放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

ガンシセイノウホウ(2)

2021年11月08日 | 大阪編集精進道

大学病院ではさんざん待たされた挙句、歯医者と同じようにレントゲンを撮られ、さらにCTスキャンも撮られた。
そして、歯医者の先生と同じことを言われた。
「で、いつ入院しますか? 手術は火曜日と金曜日なので、月曜日か木曜日からの入院でお願いしたいです」
そう急かされても、中途新入社員の僕は、以前のように自分の都合で休みを決められない。
「入院はいつでもご都合のよいときで大丈夫ですが、なるべく早くに行うことをおすすめします」

会社では先輩社員、上司に報告。
とりあえず大きな波が終わる10月後半まで待てるのかと聞かれ、それは問題ないと伝えると、可能であれば11月に入ってからのほうが部署としてはありがたいと言われた。そして、入社して半年未満のため、有給休暇がないということも。

手術の空き、仕事の都合などを考え、入院は11月8日からに決まった。


手術の説明を聞きに行く。
入院前にPCR検査を受ける。
などで、2回ほど通院して、いよいよ入院の日を迎えた。

(つづく)



ガンシセイノウホウ(1)

2021年11月07日 | 大阪編集精進道

「ガンシセイノウホウ」です。
最初何を言われたのか、さっぱり分からなかった。

コロナの流行以降、久しく歯医者に行っていなかった。もう二年は行っていないのかもしれない。
奥歯の調子が悪くなり始め、なんとなくしみるようになってきた。気になり始めると、日増しに痛みが強くなってきている気がする。

これまでは京都の職場近くの歯医者に通っていたが、転職したことで、かかりつけの歯医者がなくなってしまった。
日本では、いまやコンビニよりも歯医者のほうが多いそうで、家の近くにもいくつも歯医者は見かけるのだが、当たりはずれを考えると気軽に足を運びにくい。
そこで、歯科衛生士の友人に連絡し、僕の自宅もしくは職場の近辺で良い歯医者がないか尋ねてみた。
隣駅に大学病院の口腔外科で働いていた知り合いが歯医者を開業したという。
さっそく予約を入れ、行ってみた。

初診のため、状況を聞かれ、レントゲンを撮ることになった。
新しくできたため、設備のすべてが新しい。
診察台も心なしかクッションがいいようだ。
レントゲンの結果も、昔のように現像するのではなく、データでiPadに送信され、診察台に座りながら結果を確認することができる。
「虫歯で来ていただいたんですけどね、」
医者はちょっと間をおいて、
「それより先にお話しなければいけないことがあります」

レントゲンを見ると、立派な親知らずが上下左右にしっかりと写っていた。
「で、ここを見てほしいんですけれど」
左下顎の親知らずを指して、
「歯の頭に大きな丸い物が写ってますよね」
風船のように膨れた丸い物が歯の先端を覆うように写っている。
まるで、パイシチューのようだ。

「ガンシセイノウホウ」です。
えっ? 最初何を言われたのか、さっぱり分からなかった。
「含歯性嚢胞と言います。おそらく良性のものだと思いますが、これほど大きなものはなかなか見たことがないです」
大きいね、なんて、初めて言われた…。すこしこそばゆかった。
「下顎などに痺れなどはないですか?」
特にないと伝えると、それはよかったと医者は微笑んだ。
「いまは無症状かもしれませんが、これからさらに大きくなると、神経を圧迫して、顎の表面の感覚がなくなってきます。そして、下顎の骨を浸食してきます。顎が骨折しやすくなったりすることもあります。大きな病院に紹介状を書くので、すぐに行ってください。まず間違いなく、手術で抜歯することになります。全身麻酔をかけての手術です。入院も3~4日間は必要になります」
奥歯の痛みを忘れるくらいの話だった。
ただ、虫歯を治してほしいだけだったのに…。

僕は大学病院への紹介状を持たされ、歯医者を出たのだった。

(つづく)


