マタマタ、コレハ何デアルカ。コレハ二本の立柱ニ建テラレタ茶室デアル。
藤森教授は自分が設計、竣工させた建築を施主に引渡したくない衝動を覚え、史料舘の傍らに自分の為につくった茶室であります。茶室を支える柱は三本に見えますが、片方は枝分かれした幹。材は栗の樹で、自ら山に入って適材を見つけ伐りだしたということです。

二もとの栗の柱に居すわるは 藤森好む茶室なりけり
この茶室の屋根も銅板の桧皮葺き風なのですが、経年によって黒く変色しています。更に時を重ねると緑青に覆われることになります。柱の高さは地上から5メートル近くはあるでしょうか。その名も高過庵(たかすぎあん)と名付けられています。眼下に茅野から諏訪にいたる盆地を眺め、ゆらゆらと揺れながらの一服ははたして如何なる味わいを堪能することができるのでしょうか。

赤がねの桧皮の屋根は時かさね 信濃の空に緑青みせばや
藤森教授は自分が設計、竣工させた建築を施主に引渡したくない衝動を覚え、史料舘の傍らに自分の為につくった茶室であります。茶室を支える柱は三本に見えますが、片方は枝分かれした幹。材は栗の樹で、自ら山に入って適材を見つけ伐りだしたということです。

二もとの栗の柱に居すわるは 藤森好む茶室なりけり
この茶室の屋根も銅板の桧皮葺き風なのですが、経年によって黒く変色しています。更に時を重ねると緑青に覆われることになります。柱の高さは地上から5メートル近くはあるでしょうか。その名も高過庵(たかすぎあん)と名付けられています。眼下に茅野から諏訪にいたる盆地を眺め、ゆらゆらと揺れながらの一服ははたして如何なる味わいを堪能することができるのでしょうか。

赤がねの桧皮の屋根は時かさね 信濃の空に緑青みせばや
美術館の近くにある藤森教授処女作の神長官守矢史料舘も覗いてまいりました。ここは開館したてに来ていて二度目の訪問になります。二十年の時を経て自然素材がもつ宜しき美しさがにじみでておりました。さらに時を経ると、屋根の鉄平石に苔がのり、壁の羽目板は銀灰色に変わり神々しさが漂うような建築になるでしょう。流行りの機能一点張りの資材に包まれた建物では決して望み得ない美しさのなかにありました。

石と木と土と藁との建築は 時経しながら寂びつかがやき
史料舘の展示ホール、御頭祭という神事を復元提示しています。二十年前となに一つ変わっていません。床、壁、天井全てが土壁風に仕上げられ、摩訶不思議な空間が広がっています。奇抜さ溢れる形態表現とは裏腹に、慎重、かつ確実な技術的裏付けで施工されたテクスチャーは見事に維持されておりました。

いのししと鹿と兎の貢ぎもの 仄暗やみに活かされにけり

石と木と土と藁との建築は 時経しながら寂びつかがやき
史料舘の展示ホール、御頭祭という神事を復元提示しています。二十年前となに一つ変わっていません。床、壁、天井全てが土壁風に仕上げられ、摩訶不思議な空間が広がっています。奇抜さ溢れる形態表現とは裏腹に、慎重、かつ確実な技術的裏付けで施工されたテクスチャーは見事に維持されておりました。

いのししと鹿と兎の貢ぎもの 仄暗やみに活かされにけり
コレハ何デアルカ。コレハ空中に浮遊スル茶室デアル。
茅野市で行なわれている建築家・藤森輝信展に行ってまいりました。美術館の前庭に展示されている建築(?オブジェ)です。いつもり通りのメルヘンチックに溢れた形態と、自然素材風な仕上げを施された建築となっておりました。ここまできたか、ここまでやるか、茅野市出身の東大前教授藤森輝信さすが。

みすずかる信濃の国に浮き建つは 茅野の数寄びとつくりし庵
内部の広さは三畳台目といったところでしょうか。お約束どおりの炉窯がしつらえられ、にじり口ならぬ梯子口からふみ込む茶席のようであります。屋根は銅板の桧皮葺き風、床底(?)は土壁風で仕上げられています。建築で優先されるべきは、平面非ず、立面非ず、仕上げである(展示会場に記していました)、という教授の面目躍如といったところでありましょうか。

みすずかる信濃の国の空なかに 梯子のぼりて何処へいかん
茅野市で行なわれている建築家・藤森輝信展に行ってまいりました。美術館の前庭に展示されている建築(?オブジェ)です。いつもり通りのメルヘンチックに溢れた形態と、自然素材風な仕上げを施された建築となっておりました。ここまできたか、ここまでやるか、茅野市出身の東大前教授藤森輝信さすが。

みすずかる信濃の国に浮き建つは 茅野の数寄びとつくりし庵
内部の広さは三畳台目といったところでしょうか。お約束どおりの炉窯がしつらえられ、にじり口ならぬ梯子口からふみ込む茶席のようであります。屋根は銅板の桧皮葺き風、床底(?)は土壁風で仕上げられています。建築で優先されるべきは、平面非ず、立面非ず、仕上げである(展示会場に記していました)、という教授の面目躍如といったところでありましょうか。

みすずかる信濃の国の空なかに 梯子のぼりて何処へいかん
柳生博、真吾親子が営む八ヶ岳倶楽部を訪ねてきました。イメージ通りの見事な自然園でありました。雑木林の林床にはカタクリの花後の株が一面に広がっていました。売店で求めた書籍には開墾当初から家族でカタクリの球根を増やしていると記され、その数は万を越えているようです。もう少し早く訪ね、カタクリの曙色に満ちた花園をギフチョウが飛び交う姿を見たかったものです。

樹のしたに広ごるかたかご殖やせしは ひろしかしんご蟻の子なりや
雑木林には枕木による散道がつくられ、林床の豊かな土壌を傷めないよう、草々が踏みにじられないよう配慮されています。八ヶ岳倶楽部は今や年間十万人もの人々が訪ねるそうですが、その人数で歩かれてはひとたまりもないのでしょう。枕木を扱った経験がある者としては、その敷設が並大抵の苦労はなかったことを察しながら、散策させていただきました。

枕木のひと敷きひと敷く汗の果に 人々来たり十の萬びと

樹のしたに広ごるかたかご殖やせしは ひろしかしんご蟻の子なりや
雑木林には枕木による散道がつくられ、林床の豊かな土壌を傷めないよう、草々が踏みにじられないよう配慮されています。八ヶ岳倶楽部は今や年間十万人もの人々が訪ねるそうですが、その人数で歩かれてはひとたまりもないのでしょう。枕木を扱った経験がある者としては、その敷設が並大抵の苦労はなかったことを察しながら、散策させていただきました。

枕木のひと敷きひと敷く汗の果に 人々来たり十の萬びと