすると、お前も好きだねぇと、ニヤリと兄ちゃんは笑った。
 
ここだ、と降ろされたのは、町の少しはずれにあるスーパーマーケットの前。
「じゃあ、酒を買ってこい。ここで待っているから」
と言ってきたので、
「いやいや、俺たちはこれからランチをとって、その後にこの店で買い物をして、それがすべて終わったらシーギリヤに向かうんだ。最初に言っただろ?」
「じゃあ、いつ出発するんだ」
 
実はこのとき猛烈にのどが乾いていてビールを飲む気満々だった。
飲み屋にこの兄ちゃんを連れて行ったら、飲み始めて飲酒運転…ということになりかねないので、ここでいったんサヨナラをしたかった。
そしてゆっくり飲みたかったので、2時間後の15時にここで再集合ということにした。
 
「約束は守れよ」
「日本人は約束守る民族だ」
「俺の顔は覚えたか、車のナンバーを控えろ」
「覚えてるし。っていうか、お前、来いよ。何かの用事を作って15時にいなかったらほかのドライバーに声かけるからな」
といって、まずは前金で、当初の乗車だった、町までの50Rs.を払った。
これで兄ちゃんは損をしないし、もし来なくても、僕らも損失なくシーギリヤに向かうことができる。
 
 
 
 
このあと、一軒の居酒屋を見つけ、初めてのライオンビールを飲んだのだが、あまりに勢いよく飲みすぎて、写真を撮ることをまったく忘れていた。
確かにビールはうまかった。
本当にうまかった。
 
 
 
そして2時間後、スーパーで買い物を終えた僕たちの前には、ダンブッラのナイス・ガイがトゥクトゥクを背に立っていた。
 
 
 
 
 
 
約束を守るとは、スリランカ人、なかなかやるな。
国は違うが、インド人とは大違いだ。
 
スリランカとインドの違い。
旅の時間が増えるにつれ、この差異が大きくなっていくのだった。
 
 
「待ってたぞ。さあ、シーギリヤへ行こうぜ!」
 
 
(つづく)

スリランカ酔夢行(6)ダンブッラ、こりゃええわ

2020年09月25日 | スリランカ2019
スリランカには世界遺産に指定された遺跡や寺院がいくつかあるが、この歳になると&特に興味のない嫁さんを連れての旅行となると、そうした見どころを隈なく見てやろうという元気はなかった。
 
今回の旅の最大の観光スポットはシーギリヤロックで、ぶっちゃけそれを見ることができたら万々歳だったのだが、時間があって、少し足を延ばせば世界遺産があると知ったら、そりゃまあ、暇つぶしがてら行こうと思うよね。
 
 
ダンブッラという町には「黄金寺院」と呼ばれる寺がある。
wikipediaによると、
 
スリランカで最も保存状態がよい石窟寺院として知られている。黄金寺院の周辺には、確認されているだけで80以上の洞窟がある。黄金寺院において重要な寺院は5つであり、そのそれぞれに聖像や絵画がある。これらの聖像や絵画は、釈迦とその生涯に関連したものである。153の釈迦像、3つのスリランカ王の像、4つのヒンドゥー教の神像が祀られている。壁画の面積は2,100平方メートルに達し、絵画には、釈迦が最初に説教を行ったマーラへの説教も含まれている。 
 
ということだそうだ。
 
町にたむろするトゥクトゥクと交渉し、荷物を置いて身軽になった我々は寺へ向かった。
 
 
 
 
確かに岩を掘って石窟が作られている。
そして、この気候。
とても晴れていていいのだが、非常に暑い。
寺院内は裸足にならないといけないので、陽が当たっている部分は暑くて歩けやしない。スリランカ人は顔色一つ変えずに歩いているが、仏様のご加護あるゆえか?
 