ずっとモヤモヤしてたこと

2021年09月16日 | 大阪編集精進道
まだ、オリンピック、パラリンピックのことを引きずってて申し訳ないんだけど、
パラリンピックの閉会式もなかなかよかった。
オリンピックで見せられた東京音頭。
あれ、いったい何だったんだろう…。
完全にやっつけ仕事のような気がしてるのよ…。



パラ五輪

2021年08月25日 | 大阪編集精進道
パラリンピックの開会式、よかった。
面倒くさい横槍が入っていない感じで、クリエイターたちがやりたかったことが表現されていたのではないか。
競技のほうも、もちろん楽しみ。
無観客になってしまったことがつくづく惜しまれる。
このスタジアムにいたんだな、と妄想しながらテレビ観戦するとしよう。

東京五輪

2021年08月09日 | 大阪編集精進道
東京五輪、なんだかんだで結局開催して。
そりゃ、人生をかけて頑張っているアスリートの姿を見れば誰だって感動するよね。
各マスコミは、あれだけ開催中止や延期をあおっていたくせに、節操なく、よくも平気な顔をして五輪中継なんてできるものだと思ったのは僕だけではないはず。

なんかすべてコロナのせい、みたいになっているけれど、違うよね。

スタジアムの建築デザインやエンブレム盗用から始まって、弁当破棄や金メダルかじるバカまで出る始末。開会式も閉会式も、けっきょく何を発信したいのかわからない。「復興五輪」をするんじゃなかったのかよ。
どこいった復興? スカパラやmiletや大竹しのぶじゃ、何にも伝わってこなかったぞ。

閉会式での、次回パリ五輪の中継がめちゃくちゃかっこよかった。
エッフェル塔の下で、オルセー美術館の中で競技ができるのか?
そんなん、めちゃくちゃかっこいい。
日本を貶める気は毛頭ないけれど、やはりこういうイベント的なものについてのアイデアを実行力は、日本はメダルが取れるレベルに達していないということを世界に知っていただけただけの大会になりましたね。



五輪

2021年06月24日 | 大阪編集精進道
パラリンピックの陸上最終日のチケット持ってるんだけど、どうなるんでしょう。

オリンピックは観客入れたとしても、パラリンピックは競技者への感染対策で、無観客になる気がするんよねえ。


生きてます

2021年06月02日 | 大阪編集精進道
転職したことで、まったくバタバタしてしまい、気がついたらブログを放置してました。
生きてます。
更新していきます。


京都から大阪へ

2021年03月24日 | 大阪編集精進道

こんにちは。ご無沙汰しております。

なんて挨拶から始まるブログ記事を書いたのは7年ほど前。
時間というものはあっという間に過ぎ去りますな。まさに光陰矢の如し。

さて、ご報告です。
この度、京都の編集プロダクションで働く日々から離れ、転職をすることにしました。
4社目です。
まさか自分の人生がこれほど仕事を変えるとは思ってもみなかったけれど、そういうことになっちゃったんだから仕方がない。
勤務地は大阪です。

4月下旬まで現在の会社に勤め、その後、このご時勢ではありますが、ちょっとだけ妻を放置して旅人に戻り、連休明けから新しい仕事に就く予定です。

転職なんて、本当にタイミングでしかないんだけど、自分でも驚くくらいのスピードで決めてしまいました。
この一年、コロナ禍で自宅勤務になって、誰とも会わない、話さないのが当たり前になっていて、少しだけ自分と向き合う時間が増えたのがきっかけだったのかもしれません。
40代も半ばに差し掛かり、これからの人生を考えてみたときに、もう少しだけこの業界で編集者として働いていきたいと思ったんです。

