岐阜 柳ケ瀬お化け屋敷「恐怖の細道」公式ブログ

山口敏太郎プロデュース!岐阜市・柳ケ瀬商店街にて開催されるお化け屋敷「恐怖の細道」の公式ブログです。

やながもんの唄~コワイはタノシイ~

2019-06-18 00:24:12 | 日記

 いよいよ開幕まで残り1ヶ月!3年ぶりに「恐怖の細道」が柳ケ瀬に帰ってきます。 これまでの良い部分は継承しつつ、より進化したお化け屋敷を皆様にお届けするべく、現在準備を進めております。どうぞお楽しみに。


 復活を機に、私たちは「恐怖の細道」というお化け屋敷をもう一度見つめ直してみました。本年、私たちは『岐阜発!アミューズメントの地産地消』というスローガンを掲げています。

分かりやすく言えば、お化け屋敷は「恐怖を楽しむ」というアミューズメントであると考えています。


 かつての賑わいを失ってしまった柳ケ瀬商店街を盛り上げるために、町おこしお化け屋敷を行うというのはどうだろうか?そう考え始めたのは今から8年前、2011年のことでした。とはいえ、それまでお化け屋敷を作ったこともない私たち。何より、私自身がホラー映画もお化け屋敷も大の苦手…。それでも、まずは自分自身が体験しなければ!そう思った私は、一念発起して全国お化け屋敷巡りツアーを敢行したのでした。


 まず体験したのが、私が「縁日型」と呼んでいるタイプのお化け屋敷でした。いわゆる、ロクロ首やのっぺらぼう、雪女などの妖怪たちが登場する、遊園地や縁日にある昔ながらのお化け屋敷。雰囲気など、参考になる部分はもちろんありましたが、正直なところ、それほど恐怖は感じませんでした。


 その次に体験したのが、近年に発生した「ストーリー+ミッション型」と呼ばれるお化け屋敷でした。これは陰惨ないじめにあって自殺した少年や、生前に男性からひどい裏切りを受けて死んでしまった女性、といったストーリーが用意されていて、来場者は例えば非業の死を遂げた主人公の怨念を慰める術(ミッション)を行うという、それまで私が体験したことの無いタイプのものでした。


 これには驚きました、本当に恐怖しました…。特に、東京にある「台場怪奇学校」では漂う恐怖のオーラに一人で入ることが出来ず、近くにいた女性に「お金は出させていただきますので一緒に入ってくれませんか?」と、まあ情けないお願いをしたものでした。(結果的にその女性は途中リタイアしてしまいましたが…)


 この強烈な恐怖体験が決定打となり、私たちは後者、つまり「ストーリー+ミッション型」の方向性を選択しました。しかし課題は残りました。まず、私たちのお化け屋敷は当時、刻々と閉まりゆくシャッター商店街であった柳ケ瀬商店街に、かつての賑わいを取り戻すことを目的とした町おこし事業です。そこに陰惨な物語は似つかわしくないのではないか?という疑問。そして、東京や大阪のような大都市でもなく、遊園地などのアミューズメント施設に存在するわけでもない、お化け屋敷のみでお客様を集めるしかない「恐怖の細道」にとって、この「ストーリー+ミッション型」という選択は果たして適切なのかという疑問もありました。さりとて、ミッション型お化け屋敷の持つ特有の没入感は捨てがたい。


 悩んだ末に私たちが導き出した答え、それは「陰惨では無い、ポジティブなストーリー」そして「誰もが知るような、圧倒的なスターの存在」でした。

 幸い、私たちには「圧倒的なスター」が居ました。昭和最大にして、最後の都市伝説、「口裂け女」です。昭和39年生まれの私は、少年時代まさに口裂け女騒動の渦中にいました。岐阜じゅうを駆け巡る彼女の噂に、夜間の外出もままならないほどに恐怖した、強烈な記憶が残っています。ですが、好奇心が強い子どものことです。中には彼女を探して出歩く者もいました。

 考えてみれば、口裂け女とは不思議な存在です。口が裂けているという一点を除けば美しい女性であり、事故によって口が裂けてしまった、という悲しい過去を背負っています。マスクをしたまま「私キレイ?」と問いかけ、「キレイです」と答えると、「これでもキレイ?」とマスクを外して裂けた口を見せてくる、という恐怖譚にも、「キレイと言ってほしい」という人間的な感情が見て取れます。もちろん、対応を誤れば襲われてしまうわけですが、その本質は決して邪悪ではなく、人間の感情を忘れられないでいる悲しみを背負った存在だと思えてなりません。

 話を戻しましょう。2012年の夏、私たちが手がけた最初の「恐怖の細道」のストーリーは、以下のようなものでした。

 何者か(口裂け女か?)に連れ去られてしまった、柳ヶ瀬の少年『やなお』。勇気のある皆さんにお願いがあります。姿を消してしまった『やなお』を、平成~昭和へと時空を越える鵜飼船に乗って、平成の柳ヶ瀬に連れ戻して欲しいのです。恐怖の細道を超えて…