 
 
内部は、圧巻。
岩の至るところに曼荼羅のように仏画が描かれている。
これはすごい。
そして、本当に保存状態がいい。
 
 
 
 
 
仏でビッシリ。
スリランカでは仏様にお尻を向けちゃいけないので、石窟内は蟹歩きで移動するしかないので要注意(うそ)。
 
 
 
 
上座部仏教の国で、あまり壁画を見てすごいと思ったことなかったけれど、ここは本当にすごい。
さすが、仏教初期からずっと信仰が続いてきた国だぜ。
 
 
 
 
一つひとつ拝んでいたんじゃ、日が暮れちまうよ!
まとめて南無南無しちゃっても、仏様は許してくれるはず。
 
 
 
 
 
涅槃像だけど、お目々はパッチリ。
 
 
 
 
 
仏像前には、色鮮やかな生花が捧げられていた。
ここは観光地ではあるが、現役バリバリの信仰の場だ。
 
 
 
 
 
参拝している人と比べると、仏像の大きさや壁画の緻密さが分かる。
 
 
 
 
5つの石窟寺院はほぼほぼ繋がっていて、連続して見ることが可能。
ここは本当に見応えがあった。
遺跡に来て満足することが少なくなった観光インポな僕だけど、ここは二重丸。
シーギリヤに行く途中で、ぜひ訪れてほしいスポットだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また来いよ、と仏様から言われている気がした。
 
 
 
(つづく)

スリランカ酔夢行(5)バスでダンブッラへ

2020年09月24日 | スリランカ2019
深夜までペラヘラを見て、空腹の限界を迎えていたが、結局祭りが終わる時間帯にキャンディの街はほとんどが眠ってしまっていた。
かろうじて開いていたレストランで大盛りのフライドライスを胃に詰め込んで、ビールを飲むことなく、この日はホテルでバタンキュー。
スリランカといえばライオンビールを飲みにきたようなものなのに、初日は飲むことができなかった…。



翌朝、ホテルの朝食を食べ終わって、すぐに移動することにした。
キャンディの街は見どころも多いのだろうが、ペラヘラ期間中は完全に祭りモードになっているため、通常の観光はできなそうだったからだ。




さっさとバスターミナルに移動。
並んでいるのは長距離バスなのだが、車体は街の中を走るバスと同じタイプ。
市バスが長距離を走る感じなので、人数は詰め込めるが、窮屈だ。



大きな街へ行く場合は、ワゴンタイプのバスもあり。
値段は高くなるが、おそらく圧倒的に早い。
そもそもスリランカの交通費は非常に安い。
社会主義ということも関係しているのだろうか。
数時間乗っても百数十円なんてこともあるので、VIPバス的なものがあったら積極的に乗りたいところだ。
ただ、このワゴンタイプのバスは、時刻表があってないようなものなので、だいたい満員近くにならないと発車しなかった。



バスに乗り込んだはいいが、なかなか発車しないので、ターミナル内の果物屋で買い物。
色鮮やかな果物が並ぶのは南国ならでは。




バスが発車して数時間、ダンブッラの街に到着。



ダンブッラはスリランカの中でも交通の要衝となる町の一つで、いろいろな方面からバスがひっきりなしに走ってくる。
バスは市バスタイプのものが走っていると前述したが、バスのフロントにはルート番号が記されており、これも市バスっぽい。
長い距離になると丸一日走り続けるルートもあるようだ。

ダンブッラの町にはバスターミナルもあるのだが、ターミナルは近郊行きのバスの発着がほとんどで、長距離を走るバス、旅行者の利用率が高いバスは、幹線道路沿いに一時停車するだけで、次々と走り去っていく。

上の写真は、ただの路上だが、ダンブッラのバスターミナルである。
ここから世界遺産のシーギリヤロックや首都のコロンボなどに行くバスに乗ることができる。

スリランカのバスは路線バスを乗り継いでいく、太川・蛭子のバス旅と同じスタイルなので、方向が一緒だったらとりあえず乗って、途中で乗り換えてということが簡単にできるようだった。


僕らはこの日はシーギリヤに宿泊予定だったが、時間があったので、昼間の間にダンブッラ遺跡を見学することにした。

善良そうな店を選んで、数時間荷物を預かってもらうことを交渉(もちろんお礼は払った)。
身を軽くして、いざトゥクトゥクで、世界遺産の寺院へ。


(つづく)

