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●緑の小径 鈴木大拙館と水鏡の庭 松風閣庭園 ウドの実 クサギの実

2021年10月24日 06時00分00秒 | ★金沢市・金沢市近郊・河北市など

昨日アップした石川県立歴史博物館から歴史の小径から少し行くと緑の小径があり

そこをまっすぐ行くと鈴木大拙館があります。

広角レンズを持って行かなかったのでこの画像だけiPhone12で

鈴木大拙館 水鏡の庭に映り込み

まちなかにある深い静寂 鈴木大拙館 
D.T. Suzukiとして世界で知られる鈴木大拙は金沢が生んだ仏教哲学者。

設計 谷口建築設計研究所 谷口吉生氏「文化功労者」

 

歴史の小径から美術の小径、緑の小径に続いています。

 

 

ウドの実?

 

 

クサギの実

 

鈴木大拙館と水鏡の庭

 

 

この塀の向こうが鈴木大拙館 窓のようなところから見えました。

 

鈴木大拙館の右に小径があり行くと松風閣庭園

 

 

松風閣庭園 ここは初めて行きました。結構大きな池で、素敵でした。

奥に見えるのは松風閣

記念物 名勝
松風閣庭園 (しょうふうかくていえん)

所在地 金沢市本多町3-2-1
市指定名勝 平成20年5月1日指定

 松風閣庭園は江戸時代初期に、古沼と自然林を生かして作庭された庭園で、霞ヶ池の周辺には多くの大木が植生し、本多の森と一体の樹林を形成しています。この豊かな樹林を背景にして、蓬莱島を浮かべる霞ヶ池は、奥行きと広がりを感じさせ、静寂で深遠な庭園空間を構成しています。
 また、旧加賀八家本多家下屋敷跡に位置する庭園は、本多家ゆかりの松風閣が移築され、かつて辰巳用水から霞ヶ関に導水されていた水路跡を遺し、旧加賀八家筆頭本多家の威光を今に伝えています。
元和元年(1615)、本多政重が3代藩主利常から現在地の周辺一帯約10万坪を与えられ、下屋敷地として本多家家臣団が居住する区域となりました。本多家2代政長は茶人の金森宗和と親交があり、宗和の子方氏が寛永2年(1625)宗和の代人として加賀藩に仕えたことから、その指導を受けて作庭したものと推定されます。
 明治19年(1886)に元本多家上屋敷から移築された旧広坂御広式御対面所が、明治40年(1907)現在地に再移築された際に「松風閣」と改称され、庭園も松風閣庭園と呼ばれるようになりました。昭和43年(1968)、北陸放送会館が竣工し、松風閣に増築するかたちで高台荘が完成しましたが、その際に庭園の曲水、護岸の一部が改修され今日に至っています。
 松風閣庭園は作庭当初の雰囲気を色濃く残す武家庭園の遺構であり、市内に類例のない旧加賀八家ゆかりの庭園として兼六園、成巽閣庭園、西田家庭園とともに各武士階層の庭園を代表するものとして極めて重要です。

 

 

 

webより ミニ兼六園

兼六園と同じように、松風閣庭園の池には霞ヶ池、浮島には蓬莱島という名前が付けられています。

本多家が兼六園の池と浮島の名前を拝借したのかなと思っていたのですが、金沢市のホームページを見ると、兼六園よりも先に松風閣庭園が作庭されており、兼六園自体が松風閣を参考として造られた庭園だということです。

「ミニ兼六園」と記しましたが、正確には「元祖兼六園」と言えるでしょう。

 

📸SONY ILCE-7C(α7C)

α[Eマウント]用レンズ SEL50M28 (FE 50mm F2.8 Macro)

 

以前アップした 鈴木大拙館 (2017年3月)

鈴木大拙館
金沢が生んだ世界的な仏教哲学者である鈴木大拙(D. T. Suzuki)。その書や写真・著作を通し、大拙の考えや足跡を学び思索できます。国際的な建築家、谷口吉生氏が設計しました。








玄関

 

コラージュ

 

🔻クリック、さらにクリックで拡大されます。

 

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