と言っても、別に今の仕事に不満があって辞めるわけではなく。
仕事は任せていただいている部分が多く、極端な表現をすれば、自分の好き勝手にやらせていただいているような、申し分ない環境でした。京都にまつわるいろいろな人に出会え、現場を見ることができ、観光客の立場では足を踏み入れることのできないエリアを覗いたりと、京都での7年間は本当に楽しい日々でした。
そして、時間も自分で比較的自由に調整することができたので、会社員という立場でありながら、さまざまなところを旅することができました。

ただ、年齢を重ねてきた中で、現場の空気感と自分との温度差というか、雰囲気の乖離を感じることが多くなったのも事実。正直、これが今回の離職の大きな理由の一つです。
自分は編集者という立場で、企画をたてて、ライターやカメラマンに仕事を依頼して、頭の中のアイデアを形にしていく仕事がほとんどでした。
京都に来ることになり、編集プロダクションという言わば下請けの立場に変わり、発注する側から仕事をいただく側に変わったことで、仕事との向き合い方が大きく変わりました。もちろん、そんなことは覚悟の上での上洛だったわけです。
かつて自分が編集者だった時期は、一緒に仕事をするメンバーは、やはり気心の知れた人を選ぶことが多く、必然的に同年代が多くなってきました。おそらく僕がまだ東京にいて、会社は変われども、何かしらの媒体をつくっていたのであれば、前職などで得た人脈を活用してものづくりをしていたのだと思います。
そして、これからも何か手が足りないときがあれば、これまでの知り合いにまず声をかけると思います。
僕はこういう考えなのですが、まあ、多分ほかの人も同じ考えなんだと思ってるんですね。
そんな中で、仕事の発注元である編集の方々と、僕の年齢が年々離れていっていることに気づいたのは四十路になるかならないかの頃でした。
おそらく、出版社で働いていたら、40代ともなれば管理職になって現場仕事に出ることは少なくなるのでしょう。現場に出るのは、まだフットワークも軽く、頭の柔軟な若い人たちのほうがいい。
ライターとして現場に赴く度に、編集が若い人だった場合、こんなオッサンがライターで来るよりは、同年代の人のほうがいいに決まっている。これはかなり僕の偏見ですが、僕が編集者だったらそう感じるだろうと思うと、なんかもう取材に出ていく感じではないのかもしれない…とも思っちゃったんですね。
ライターとして、現場で直接いろいろな人に出会えるのは、本当に勉強になるし、楽しいし、ずっと続けていけるだけの仕事でもあると思うんです。でも、やはりちょっとでも仕事に対する姿勢に疑問を持ってしまったら、その隙間から水が滲み始めるように、徐々に新しい世界への興味が出てきました。
そしてもちろん、給料のことも。正直、紙やWeb媒体を中心とする業界でライターをしているとガッチガチに稼いでいくって結構厳しいと思うんです。業界そのものが斜陽ですし。


そんなことを自宅勤務をしながら、ランニングをしながら、もやもやと考えている中、まあひょんなことから次の仕事を知り、まったく新しい世界に飛び込んでみるのもいいかもしれないと思ったわけです。
いい刺激になるのか、悪しき選択になるのか、それは分かるわけもないので、今はただ次に向かって進んでいくことだけだなと考えています。

かつて僕が旅人だった頃、たまーにブログに「前へ!前へ!前へ!」と書いていました。
これは、中華人民共和国の国歌「義勇軍進行曲」の歌詞の一部(前進!前進!進!)をまねたもの。
今いるところから一歩進む、その積み重ねが旅になるのではないかということを考えてたわけですが、2021年になってもその気持ちは変わらず。
まだ旅の途上なのかもしれません。



