*殻便*[カ・ラ・ダ・ヨ・リ]*2004-2005

コリアン・ディアスポラ・アーティスト Yangjah の日々の旅をおすそわけ。

共通の哀しみ

2005-01-09 | ひびのたび
たまに無性に泣きたくなる時がある。

最近ふとした時に、
左胸あたりの奥深くブラックホールに紛れ込んだみたいなところから
哀しみがぐっと押し寄せてくる。

なぜだかはわからない。


2月の公演に向けての笠井叡さんのワークショップで、
「3人称」の踊りという稽古をしている。

「1人称」の踊りは自分の内側を感じるのに対して、
「3人称」の踊りはからだの感覚の働きを通常の何倍にも発揮させ
自分の中に独立した他人が存在しているかのように
ちょうど「もうひとつの眼」を最大限に活用するのだ。
ダンスはこの「3人称」で踊ることが要求される。
(これがなかなかむつかしい!)

今日は「個々の3人称」と「共通の3人称」の違いを
踊りを通じて体感した
例えば 宇宙が一個の3人称の人だと仮定して
その1個の心臓からわたしたちに血液が流れてくるとする。
「個人的な3人称」を越えて、「共通の3人称」へと踊るのだ。

稽古から家に戻り
遅い夕ご飯を食べていると
からだを動かしていた時にはまったく痛みを忘れていたのに
左の肩甲骨のあたりから痛みがわきだしてきた。
そしてまた哀しみがあふれてきた。

なぜだかわかった。

「共通の哀しみ」が押し寄せてきたのだ。
NYの9.11の時も、アメリカのテロ報復の時もそうだった。
今回はスマトラ沖地震の哀しみのようだ。

前回まではその哀しみに翻弄され、自分の弱さとつながって鬱になっていたけれど
今は「共通の哀しみ」がわたしの中で響いているだけだとわかったから
ふりまわされずにはすんでいる。
それでもこの哀しみとどうつきあえばいいのかはっきりはわからない。
今その方法を探している。

とりあえず今は踊るだけ。

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6 コメント

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こんばんわ (はしもと)
2005-01-10 00:28:18
はじめて書きこみします☆

今日はお疲れ様でした。

今日、ワークショップ終わったときに、

ヤンジャが新聞を読む話にからめて

その話をしてくれたのに、

答えが見つからずなんて言っていいのか、

わからない自分が居て情けなかったです。

ごめんね。



私もその方法すごく知りたいです☆

私の場合は、自分を鈍らせることで

回避しているかもです。

もっといい向き合い方があると

思うんだけど中々・・・です。



身体のこと・感覚のこと・感性のことなどなど、

探求していったら、

ずばりの答えがあるかどうかはわからないけど、

きっと素敵な展開があると思う。。。(期待ですが・・)
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ふふふ、これからもよろしゅう! (やんぢゃ)
2005-01-10 10:39:33
はしもとさん、コメントありがとう!!!

きのうはなんだか自分の相談みたいなのを稽古の話にからめてちらほらできたので、すっきりして帰ることができたよ。

聞いてくれたおかげです。おおきに!!!



あたまではどうにもできないことがあるからこそ、ダンスするのかなということしか今のわたしにはわからないよ。

ただ単純に強くなろうとはしないことにした。

弱っちいままでいても、その核からしなやかなたくましさを育てたいと願う。

笠井さんも何かの話の時一生の課題だって言ってたみたいに

一生を通じてバランスを探しつづけるのかもしれないね。



あああ、今はとにかく回転ジャンプの特訓のみ!



これからもどうぞよろしゅう!!!



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Unknown (ねぼけ堂)
2005-01-10 11:09:59
実は、私も9.11の時、かなりブラックホールに落ちました。今回は、テレビを見てしまうと涙が出てしまいますが、9.11の時とは明らかに何か違いがあるのです。それが何なのか、まだわからないけれど。

自分の弱さと、共通の哀しみ。

私はまだまだそれに翻弄されてしまっている段階です。
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あけましておめでとう (はな)
2005-01-10 22:30:31
あけましておめでとう!

今年もよろしく☆



一昨日に、久しぶりの快気法お稽古に行ってきたよ☆

年末年始と色んなことがあって疲れてたので、いっきに

疲れが取れ、スッキリしました☆



また会えるの楽しみにしてます♪

踊りもまた見に行かせてね♪



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共通の哀しみ (より☆はんぶれら)
2005-01-10 23:32:09
共通の哀しみ

それで涙が出て苦しいのは始まりだよね

悲しみからはじまる

でも悲しみが怒りに向かうのは間違いで

そこから すべてが一体だとわかったらいいと思うんだ

うまくいえないけれど

悲しみをちゃんと悲しんで悲しんで それから

愛 がそれらを包んで次へと向かうんだとおもった

難しそうで簡単で だけどなかなかいきつかないところ



すべての怒りは悲しみからやってきて

強さはじぶんをあいするところからやってきて

そんなふうにおもいました

でもこれって言葉にすると うまく伝わらない気もした・・・・



チベットで会った日本人の「魂が木星から来た」というおじさんが その後日本で会ったときに

悲しみも喜びもすべての出来事も事象も

ぜんぶエネルギーという同じかたまりで

それは粘土がいろいろな形にかわるようにいろいろな形に変わっているだけで

ぜんぶおなじものなのです

と言ってた。

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うん、うん。 (やんぢゃ)
2005-01-11 11:50:40
みなさんいろいろコメントありがとう。



どんなエネルギーも陰陽のように一体なんだから、

プラスのほうに持っていきたいね。

単純なポジティブシンキングではなく。

もっともっとすべてを包括したエネルギーに。

ただ視点がちがうだけなのかもしれない。

昼と夜のどっちにいるかみたいに。



自分が身体表現をするのも

闇から光への模索のようなものなのです。
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