食べ歩くインド

2020年09月23日 | 京都編集邁進道
 
 
 
 
旅行人から発行された「食べ歩くインド」を購入。
「北・東」と「南・西」エリアに別れて、1冊2200円の全2巻。
 
インドのさまざまなエリアの食事の特徴が記されているだけでなく、現地のおいしいと言われるレストランの紹介まで載っている。
ガイドブックを見れば観光地はわかるけれど、インドでおいしいレストランにたどり着くことは本当に難しいので、これはすごい本だと思う。
これからインドに行く人、インドに興味ある人は、一読の価値あり。
 
 

スリランカ酔夢行(4)ペラヘラでフラフラ

2020年08月28日 | スリランカ2019
ペラヘラという祭りをなめていた。
交通規制が敷かれたエリア内は、車道と歩道が柵で区切られ、歩道の中は、見物客で埋め尽くされていた。
車道に立っていると、警官が寄ってきて、どこかに移動せよと言ってくる。
どこかに少しでも隙間があれば…と淡い期待を抱きながら、うろうろしてみるが、自分たちが立ち入れるスペースなんてまったくなかった。

車道を歩きながらそんなことを考えていると、「ハロー」と、チャラそうなスリランカ人の兄ちゃんが声をかけてきた。

「祭りを見にきたの?」
そう。大人気だね。こんなに混んでいるとは思わなかった。
「この時間だと、ほとんど席はないよ」
そのようだね。
「でも、僕は席を紹介することができる」

ダフ屋だった。

そうなんだ。
「とても良い席ではないかもしれないけれど、落ち着いて見ることができる椅子席が用意できるよ」
と兄ちゃんが指さしたのは、祭りのコースに面して建っている靴屋の軒先だった。
店前の歩道には、びっしりスリランカ人が座り込み、祭りの開始を今か今かと待っている。

「あのスニーカーショップの店の先に椅子がある。そこで祭りを見ることができるんだ。もし途中でトイレに行きたくなってら、店のトイレを自由に使える。歩道の席より、高い位置にあるので、邪魔されず祭りを見ることができる。どうだい?」
軒先にプラスチック製の背もたれ付きの椅子が並べられている。
その中の最前列に座っていいみたいだ。

それでいくらなの?
「一人3000Rs.(約2500円)」
高いね。
「祭りだからね」
もう少し安い席はある?
「どうなんだろう? うちは、もうこの値段以下にはできないんだ。もうすぐ祭りが始まる。決めるなら、今だよ」


ルート上には人が集まりつつあった。
本当にもうすぐ始まりそうだ。
ここで、多少の金額をけちって見れないよりは、しっかり払ってでも確実に祭りを見たい。

OK、お金を払うよ。
「ありがとう! よい思い出になりますように」

嫁さんとの2人分で6000Rs.を払った。
今日スリランカに着いたばかりで、ほとんどこの国の物価もわかっていないので、この金額が高いのか、相場なのか、さっぱりわからない。
おそらくそこそこボラれているのだろうが、こうなったら、楽しむしかないだろう。
祭りが、始まる。



半裸の男たちが現れ、太鼓の音に合わせ、ファイヤーダンスを行う。
よく見ると、リズムも、衣装もそれぞれ異なっているので、いろんな地域が順番にやってくるのだろう。







そして、メイン。
それは、普段は寺院に祀られているブッダの歯だ。
聖なる象の背に揺られて、街を巡るのだ。



象が見え始めると、みんな総立ち。
立ち上がらねばならないルールのよう。
そして、拝み始まる。





LEDの電飾を体中につけられた象の背に、ひときわ輝く宝物!
スリランカの国宝だ!
ブッダの歯だ!
ありがたや!
南無阿弥陀仏!
南無妙法蓮華経!
南無大師遍照金剛!
オムマニペメフム!