カウントダウン

2021年02月16日 | 京都編集邁進道
新しい旅に向けて、それはもう動き始めている…。



スリランカ酔夢行(14)さらばスリランカ

2021年01月21日 | スリランカ2019
かなーーり長引いてしまったスリランカ旅行記もこれで最後。
ダラダラと失礼しました。



街を歩いていると、喧騒を耳にした。
近づいていくと、



祭り、だった。
あまりにも巨大な山車。道を埋め尽くすほどの人。

この感じ、キャンディで見たペラヘラ祭とは趣が違う。
どちらかというとインドで見たような感じ…。


どうやら南インドにルーツを持つタミル人のイベントのようだった。


山車の前には鳴り物が。
否が応でも盛り上がってしまう。



道端にはお供物などが。
何の祭りかはわからないが、道端にいるのは全員タミル系っぽい。
おじさん(お兄ちゃん)たちは、仕事そっちのけで祭り見物。


旅先で予期せぬ祭りに出合うのは、本当に嬉しい。
この祭りの目的も何もわからなかったけれど、みんな浮かれている感じが、平和的でよろしい。

スリランカに降り立って、ペラヘラに始まり、タミルの祭りで締めくくることができた。
ライオンの島や光り輝く島という名を持つこの国。
観光地を早足で巡ってしまったが、今度訪れることがあればもっとゆっくり、海でも眺めながら過ごしてみたい。





コロンボのバンダラナイケ国際空港。
出国前の最後の一枚。
空港内の出国カウンター以降には、お土産店もかなりあったので、余ったルピーはここで消費。もちろんお値段はエアポートプライス。







復路ももちろんバンコク経由。
ドンムアン空港に着いて、行きと同じくアマリ・エアポート・ホテルにチェックイン。
なんとなくムーガタを食べたくなってしまったので、ホテルの人に聞いて、タクシーで近くのムーガタまで。




肉・野菜・炭水化物などすべてのものが食べ放題で250バーツ。
ビールは別料金だが、どんどん飲んじゃう。
暑さの中、ビールの中に入れた氷がものすごいスピードで溶けるのを眺めながら、旅の最後の夜が過ぎていった。



(スリランカ酔夢行 完)

スリランカ酔夢行(13)コロンボ 町歩き

2021年01月20日 | スリランカ2019
アフタヌーンティーの後は、お土産ショッピングへ。
嫁さんと旅するようになってから、この時間が必要になってしまった。
各店舗の写真はなかなか撮れないので、町歩きの画像でお茶を濁す。



やたら象が並ぶ。
そういえば、スリランカは象がいる。
象に乗ってシーギリヤロック詣もできるようだった。
嫁さんに「一度乗ってみたら」と言うと、まったく興味がないと断られた。
「象の毛って、針金みたいに硬いよ」と言っても、特に興味を示さなかった。





旅先では、ポストを撮りがち。







線路も、撮りがち。







よくわからない寺も撮りがち。
仏塔が大切にされているのを見ると落ち着くのは、僕は仏教徒だからだろう。






見返すと、どこかわからない写真も撮りがち。






コロンボの下町に建つ、ジャミ・ウル・アルファ・モスク。
モスクは、美しい。
異教徒でも入れそうだったが、酒を飲んでいたので諦めた。






国営紅茶局のショップ。
目移りするくらいの銘柄が並んでいて、お値段もピンキリ。
まさにお土産ショッピングに最適。





街角のココナツ売り。
1個80円くらいで、その場で飲めるように切ってくれる。
ストローを入れてチュウチュウと飲んでみたが、やはり南国では常温のドリンクってそこまでおいしく感じないよね。

それにしても、この人、どこにでもいるようなオッサンなのに、けっこう流暢な英語を話していた。
ダンブッラのトゥクトゥクドライバーも、コロンボのUberのドライバーも、酒場で働くスタッフも、道を尋ねたビル警備員も、そういえば彼らと英語で会話していたけれど、完全に意思疎通がはかれていた。スリランカの人たちの英語のレベルって高いと思う。隣国インドでは、町で話しかけたって誰でも会話できない。


