やまけんの日記帳

ブログですが、滅多に写真は無いです。

10/12(日)・13(月)体育の日

2003年10月13日 23時39分00秒 | 日記
10/12(日)
長野3日目、この日は奥志賀の方へ出向くことにしました、奥志賀高原地区を挙げて紅葉フェスタと云う行事をやっていて地場の産品などを食べたりして1日を過ごす予定で、その腹ごなしも兼ねて焼額山頂の稚児池を散策しようと考えました、登山でなく散策なのはゴンドラでほぼ山頂まで登り往復小一時間で山頂まで行くという何とも手抜きな事です、前の日はここのゴンドラも止まったとのことですが今回は難無く登ることが出来ました、紅・黄・緑と染まる山肌を愛でながら登るゴンドラはイイものです、紅にも黄にも色々な色があり、下に生える緑も標高と共に変わっていく姿に感心しました、日本語にはいろんな色の名前が有るんでしょうけど知らないものですな。高山植物ポケット図鑑なる本を手許に繙きながら歩くとなかなか判らないながらもこれかなという花がありこれもまた勉強になります、山頂の稚児池に着いて暫くすると霧がかかって途端に視界が遮られました、見通しが良ければ遠くまで見えるのでしょうがウンのないものですな。きりがかかる前でもさほど晴れていないので水面に映り混んだ景色を楽しめなかったのが残念。歩いてスキーコースを降りると世間の人に笑われる前に膝が思いっ切り笑うので帰りもゴンドラ、行きは自らが今から登る山を帰りは谷の向側の岩菅山の紅葉が見られるので往復乗っても楽しめるのですがね。
続いて奥志賀高原に向かったのですが、今日の区間の往復には天気の絡みや停車車両や歩行者向けに自車の存在をオーバー気味に知らしむる為前照灯点灯して走っていたのです、これも結構難しくこっちは全然その意図はないにも拘わらず妙に道譲られるのは何でやろそんなに焦ってるみたいに見えたのかなぁ?
高原に着くと既に物販などは始まっていました、今年は天気の加減か少々人が少なく無事に席を確保し色々頂きました、牧場で作ってるトウモロコシやサツマイモは自家製の肥料がいいのか丸まるとしていて甘みも充分にありました、何も付けずにそのまま食べられるのはイイ事ですね、思わず塩をふったりしてしまいがちですがやはりここは素直に素材の味をあじあわないと、ただまぁ虫ではないもで生は堪忍して茹でたり蒸したり位はしておいて食べてますが。あとは恒例のきのこ汁の無料サービスや野菜・果物などの販売もあり大いに食べたり飲んだり出来ました。残念なのはたこ焼きのタコが少し小さかったことかな、もう少し大きくしないと、ヘタなみじん切りじゃないんだから。途中東京から合流する父の知り合いを先導したり等して動きましたがあとは殆どブラブラする位で食べたり喋ったりでこれはいけないと思い隣のグランフェニックスでやってたアウトレットを冷やかしに行きました、ジャージみたいなので上下そろいでええのん有ったら買おうかと思って見ましたが、サイズ的にそろえになるのがなかったり、いくらアウトレットとはいえ元値が元値なので下がっても結構お高いお値段でしたから、本当に冷やかしだけになってしまいました。最後の最後ビンゴ大会があり2枚のカードで1枚何とかギリギリで商品ゲット出来ました、ここら辺はちょっとまだつきが残ってるんですな。
帰りは行きの道を引き返すよりも裏道を通った方が景色が良かろうと先導して行きましたゆっくりゆっくり両サイドを紅葉した木々に囲まれながら車を進め今度は後続車に進路を譲るなんて珍しいこともして進みました、よその土地では当たり前の景色なのかも知れないけど、こっちではなかなかこういう風景には逢えないのでね。
帰ってまだ少し時間があったので池の周りを散歩してから部屋に戻り少しばかし世間の動きも見ておかないといけないとニュース番組を見て本日2度目のお風呂へ、やっぱり大きいお風呂はイイですな足もしっかり伸ばせられるし。そのあとは夕食を大勢で頂いた後に腹ごなしを兼ねて星を見に外を散策しにでました、良く晴れてとまではいかないものの多くの星が見られました、月が十七夜くらいでまだまだ煌々と夜空をてらしていたので極めて多くの星とまではいきませんがとにかく星座が分からない位は満天を飾っていました。