ブッダの葉が過ぎ去っていったのちも、祭りはまだまだ続いた。
そして、人がまったく去らないので、帰ることもできず、ずっと席から延々とファイヤーダンスを見ているのだった。


終了したのは、深夜12時。
準備が悪かったので、晩ごはんも食べてないし、水も飲んでいない…。
疲れた…。



(つづく)


スリランカ酔夢行(3)キャンディでペラヘラを

2020年08月27日 | スリランカ2019

新型コロナウイルスの影響で、旅行をするという行為は、夢のまた夢になってしまった…。
せめて、過去の旅を振り返りつつ、いまは収束を祈るしかない…。
それにしても、この状況、どこで折り合いをつけていくべきなんだろう。


というわけで、スリランカ旅の続きを。







スリランカ入国から、コロンボ市内で荷物を預け、急ぐようにキャンディに来たのは、「エサラ・ペラヘラ」という祭りが行われているから。

Wikipediaによると…

ペラヘラは行列を意味する言葉で、祭り自体はスリランカ国内各地で行なわれているが、キャンディのエサラの月の新月から満月にかけての2週間で行なわれるエサラ・ペラヘラ祭は、中でも最大の規模である。
仏歯を納めた舎利容器を背に乗せた、装飾(電飾)されたゾウを先頭に、音楽隊やダンサーなどの群が街中を歩いてパレードするのがペラヘラの由来となっている。


ということで、どうやらスリランカ最大級の祭りっぽい。

かなりの長期間行われている祭りだが、旅行した時期はもう終盤にさしかかっており、ほかの街を観光してからだと、祭り最終日にギリギリ間に合うかどうかというスケジュールだった。
もちろん祭りの最大の山場は最終日であり、訪れる人出も最高潮に達するらしい。
もし宿がなかったら、移動手段が確保できなかったら、などと考えると、嫁さんを連れて移動する身としては、そんな事態は避けたかった。
祭りは見たいが人出はなるべく少ない時期ということで、入国したその日の夜に祭りを見ることに決め、大急ぎでキャンディへやってきた。





ホテルにチェックインして、のんびりしていたらもう夕方の気配が。
キャンディの中心にある湖。実は人造湖らしい。





湖畔にはショッピングモールがあった。
祭りが始まるのは夜からという情報を得たので、散歩がてら見学。
中には、VRゲームセンターも。
なんか、スリランカのくせに進んでるよね。
いや、日本が遅れているのか?
ゲームは1回200円程度だった。




寺院がきらびやかに飾られているが、祭りモードに入っているため、参拝はかなわなかった。



日が落ち始めると、町に警官の姿が多くなり始め、徐々にあらゆる道で交通規制がひかれるようになっていった。
道ゆく人も、どんどん増えていっている。
これは、早く場所取りをしなければいけないのではないか。
と、思っていたら、





もう歩道には大量のスリランカ人民が待機していた。
足の踏み場もないとは、まさにこのこと。

焦り始めて道を進んでいくと、男女別のセキュリティーチェックがあり、念入りに身体中を調べられた。
先般起こったテロを警戒しているため、異常なほどセキュリティが厳しい。
持っていたペットボトルの水も当然、没シュート。



そして、祭りが行われるであろう、交通規制がしかれたエリアの歩道は、見物客で埋め尽くされている。
これはもう自分たちが見るスペースがないのではないか。
ここまで来て、見れずに帰らなければいけないのではないか。


と最悪の状況も覚悟しかけたとき、

「ハロー」
とスリランカ人の兄ちゃんが声をかけてきた。



(つづく)


再びのテレワークへ

2020年08月05日 | 京都編集邁進道
コロナ、収まったと一瞬思ったけれど、有識者の予想通り、第二波がきた。
毎日暑くて、今日なんか京都は38℃だってさ。
マスク、外したくなるよね、蒸れ蒸れだもの。