スリランカは仏教国なので、日本ほどではないが、酒はいたるところで売っている。
飲酒はあまり褒められた行為ではないようで、地元の人おおっぴらに飲んでいる人はいない。けれど、飲んでいても怒られることはない。
外国人だから、と言い訳をしながら、ほろ酔いで街を歩く、この楽しさよ。


(つづく)


2020年私的映画ランキング

2021年01月09日 | 電影

毎年年始恒例の記事です。
昨年観た映画をまとめてみました。

題名の後ろに★が付いているのは、映画館で観賞したもの。



「チョコレート・ファイター」
「男はつらいよ お帰り寅さん」★
「無宿」
「単騎、千里を走る。」
「キリング・フィールド」
「あなたへ」
「来る」
「ヒトラー暗殺、13分の誤算」
「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」
「君の名は。」
「シコふんじゃった。」
「プラトーン」
「エリジウム」
「アルナとその好物」
「ジュマンジ」
「天使にラブソングを」
「イップ・マン 継承」
「シックス・センス」
「パシフィック・リム」★
「ブンミおじさんの森」
「飢餓海峡」
「CLIMAX」★
「キングダム」
「アンダーグラウンド」★
「丹下左膳 百万両の壺」
「カンフー・ヨガ」
「エレファント・マン」★
「マンハント」
「御法度」
「パーフェクト・ワールド」
「遥かなる大地へ」
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
「ユージュアル・サスペクツ」
「タクシー運転手 約束は海を越えて」
「ハリー・ポッターと賢者の石」
「テネット」★
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」
「リバー・ランズ・スルー・イット」
「許されざる者」
「ハドソン川の奇跡」

以上、全40本でした。

2017年は36本、2018年は34本、2019年も34本でした。
コロナに振り回された2020年は、自宅にいてばかりでしたが、案外映画って見ないものなのね。




以上の映画から、2020年の私的ベスト3を発表。
コロナのせいで映画館が閉まっている状況だったので、テレビで放映されていた映画ばかりを見ていて、何度目の映画というのが多かったです。

「テネット」は確かにすごい映画だったんだろうけど、あのシステムが僕の頭では理解できるまでに時間かかかりすぎて、映画はどんどん進んでいってしまうし、もう頭がパンクしてしまったので、次点にしました。一緒に見た嫁さんは「考えるんじゃなくて、感じるのよ」とカンフーの達人みたいなことを言っていましたが。



ということで、
まずは第3位。

「男はつらいよ お帰り寅さん」


なんだかんだ言って、「男はつらいよ」が好きなわけで。
ものごころついて、寅次郎が旅している壮大なマンネリ世界を好きになったのは、渥美清が鬼籍に入ってからだった。それまで正月(昔は年2回)の恒例行事として映画館で封切りされていたのを目にはしていたが、観ようとまでは思えなかった。
でも、いつの間にか、「ったく、毎度毎度、よくも懲りずに人を好きになるもんだね」なんて、団子屋のおいちゃんやおばちゃんのように、心の中で寅さんに愚痴ってみたり、いつの間にかあのファミリー視点で映画を楽しんでいることに気づく。
この映画って、たいてい最後は正月のシーンで終わるんだよね。映画で普段と変わらない柴又のバカな光景を目にした後、「終」の文字が出る前に束の間の正月がスクリーンでも映し出される。観客は映画館を後にして、そのまま自分の町の正月に溶け込んでいくことができる。
こんな時代だからこそ、何も変わらない「葛飾柴又」の光景が大切なのかもしれない。
ちなみにこの映画は、これまでの49作を観てきた人のための、ご褒美的な映画なので、これだけを観てはいけないし、この作品だけで評価してもいけないのだ(と個人的に思う)。
車寅次郎の映画を、映画館でリアルタイムで観ることができた。ただその思いで3位にランクインです。









