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平成18年3月8日(水)


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不識庵の藤井宗哲和尚が入寂しました
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            《旧暦2月9日》

★朝9時過ぎに鎌倉の藤井宗哲さんの奥
さんから電話があった。旦那とは数日前
に電話で小一時間ばかり話をしたばかり
なのだが何だろう?

『あの、主人が亡くなりました‥‥』
想定外の言葉だった、長年のお付き合い
なのでお忙しいとは思いますがとにかく
お知らせさせて頂いた、という…、突然
の訃報に驚きを隠せなかった。
電話を切ってから、葬儀のことを詳しく
聞いて居ないことに気が付き慌てて電話
をし直した。

★藤井さんは角川文庫の全10巻の編さ
んをした頃に知り合った。
確か昭和49年頃だったと思う、丸坊主
で被布を着たお坊さんが楽屋に出入りし
ている、独特のキャラクターだ(笑)。
元、建長寺のお坊さんで今は角川書店の
落語全集の編さんをしていると知り皆さ
んホッとした、任侠とか△○□さんじゃ
なかったんだ(  ^,_ゝ^)プッ

アタシとか小燕枝さんと気が合って、良
く鎌倉の由比ガ浜の自宅で酒を呑み酌み
交わしたなぁ、飯もちゃんと我々にこさ
えてくれて自分は決して食べる姿を見せ
なかった人だった。食う姿は恥ずかしく
て見せられないという、シャイな人だっ
た。食うといえば‥‥、新宿の長春館に
どうしても行きたいと言い出したことが
あって困惑したことがある。ヤツガレと
噺家なかまを引き連れて焼肉屋でどうし
ても食いたい物があるというのだ(笑)
禅宗のお坊さんは肉食はご法度なので、
どうしても「豚足」を食して見たいと懇
願されてしまった(@_@;)
念願かなって豚足を食す和尚の姿は実に
どうも‥‥、奇異な光景でありました。

★宗哲和尚が居たからわが女房様と所帯
を持つ事が出来た。交際した短大生の我
女房様と結婚を決意させてのは藤井さん
だった。色々な意味で我々夫婦にとって
大切な人なのだ、逝ってしまったか…。
不識庵に行ったのが2003年の10月30日
このブログには昨年の6月13日に登場
しているなぁ、はやり電話だったね。

享年64、早かった、もう少し会って
四方山話をしたかったよ宗哲さんッ!

心からご冥福をお祈りいたします 
    
               合掌
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