親心、子心

教育に関わる様々な悩み、問題を親、子ども、両方の気持ちから寄り添って考えていきます。お悩み相談募集中。

自己肯定感と自我の発達~5~

2014年12月24日 20時40分02秒 | 過去~徒然から~

…だからこそ、子どもたちを認めなければならない。
(子どもの権利条約 第6条 1. 締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。2.締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する。 )

正確には、彼らの決断を尊重しなければならない。
(第12条 1. 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。)
(2.このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。)


その上で、善悪や効率や心情や道徳やほかの様々なルールとマナーとスキルを伝えていけばいいのだ。
子どもを暴力で押さえつけてでも伝えなければいけないルールやマナーやスキルはそうそうある物でない。
もっといえば、ルールなんて人間間の諸問題を効率的に解決するために生み出されたスキルだし、マナーだって人間関係を円滑にするスキルに過ぎない。

なら、誰でも絶対。と納得できるものなど、『人を殺すのがなぜ悪いんだ』とうそぶく人が出てくるこの世の中に、いったいどれほどあるというのだろう。

それでも、『俺は、私は、これは絶対許せない』。

そういう物があるはずだ。

それを伝えること。
そしてそれを聞いた子どもが、あなたに思うこと。
それだけで子どもは変わる。
なぜなら、強固な信念も、揺るがない自信も、未だはっきりと自立させられない、『子ども』であるからだ。

むしろ教育に携わる者は、自らの行為が、子どもに芽生えつつある自我の芽生えを根こそぎ奪ってしまっていないかにこそ注視するべきなのだ。


もちろん、ある程度の自我が発達している子どもに対して、揺さぶりをかけることは重要だ。
その揺さぶりをうけて初めて、子どもたちは、自分をより強固な建物にする必要性に気づくのだから。

自分の家が、揺れに弱いもの、住むに適していないものだと気づかされるのは、危機に瀕したときなのだから。

だが、この揺さぶりが大地震となって、若者の立つべき力を奪ってはいけない。
やがて彼の背に、我々は背負ってもらわなければならないのだから。

彼の、苦難にも負けぬ大きな夢は、我々の大いなる希望でもあるのだから。