続いて、第2位。

「CLIMAX」



もう、これはとんでもなくひどい映画。
大雪で封鎖された建物内でドラッグを摂取し、集団トランスに入ってえらいことになるという映画なのだが、人間が通常見たくない光景がこれでもかと飛び込んでくる。
とにかく吐き気を催すこと間違いなし。免疫のない人はみないほうがいい。
わかりにくく言うと「バッド・トリップ」した感覚が90分にわかって延々と続く。
ダンス、アルコール、ドラッグ、セックス、バイオレンス…etc.
人間の欲望と本質が詰まりまくった、もう引き返せない濃密な時間。
インパクトの強さで、2位にランクインです。









そして、2020年の私的映画第1位 は、

「タクシー運転手 約束は海を越えて」


1980年に韓国で起こった光州事件での実話を基にした作品。
独裁政権に対して民衆が蜂起し、軍や警察が武力制圧をした事件の真実を海外に報道したドイツ人記者と彼を乗せて運んだタクシー運転手が主人公。
ストーリーはある程度脚色されているのだろうが、登場する韓国の男たちが熱いのなんの。見ているこっちが照れるくらいの喜怒哀楽を豪速球で投げつけてくる。
全編にわたって、ハラハラしたり、ホロリとしたり、手に汗握ったりと、エンターテイメント的にも満足した。
堂々の1位というわけでもないんだが、ほかの作品と比較しても、こういう話は個人的なツボだったので、1位に置いてみた。
ちなみにこの映画、中国では上映されていないらしい。なんか似たような事件を思い出させてしまうからなのかなあ…(棒読み)。




もう時代は、Netflixなどの動画配信全盛ですね。
月1000円も出せば、映画見放題ですからね。
夫婦で年に数回映画館に足を運ぶのと、どっちがいいのか、真剣に悩み始めてます…。

今年はどんな映画に出合えるのだろうか…。




2021年

2021年01月08日 | 京都編集邁進道
年、明けてましたね。

あけましておめでとうございます。
「正月は冥途の旅への一里塚」という言葉通り、ついこの間紅白を見た記憶があるのに、また紅白やってんの!?という思いが、年々強まってますわ。

2020年は、結局コロナウイルスに世界中が振り回された一年でした。
そして、大勢の人が亡くなりました。
幸い身近で罹っている人はいないけれど、2回目の緊急事態宣言が出ている以上、明日は我が身という言葉を肝に、一年を過ごしたいものです。

今年の目標は、例年同様ですが「生きる」です。
いつもなら冗談半分に聞こえる言葉も、今年に聞くとなんかリアルですな。

正月、近くの神社で引いたおみくじは、夫婦共に「末吉」でした。

今年も、細々とやっていきます。
どうぞよろしく。




スリランカ酔夢行(12)あふたぬーんてぃー

2020年12月03日 | スリランカ2019
昨夜は久しぶりに深酒をしてしまった。
バックパックの中に忍ばせておいたウイスキーの小瓶も、すっかりと空になっていた。ホテルに帰ってきてからも、水割りで飲んでいた。

朝起きて、若干の二日酔い。
この頭痛も胃もたれも、いい感じだ。迎え酒をしてやろうと、机の上に置きっぱなしになっていた昨夜の水割りの残りを流し込んだ。
嫁さんが起きたら、コロンボの散策に出かけよう。







インド洋は波が高く、夏なのに誰一人として泳いでいなかった。




スリランカはサーフィンのメッカでもあるらしいので、いつも波は高いのだろうか。
僕らは泳がない旅行者なので、見ているだけで十分楽しんだ。
少し雲行きがあやしいのが気にかかる…。




海岸線には大勢の観光客がインド洋を眺めていた。
そのほとんどがスリランカ人だった。
この国を訪れる外国人観光客は、もっときれいにビーチでリゾートに勤しんでいるか、世界遺産巡りに熱中しているのだろう。




海岸には、スイーツ&スナックの屋台も並んでいた。
ビニール製のよくわからないキャラクターのおもちゃや凧を売っている屋台もあって、軽い祭り感覚だ。
家族や友達連れで遊びに来ているスリランカ人が、楽しんでいた。
見ているだけで幸せなひととき。