冷えた身体を温める為再度入浴しホテルの方と少々世間話などをして日付の変わる頃寝ました。その前に外を見ると、前のホテルのハスキーが一人で夜のお散歩にでていました、この辺が彼女の健康の秘訣なのでしょうか天下の国道を横切りフラフラ歩いてお家に戻っていきました、何より元気そうで良かった。
10/13(月)体育の日
朝、目が覚めた六時頃は綺麗な空が少し朝焼けを見せていましたがそれもつかの間雨が降り出しました、朝食を摂り片付けをしてお世話になった宿をあとにして大阪に向け出発しました、滝を見たりしたかったのですが、さすがにこの天気ではそれも適わず道の駅で少し買い物休憩を取った後、湯田中駅まで行きました、町営温泉が駅の構内に出来そこで足湯を使えると言う情報を得てたので試してみました、足の位置により温度に差があるもののやってみると心地よく病み付きになりそうですな。足湯のあとは雨でもいける須賀川の蕎麦、ここも先導しましたが先導はホントに難しいですな、付かず離れず間に入れず相手に無理をさせずに行くのですから日頃先導してもらってばっかりなので気を遣いました。
蕎麦は今シーズン二回目、でも長野では蕎麦ですな、きちんとしたところなので製法も違うし茹で方とかも違うんでしょうな。
そんなこんなでもうお昼になりそれぞれ東京大阪と帰路を取ることにしました、その前にお互いガソリンだけは満タンにしておこうと安いと云われる店まで先導しました、私の車の前に地元ナンバーのクルマが付かず離れず着いていたので道が判らなくなった大阪・多摩ナンバーのクルマが長野ナンバーの軽トラに道案内してもらっているような絵面やなぁなんて油断していたら間に入られてしまいました、なんて不細工な。前と後ろが離れ元通りの形になってすぐスタンド、給油してもと来た道を折り返し信州中野から高速イン、暫く行った小布施で東京組に別れを言い単独で大阪まで戻る道のりがスタートしました。ちょうどこのころが雨のピークだったのかかなりしぶきをあげなから80制限の道を行きました、渋滞の尻が見えていた更埴JCTで上信越道をわけ長野道、50制限の道をひた走り姨捨で休憩、ちょっと前を白バイと覆面がもろに判る形で走っていました、ただ気になるのはどう考えても70位で走ってたけどこれはいいのかなぁ?時々雨脚が弱まるものの全体的には雨降りの中中央道に入りました、駒ヶ岳、恵那山トンネルを経て恵那に来る頃には完全に雨も止み晴れ間も見えてきていました、ちょうどそのころは関東圏がえらい雨だったみたいで流していたNHKラジオが東京だったのでしきりに相模線が不通とか首都高速がどうだと言ってました。
比較的渋滞する事なく進んできましたが、小牧東から小牧JCTにかけて渋滞に巻き込まれてしまいました、去年もここらで渋滞に巻き込まれ、そのあと事故の脇見で一宮から羽島辺りと、大津あたりで渋滞して帰りが遅くなったことを思い出しましたが、今回は八日市辺りで少々流れが悪くなったものの、渋滞とまでは行かなく車は流れ大津も素直にいけそうだったので京滋通らず名神を行きましたところ6時半頃無事吹田到着、ここからはいつもの道をゆっくり行き7時前に駐車場につきました、隣がいなかったので難無く止めて長かった4日間は終了。今回もイイ旅をさせて貰えました、いろんな人と出会い、いろんな味を味わい、紅葉にお犬さん、イイ思いをさせて貰えました、1080キロ強を一人で数日分とはいえ無事に運転して来られて良かったと思います。さて明日からはまた頑張って行きましょう。-以上-
コメント
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