山田勝の元気な日常

明るく元気が取り柄というけれど、日々思う事あり…、
そんな日常を何かに残したいと思って開設した初ブロク。

洋子ちゃんの願い

2007-05-18 | Weblog

私どもで、毎年、沖縄、岐阜、福島、北海道で重度の障害者を招いて、
一般人と一緒にキャンプ大会をするのですが、数年前に沖縄での、
一人の娘さんのことをお話ししましょう。
それは洋子ちゃんという17才で、車椅子で、
おしめが外せないという状態の女の子です。
ある年の沖縄でのキャンプの時でした。丁度七夕の時でしたので、
私が車椅子を押しながら、「洋子ちゃんも、何か願い事があったら、
言ってごらん。私が短冊に書いて吊るしてあげるから」と言いましたら、
「別に何もない」と言うので、「そんなこと言わないで、
みんなも空を飛んで沖縄に来てみたいとか、海をずっと潜ったまま、
どっかに行きたいとか夢のようなことを書いてるのだよ。だから洋子ちゃんも、
手足を自由に使って走りたいとか、願いごとをしたら」と言いましたら、
「先生、ご免なさい。やっぱり無いな」すると
お母さんが「そんな可愛げのない娘に育てた覚えがない。
あんただってきっと何かあるでしょう。素直に言いなさい」
と思わず大きな声を出すと、「だって本当に無いものは無い」という始末です。
その時、私は頭から冷水をかけられたような気がしました。
現実にはそんなことを書いても、そう簡単に手足が動けるようになるわけがない。
それをいとも気安く言うなんて、何と失礼なことを言ったんだろうと思い
「ご免なさいね、気がつかずに失礼なことを言って」と心から詫びました。
彼女は「先生、いいのよ。気にしないでね。それほど言ってくれるのなら、
夕方までに何か考えておくから」と言ってくれました。
夕方になって車椅子を押しながら、みんなが短冊を笹の小枝に結び付けるのを見せながら、
「洋子ちゃん、ああいう具合にするのだよ」と言いますと、
車椅子を押している私の手をとんとんと叩いて、
「どんなことでも書いてもらえる」と言いました。
「ああ、いいよ」と言ったら、何と言ったと思いますか。
私の全く予想もしなかったことでした。
「神様、どうぞお母さんより一日早く死なせて下さい、と書いてくれる」
17才の女の子にとって、母さんがいなくなったあと、誰がおしめを代えてくれるのか、
又誰がお世話をしてくれるのかなあということが、一番心配で、心配で堪らなかったのでしょう。
更にもう一つ、うがった見方をすれば、ずっと世話してくれたお母さんに
何も孝行できなかったけれど、せめて母さんより一日でも早く死んで、
私のことを何も心配しないで生きれるそんな一日を、プレゼントしたいという
乙女心の優しい思いと、切ない祈りが込められているような気がしました。
私は一瞬、胸にぐっとくるのをこらえながら、その通りに短冊に書いてあげて、笹に吊るしました。
暫くして炊事の当番をしていたお母さんが走ってきて、
「先生、洋子が何か書いて頂いたそうですが、何て言ったんでしょう」と聞かれましたので、
あそこにかけてきたから、見てきてごらんと言いますと、
それをじっと見ていましたが、やがてやってきて、
「先生、私にも一言何か書かして貰ってもいいですか」
と言うので、どうぞと言いましたら、こう書かれました。
「もし、神様がいらっしゃるなら、ぜいたくかも知れませんが、娘より一日長生きさせて下さい」
そして、二つの短冊を、揃えて吊って、じぃっと両手を合わせて拝んでおられました。
私はこんな出会い、本当は喜べないと思うのです。こんなのをニコニコやれっといっても、
誰にもできないと思うのです。だけどいくら歎いても、どうにもならないその世界を捕まえて、
なんとかというお母さんの祈りが、洋子ちゃんの心を広げていくのです。
さいごに彼女が私等に言ってくれたのは「先生、私が体が不自由なのは、
神様が、私ならきっと苦しみに堪えられると思ったのよね。私は神様に選ばれたのよね」
と、振れない手を一生懸命振りながら帰ってくれました。

伊勢修養団の中山先生の話です。障害のある方を社会で支えて行きましょう。