海岸沿いを歩いていると、コロニアルホテルがあった。
ゴール フェイス ホテル。昭和天皇の宿泊したという由緒あるコロンボ指折りの老舗ホテルだ。
ちょうどお腹が空いてきていたので、ここでランチ代わりのアフタヌーンティーをすることに。



ドアマンに迎えられてホテルに入ると、物腰柔らかそうなコンシェルジュがいたので、アフタヌーンティーをしたいことを伝えると、とても丁寧に会場までの道順を教えてくれた。
ビジネスだからとわかっていても、語尾に「Sir」を付けられて悪い気はしねぇな。

大理石の長い廊下を歩く。
創業は1864年。もちろん当時はイギリス領。その頃日本は、幕末真っ只中。
数え切れないほどの要人がここを歩いたんだなあと想像するのが楽しい。




アフタヌーンティーは、1人1500Rs.(1000円くらい)。
本当は、お重みたいな何段にもなったトレーで出てきてほしかったが、このホテルはビュッフェ方式だった。

それでも紅茶がなくなればお湯を入れるかすぐに聞きにくるし、食べ終わった皿はすぐに新しいものを替えてくれるサービスの良さ。さすが5つ星ホテルだ。料金よりも、こういうサービスをたまに受けると、嫁さんの機嫌が非常によくなる。昨夜、場末の酒場で酩酊していたのが嘘のよう。あれもこれも、同じコロンボだ。


スリランカ旅行をするにあたって、嫁さんにはホテルのアフタヌーンティーを約束していた。嫁さんはセイロンでセイロンティーを飲むという行為に浸っていた。僕は、インド洋の潮風と日差しを満喫していた。夫婦の会話は少なめだった。






オープンテラスの席もあったが、風が強かったので、屋内を勧められた。
天気がよければ、インド洋をより間近にお茶してみたかった。

ちなみに、この中庭には、鳥対策専門のスタッフが常駐していて、手にしたパチンコで巧みにカラスを追い払っていた。
かなりいい歳したオッサンだったが、この道ウン十年と考えると、仕事というものの奥深さを感じるね。


(つづく)



スリランカ酔夢行(11)コロンボの酒場へ

2020年11月12日 | スリランカ2019

コロンボで宿泊したホテルが建つフォート地区は、かつてイギリス植民地時代から政治・経済の中心地であった場所。いまでもイギリスの名残を感じさせる趣ある建物を多く見ることができる。

街の散歩をするだけでも楽しいところだが、今回の旅の主目的である「地元の酒場で呑む」という目的を果たすために、観光ではなく、酒場探しに忙しいのだった。




スリランカの鉄道の起点となるフォート駅前は、人が多かった。
インドなどでよくあるように、家電街、部品街、カバン・靴街など、通りによって店の種類が分かれていた。
このゴチャゴチャ感が、インド文化圏に来たという感じがする。






そろそろ日が暮れてきた。
さて、酒場へと向かおう。







駅は家路に着く人で賑わっていた。
電車で通勤通学するなんて、日本っぽい。

閑話休題。
最近、嫁さんがテレビを見ていて、海外の鉄道が映ると、「この国ってイギリス領だった?」と聞いてくるようになった。
イギリスと日本は、植民地に鉄道を敷きがち。




フォート駅前にあった、スリランカ酒場の入口。
HOTELと書いているけれど、宿泊はできない。
南インドでも、レストランのことをHOTELって呼んでたことを思い出した。

スリランカは仏教国とはいえ、おおっぴらに飲酒できるほど開放的な感じではない。あくまでも「いけないこと」として、こっそり飲むのが、この国のたしなみだ。
とはいえ、店の中がまったく確認できないところを入っていくには、嫁さんを連れているというだけで、ちょっと神経質になってしまう。





