親心、子心

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宗教の歴史!!その2

2006年01月26日 20時50分41秒 | 過去~徒然から~
昨日は『日本人は神道・仏教両方を信仰』していて、それには『本地垂迹説』というのが関係しているという話をしました。

本地垂迹説とは何か。

それにはまず権現という言葉の話が必要です。
権現とは仏が「権」(かり)に神の姿で「現」れたもの。
つまり、仏の化身=神という事です。

では神とは何か。
神道の神とは、自然や人や土地など、ありとあらゆるものを指します。
例えば雷も神で、雷が落ちた時「あ、雷神がいらっしゃった」という事になり、その雷を治めるため社を建て、祀ります。
神は、『うまく祀れば』恩恵をもたらし、一度『怒れば』災難をもたらす。そんな二面性を持っていたわけです。

日本人は飛鳥時代(便宜的にこうします)に仏教やそれに付随する思想を知りました。神道は多神教(=神様がいっぱいいる宗教)なので、当時『新しい神様が増えた』位の柔軟性があったと思います。

しかし日本に伝わってきた仏教は、すでに中国などで熟成し、『天災』を鎮め、『災難』を防ぐ。つまり、神の怒りを仏の力だけで抑え、恩恵をもたらすという、それだけのパワーがありました。

力になるものはやはり必ず『国』が独占します。
奈良時代に国分寺などが建てられますが、これは『国家鎮護』のためです。

…しかし、中には『民のため』に仏教という力を使う僧も出てきます。
国は彼らを処罰しますが、それでも民を救おうとする僧により仏教は広まる…。

今まであった神社に、神だけでは民は救われないからと菩薩像などが置かれるようになり、あるいは逆にその仏を守るために、寺内に神社が作られるようになります。
そうして神<仏となり、「神として祀っていたもの(=天災)も全て仏の力の一部がこの世に現れた(権現した)んだ」という考えが出たわけです。

この考えがより理論化するために仏教の中にもともとあった『本地』(=この世の真理)と『垂迹』(=この世に現れた真理の一部)という、より哲学的な考えが利用され、『仏』はこの世の真理であり、『神』は日本でその仏が現れていたものとなっていくわけです。

だから、民も今までの神を捨てることなく素直に仏を信じることができるようになっていったようです。

それでは次回、この仏がどのように神として現れたか等をまとめて行きたいと思います。お楽しみに!!(願)