昨日、兼六園に行き、ブログをアップしようと思って、フォルダをクリックしても全然反応がなく開かなかった。
こんなことは初めてなのです。
そこでブログをアップできません。
今日、再度トライしようと思っています。
昨日は兼六園に行き、八重桜の関山、普賢象、兼六園菊桜などを撮影しましたが、画像フォルダが開きません。
そこで、昨年の尾山神社の菊桜をコピーペーストしました。
2018年4月新聞記事より
金沢市尾山町の尾山神社の境内で2本の菊桜、江戸後期に加賀前田家が京都御所から授かったとされ、兼六園にあった国の指定天然記念物「ケンロクエンキクザクラ」の子孫にあたる。大切に手入れする金沢市泉野町の池内信彦さんの愛情を受け、今年も見事なピンクの花を咲かせた。 季節の花 1935年ごろ、積雪のために折れたケンロクエンキクザクラの枝が接ぎ木された。もとのケンロクエンキクザクラは枯死したが、接ぎ木されて育った木を32歳の時に友人から譲り受けたという池内さんは自分のブドウ畑で大きくした。 「たくさんの人たちに見てほしい」と、四半世紀ほど過ぎた2003年2月に尾山神社に植樹した。今も週に1回、花が咲いてからも2日に1回は境内に足を運び、手入れを続けている。
この日はまだ5分咲きくらいでした。
拝殿と菊桜
境内にある池泉回遊式庭園(神苑)が石川県指定名勝となっています。また神門が国指定重要文化財。旧金谷御殿の庭園であって、古代舞楽の楽器を模した地泉廻遊式の名園です。神苑の水は、三代藩主利常公の命により完成した辰巳用水の水を高低差を利用して、兼六園から暗渠で導き、響遠瀑から落としていました。現在は、当時の水路が断絶したので、井戸を堀り地下水を池に流しています
金谷神社
二代藩主前田利長公をはじめ三代から十七代までの藩主、当主と正室(夫人)をお祀りしています。
元は金沢城内で加賀百万石・前田家の別邸“旧金谷御殿”があった現在地に明治期に創建した神社です。
神門
慶長4年(1599)に2代藩主利長によって卯辰山に創建され、旧藩主たちにより現在地に移転。
神門は、明治8年(1875)にオランダ人技師ホルトマンの設計で、五彩のギヤマンを使った
和洋折衷の三層楼門は重要文化財に指定。高さは25m。
鼠多門と鼠多門橋
この後、昨日、一昨日アップした金沢城公園、兼六園に行きました。