店内はこんな感じ。
天井が高く、白い壁が爽やかさを演出しているが、客は想像通り、男ばかり。
嫁さんが店に入ると一瞬ザワッとなったが、明らかに東洋人顔なので、外国人なのかとそれほど注目も集めていなかった(ように思う)。
駅前ということもあり、外国人慣れしているのだろうか。


時間帯もあるのだろうが、食事をするというよりは、バーっぽい使い方で、ナッツなどをつまみながらビールを飲んでいる人が多かった。





まずは、何はなくとも、ライオンビール。
歩き疲れた身体にじわっと染み込んでいく。
たまらない。
1本150円くらいだったような記憶。
酒場では、ラガーとスタウトを提供。もちろんキンキンに冷やされている。
もう一本、もう一本と頼んでしまう。





店の従業員。
ユニフォームは揃いのTシャツ。
何て書いているかわからないけれど、これめちゃ欲しかったんですけど。
なんとか売ってくれないかと交渉するも、店が思いのほか忙しく、半酔の外国人に構っている時間はねえよ、と笑顔で逃げられてしまった。






これは、他の店のメニューだけれど、値段感はこんなもの。
100スリランカルピーで60円程度。




ビールばかりガブガブ飲んでいいたら、乾き物くらい食べたらどうだと勧められたので、スリランカでより採れるというカシューナッツを購入。
これで85円程度。
塩味、マサラ味など、秋種類から選べたが、ここはマサラで。
この値段でカシューが食べられるのもうれしいですな。


ダラダラ飲んでいると、従業員のおっちゃんも何かしら話しかけてきてくれるし、たまたまトイレの近くの席だったということもあり、トイレ帰りの酔客から軽くからまれる(良い意味で)こともあったりで、まったく退屈しなかった。




一軒目でガソリンを入れてエンジンもかかり始めたので、コロンボではしご酒へ。


二軒目は、同じくフォート地区にある「ブリティッシュ・インディア・ホテル」に行こうと決めていた。
ここは、明治時代にイギリス留学をした夏目漱石が、航路途中のコロンボで立ち寄ってカレーを食べたと言われている老舗レストランだ。
ネットでいろいろ調べていたときに、そんな記事を目にしたので、漱石が食したカレーを僕も食べてやろうと意気込んでいたのだが、



店は、かろうじて見つけたものの、従業員に聞くともうカレーは提供していないという。
なんたることか。残念無念。

現在この店は、一軒目同様、地元の人々が集う大衆酒場になっていた。
写真奥にあるように入口は狭く、うなぎの寝床のように奥に長い造り。
通路脇にあるカウンターで酒やタバコを売っていて、それをテーブルに持ち込んで飲むスタイルだった。
店が販売しているというよりは、店の中にキオスクが入っているような感じで、酒やタバコだけを買って帰る客も多かった。
日本でいう角打ちだろうか。




店内はこんな感じ。
テーブルで一人寂しく杯を重ねるニイちゃんと、それをなぜか笑って見守る従業員。
やる気のなさがあふれていて、最高だ。
こういう酒場で、日がな一日ダラダラ飲んでいたい。

駅前の店に比べて、ここは外国人客に慣れていないのか、非常にスキンシップをはかってくる店だった。
このブログでは紹介できないが、翌日カメラを確認すると、僕と嫁さんと従業員が満面の笑みで肩を組んでいる写真ばかりが出てきた。
ビールだけでなく、勧められるがままに、チキンの炒め物などをつまみながら、スリランカウイスキーなどを開けたりして、相当酔っていたっぽい。

ちなみに、このあと三軒目にも行っていた…。





ほかの町にもこうした酒場はあるのだろうが、コロンボの店は、いけないことをしている感じがそれなりに低く、カジュアルに飲むことができた。


夏目漱石が味わったカレーの幻を眺めつつ、
こうして、コロンボの夜は更けていった。


(つづく)