そんなこんなで、再びのテレワークが決定。
ついに僕にもノートPCが支給されることになり、お盆明けから自宅にて勤務。

また太るようなことがないように、今度こそ、毎日の仕事終わりのビールは自重しよう。



自粛疲れからの緩和

2020年07月20日 | 京都編集邁進道

コロナ騒動で自宅勤務となり、毎日外出しても近所のスーパーのみという生活を2か月程度送っていたら、あっという間に数キロ太った。
さすがに仕事中は酒を飲んだりしなかったが、業務終了の5秒後には冷蔵庫を開けて、ビールを飲んでいた。
そりゃ太るわな。


感染者も落ち着いてきて、緊急事態宣言も解除され、仕事の都合もあり、6月末から通常の勤務に戻った。
電車と徒歩で片道1時間。往復2時間の出勤の日々が戻ってきた。
特に何か運動をしれいるわけではないのだが、1日4km程度のウォーキングをしていると、自然と体型も元に戻ってきつつある。


そして、酒場巡りも解禁し、休みのたびにうろついているのだが、コロナの第二波が来たようで感染者がドンドン増えている。近所のマクドナルドも、最寄りの駅の駅員も、陽性患者が出たようだ。
遠い世界の話だと思っていたが、どうやら本当に隣にまで迫ってきているようだ。
もしかすると僕も感染しているかもしれない。
そんな不安を感じながら、コロナ自粛の話を肴に、今日もビールを流し込む。





記事が公開停止になっちゃった

2020年06月24日 | 京都編集邁進道

しばらくぶりに、ブログを立ち上げてみたら、運営から以下のような連絡が。


アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により、又は、法令上規定された手続により現在、1件の記事を公開停止させていただいております。
該当箇所の修正・削除をしていただき、gooIDを明記の上info@goo.ne.jpまでご連絡ください。確認後再表示いたします。


いやーん。
そんな意識まったくなかったのに、何があかんかったの、と該当記事を見てみたら、ブルガリアのソフィアでストリップに行ったことが書かれていた。
いろんな写真が貼ってあって、それがアウトだったらしい。

これまで、よっぽどのことがない限り、いったん公開した記事はそのままにしてきたけれど、さすがに運営に目をつけられちゃあ、おとなしく引き下がるしがございませんよ。10年以上も無料で遊ばせてもらってるわけだし。

ということで、記事一つなくなりました。
よくよく思い返してみると、公序良俗とは縁遠い内容のものも数多あるので、いずれは消えてしまうかも…。




テレワークから2か月が経過

2020年06月15日 | 京都編集邁進道
テレワークが始まり、家にこもることが多くなった生活を送っている。
こんな状況もすでに2か月が経過。
会社によると、ひとまず7月中旬ごろまでは、このままの状態みたい。
これ、もう出社しない方向になるんじゃないの?

そんな日々、ようやくアベノマスクが届きました。
布マスク。
給食の時間につけてたね。




テレワークから1か月が経過

2020年05月15日 | 京都編集邁進道
新型コロナウイルスの影響でテレワークとなって、早や1か月。
会社から持ち帰ってきたPCも、いまやすっかり我が家に定着し、朝から夜まで机に向かう日々だ。

始める前は、テレビを付けてさぼってしまうんではないだろうか、などと心配していたが、まったくテレビをつけなくても平気だった。午前も午後も、どのチャンネルでもワイドショーや時代劇、韓国ドラマばかりで、まったくおもしろくないからだ。
こんなときくらい、テレビも過去の名作を放送しろよ。
古畑任三郎とかやっていたら、絶対毎日見ちゃうぞ。

会社にいるときは絶対できなかったが、自宅で好き勝手できるので、音楽を聴きながら仕事をしている。
インターネットラジオ「radiko」の中から、ラジオNIKKEI第2「RaNi Music♪」がお気に入りだ。ほぼノンストップで音楽のみをかけ続けてくれる。
毎日聴いていると、重複感も否めないけれど、それが流行っているということではないかと、おじさんは自分に言い聞かせている。

緊急事態宣言も、ようやくとりあえずの終わりが見えてきた。
首都圏、関西圏ではもう少しだけの辛抱が必要だが、でも、たぶん、さすがにそろそろ明けるだろう。
さて、そのときはどこに行こうかな? まずは近所の居酒屋から、小さな旅を始めようか。