20160128
今日の空 ;いつもの晴天、快晴の空です。先日の関西行のような日もありますが、当地では1月は晴れて西風が吹き、富士山が遠くに見える天気が一般的です。
この日はたんじゅんの師匠の元へ出掛ける日です。9時に「出勤」すると、オーあるある、善徳山軽トラ。兄弟子のMさんです。「早いですねー」と言いながらお宅へ。中ではもうすでに議論に熱が入っている様子。お土産のビール漬け沢庵をかじりながら聞いていると、日本語人(日本人ではなく日本語の音を聞いて育った人たちという意味で)の耳に入る音の認識の仕方、例えば”虫の音”を虫が音を奏でているように聞き取るのが日本語人だという。虫の音(「ね」ではなく「おと」として)を雑音として聞こえるらしいそれ以外の人たち。その違いが右脳・左脳の機能の違いに由来していると検証した耳鼻科の医師、角田忠信さんの実績についてでした。師匠から彼の本を紹介されましたので、借用を願い出たのですが、「明日から講演活動に出るのに必要なので」と別の本「脳の発見」(角田忠信)をお借りしてきました。翌日から雨の予報が出ているので、晴耕雨読のいい本が借りられました。
日本語へのこだわりは、どうもアインシュタインから続く師匠のライフワークの1つのようです。師匠は理学部物理の先生という経歴をお持ちです。
さて話が盛り上がってきた頃にもう一人、2年ほど前からやはりたんじゅん農法に切り替えられたSさんがお出でになり話に加わりました。初対面のSさんは師匠お宅から30kmほど離れた場所でネギや菊の栽培をしているようで、元職はエンジンやオイルの関係の仕事をされていたようです。
この日、Sさんから教えてもらったのは苗づくりの話、タマネギの事例を挙げて細かく教えてもらいました。エンジン屋のSさんの他に、大型トラックを運転されていたMさん、大学で物理の先生だった師匠と、酒類営業やワインを勉強した私が、更に農業経験も様々な4人が、タマネギの苗づくりの話で盛り上がるのはとても面白く関心もしたものです。そのことを師匠に言うと「感激しすぎないように。仮説として聞いておくべきだ」と苦言(?)あり。ごもっとも。黄色信号も行ってしまいがちな私の気性をご存知の方のナイスチェックでした。
たんじゅんの日、午前中はこの4者会談で終わってしまい、昼食後は南畑へ。午後はエンドウマメの支柱づくりを師匠奥さんと済ませて帰ったのでした。師匠は、翌日から京都。更には岩手と講演活動でまわり、地元へ戻るのは来週中ごろとのこと。75歳とは思えないパワフルな仕事ぶりです。
日本語人の話。帰って家内に話すと、以前師匠の話をした際に、丁度こんな新聞記事があり取ってあったと持ってきたのは朝日新聞コラム「折々のことば」(2015年12月3日)の切り抜き。
「ホネとは秀根(ほね)、大事な根が骨であった。」(中西進) 人には目があり、鼻、歯、耳がある。植物も芽(*目に対応)があり、花(*鼻)、葉(*歯)、実(*耳)がある。何という照応。かつて体を幹(から)と言い、手足は枝と言った。そして根。ホは焔(ほのお)や稲穂のホで「すぐれたもの」を意味するという説がある。骨が人間の大事な根だとすれば、私の生き方の根幹は、そしてその存在の根っこは、はたしてどんな形をしているのか?国文学者の「日本の忘れもの・3」から。 文中*印は私のつけた注。内容は新聞記事をそのまま転記。
師匠の話を聞きかじった私の判断だが、師匠も同じようなことを言っているのではないだろうかと感じた。そのことに私より先に気づいた家内(師匠にはまだ会っていない)に拍手、パチパチパチ。