きのうはおじいちゃんの命日。
とは言っても毎年その日は変わる。
旧暦の1月15日が命日なのだ。
今年は2月23日がちょうどその日にあたる。
東京で暮らす次女も前の日の深夜バスに乗って朝には大阪に到着。
京都の北のほうで暮らす末っ子もお昼には家に来た。
近所では買えない食材を鶴橋まで買いに行く。
だが、ちょうど水曜日は休みの店が多く、朝鮮餅専門店も定休日だった。
車で足を延ばして猪飼野まで。
シルトック(蒸し餅)、チムパン(蒸しパン)、小餅、ポン菓子(正式名称は?)、そして蒸し豚、チャンヂャ、コチュヂャン(これらは祭祀用ではなくお客さまもてなし用!?)を買い込む。
末っ子のみっちゃんの誕生日が22日だったので次女とケーキを買って帰る。
家族皆がひさしぶりにそろい、大笑いしながらケーキをつついた。
きっとおじいちゃんも笑ってくれたかな。
だらだら何かをつまみながらチャサの準備にとりかかる。
わたしたち3姉妹は手を動かしながらも、おしゃべりのほうがいそがしい。
数時間かけて卵料理、肉やイカの串焼きなどをたくさんつくる。
その間も最近自称鬱気味の母は人一倍働いている。(鬱ではなく、躁が落ちついていい感じ)
夕方頃には礼をして、ぞくぞくと母のきょうだいやいとこたちが来る。
父は一人っ子で親戚が近くにはいないので、母方の親戚がいつも集まってくれる。
みんなが集まるとにぎやかだ。
わたしはすでに8時にはもう眠くてたまらなくなる。
人がいっぱいで部屋が暖かくて頭がぼーっとしてくる。
それでも9時を過ぎて片付ける前の礼をするまではと耐えた。
その後みなで片付けてまた食事をするのだが、わたしは軽くだけ手伝ってから寝る準備にとりかかった。
そしてみなが帰るのを見送っているうちに、眠気のピークが落ちついたようだ。
とにかくずっと食べていた一日。
そしてずっとしゃべっていた一日。
生者が集まり食べ笑い、おじいちゃんの魂は喜んでくれたかな?
とは言っても毎年その日は変わる。
旧暦の1月15日が命日なのだ。
今年は2月23日がちょうどその日にあたる。
東京で暮らす次女も前の日の深夜バスに乗って朝には大阪に到着。
京都の北のほうで暮らす末っ子もお昼には家に来た。
近所では買えない食材を鶴橋まで買いに行く。
だが、ちょうど水曜日は休みの店が多く、朝鮮餅専門店も定休日だった。
車で足を延ばして猪飼野まで。
シルトック(蒸し餅)、チムパン(蒸しパン)、小餅、ポン菓子(正式名称は?)、そして蒸し豚、チャンヂャ、コチュヂャン(これらは祭祀用ではなくお客さまもてなし用!?)を買い込む。
末っ子のみっちゃんの誕生日が22日だったので次女とケーキを買って帰る。
家族皆がひさしぶりにそろい、大笑いしながらケーキをつついた。
きっとおじいちゃんも笑ってくれたかな。
だらだら何かをつまみながらチャサの準備にとりかかる。
わたしたち3姉妹は手を動かしながらも、おしゃべりのほうがいそがしい。
数時間かけて卵料理、肉やイカの串焼きなどをたくさんつくる。
その間も最近自称鬱気味の母は人一倍働いている。(鬱ではなく、躁が落ちついていい感じ)
夕方頃には礼をして、ぞくぞくと母のきょうだいやいとこたちが来る。
父は一人っ子で親戚が近くにはいないので、母方の親戚がいつも集まってくれる。
みんなが集まるとにぎやかだ。
わたしはすでに8時にはもう眠くてたまらなくなる。
人がいっぱいで部屋が暖かくて頭がぼーっとしてくる。
それでも9時を過ぎて片付ける前の礼をするまではと耐えた。
その後みなで片付けてまた食事をするのだが、わたしは軽くだけ手伝ってから寝る準備にとりかかった。
そしてみなが帰るのを見送っているうちに、眠気のピークが落ちついたようだ。
とにかくずっと食べていた一日。
そしてずっとしゃべっていた一日。
生者が集まり食べ笑い、おじいちゃんの魂は喜んでくれたかな?
<そしてずっとしゃべっていた一日。
<生者が集まり食べ笑い、おじいちゃんの魂は喜んでくれたかな?
なんだかいいなぁ。すごくいいなぁ。
いちばん大切なことのような気がするな。
おじいちゃんは、みんなの姿を見て、
ごちそうさまな気分になったことでしょう。
よろこんでくれるのは
うれしいよね。