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前年より約1週間ほど遅いが、桜の開花が南信州「伊那谷」を北上している。
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❖ 南吉瀬の枝垂れ桜
樹齢約100年と言われる樹高約28メートル 胴回り約2.8メートルの 「南吉瀬の枝垂れ桜(みなみきせのしだれざくら)」(長野県駒ヶ根市中沢吉瀬)は、田園地帯の広がりと残雪の中央アルプスを背景に「天竜川」東斜面に広がる農地の中に立つ一本桜だ。
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❖ 六道の堤
高遠藩第7代藩主「内藤頼寧(ないとう よりやす)」(1800/寛政12年~1862/文久2年)が、「末広村」(現在の「長野県伊那市美篶末広/いなし みすず すえひろ」)の開墾と開田を目指して1851年 9月に完成させたという「六道の堤(ろくどうのつつみ)」(長野県伊那市美篶笠原)には「タカトオコヒガンザクラ」「ソメイヨシノ」など約 120本が植えられている。背景は「南アルプスの女王」とも呼ばれる「仙丈ヶ岳」(標高3,033メートル)だ。なお、1940(昭和15)年3月「美篶太田窪」の「美篶小学校」裏の路辺に建立された「井上井月(いのうえ せいげつ)」(1822/文政5年~1887/明治20年)の初めての本格的句碑「何処やらに寉の声きく霞かな 井月」(どこやらにたずのこえきくかすみかな)が、1967(昭和42)年にここへ移転された。
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❖ 中曽根の権現桜
樹高約13メートル胴回り約6.7メートルの県内屈指の巨木で、1967(昭和42)年5月に長野県の「天然記念物」指定を受けた「中曽根(なかぞね)の権現桜」(長野県箕輪町中曽根)は、樹元に「熊野権現」が祀られていることから「権現桜」と呼ばれるようになったという。根本から二本に分岐しているだけでなく、二つの枝で花の色が異なっているので「夫婦桜」とも呼ばれているという。伝「樹齢1000年」と言われるので、平安中期「藤原道長の摂政就任」(1016/長和5年)と同時代の「エドヒガン」(あるいは「エゾザクラ」とも)ということか… 1902(明治35)年には落雷による火災があって、幹に空洞が出来たという。
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