 消えてしまった少年『やなお』とは、柳ケ瀬のことです。このストーリーには、残念な現在(平成)の柳ケ瀬に、口裂け女がいた昭和の柳ケ瀬の賑わいを皆さんの力で取り戻してください!という私たちのポジティブなメッセージが込められています。また、口裂け女は「輝いていた昭和の柳ケ瀬」を象徴する存在と定義しています。彼女は『やなお』を昭和時代に連れ去りこそしますが、彼に危害を加えるわけではありません。あたかも「良い時代を忘れないで」と伝えているように…。

 こうして「ストーリー」と「スター」が決定し、「恐怖の細道」の基礎が出来ました。

 その上で、私たちはいくつかの制作上のポイントを設定しました。

① グロテスクさ、マニアックさを控える
② 良き日の(昭和)の柳ケ瀬を感じてもらえる設えをしよう
③ 恐怖を楽しんでもらえるお化け屋敷をつくろう

 まず①について。私が恐怖した「ミッション型」のお化け屋敷の多くは、「リング」「らせん」など、日本が誇るジャパニーズホラーを愛する制作者が、ジャパニーズホラーを愛する人たちに向けて制作した、どこかアーティスティックな趣のあるものでしたが、元々ホラー嫌いの私にとっては、いささかマニアックな面が強すぎるようにも感じられました。
 「恐怖の細道」の目的はまちおこしです。その場所に人が溢れるような「ハレ」の空気を作りたい。より多くの人に柳ケ瀬を訪れてもらいたい。そう考えて、グロテスクさや、マニア受けする要素を出来るだけ控えた形でお化け屋敷を制作することを心がけました。

 そして②。私たちが柳ケ瀬商店街のまちおこしに立ち上がったのは、少年時代に柳ケ瀬に憧れ、柳ケ瀬で遊んだ思い出があるからです。思い出は、場所と紐付いて心に積み重なっていくもの。今の柳ケ瀬を知らない世代に、「柳ケ瀬のお化け屋敷で遊んだ」という思い出を持って帰ってもらいたい、そう考えて「恐怖の細道」には昭和の柳ケ瀬をモチーフにしたエリアを設けることにしました。

 難しいのは③です。言ってしまえば、お化け屋敷とは「わざわざお金を払って怖い思いをしに行く」場所です。それだけに、「恐怖」と「楽しい」という一見対極にあるもののバランスには毎回頭を悩ませています。これはある意味永遠の課題と言えますが、「語り合えるような恐怖」というものが一つの答えであるように思います。

 一

 例を挙げれば、お客様を乗り物に乗っていただくこと(鵜飼舟、路面電車、バスなど)だったり、吊り橋を渡っていただく、雨の降るトンネルをくぐる…など、さまざまな演出を取り入れてきました。第3回以降、定期的に開催している「口裂け女の歌謡ショー」も、こういった思いから生まれたものです。普段はお化け屋敷の中でしか会えない口裂け女が柳ケ瀬の街に飛び出して行き、テーマソング「口裂け女のブルース」を歌う、という一風変わったアトラクションですが、すっかり定着し、口裂け女たちにアイドル的人気が生まれるまでになりました。

 こうして、さまざまな取組みを試行錯誤しながら実践するうちに、私たちは一つの気づきを得ることがで来ました。
 
 それは『これは、アミューズメントだ!』ということ。

 「怖い」と「楽しい」は対極にあるのではなく、時にはイコールにもなります。そのことに気づいたのは「恐怖の細道」をくぐり抜けて、出口から出てきたお客様の表情を見た時でした。お化け屋敷で怖い思いをしたはずなのに、笑顔で出てくる方が多いのです。そして、出口で「あそこが怖かった」とか「お前、真っ先に逃げてたな!」と楽しそうに語り合う姿がそこにありました。

 その様子を見て、思い出したことがありました。かつて口裂け女の噂が岐阜を席巻していた時も、私たちは「鶯谷トンネルに居たらしいぞ」とか、「赤い車に乗っていた」とか噂話を言い合いながら、「口裂け女」という「恐怖を楽しんで」いたのでは無かったかと。

 「恐怖を追求する」マニア向けのお化け屋敷ではなく、より多くの人たちに「恐怖を楽しんでいただくアミューズメント」としてのお化け屋敷。それが私たちが望み、目指していく形であると、今は確信しております。いよいよ開催が迫ってまいりました。今回も様々な新しいアイデアを用意して、『恐怖を楽しむ』アミューズメントお化け屋敷に向かってチャレンジして参ります。

 どうか3年ぶりの復活となります「恐怖の細道」にご期待ください。
 

「やながもん」柳ケ瀬お化け屋敷製作委員会 代表 吉村 輝昭

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