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【産経】意味の無い戦後60年決議は不要ではないの?【朝日】

2005年08月04日 | 国内問題

衆院、戦後60年決議を採択…平沼氏ら退席・・・Yahooニュース
衆院は2日、戦後60年を機に国際平和に貢献する決意などを表明する決議を自民、民主、公明、社民4党などの賛成多数で採択した。
 決議は、第2次大戦の歴史認識について、「アジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧げる」とした。日本の戦争責任に言及した国会決議は、1995年の戦後50年決議以来となる。
 決議は、50年決議が言及した「植民地支配」や「侵略的行為」には触れていない。野党側が盛り込みを求めたが、自民党は「未来志向を打ち出したい」と拒否し、「10年前の決議を想起」との表現にとどまった。
 また、国際情勢の現状を「戦争やテロリズム」「地球環境の破壊」などで「人命の喪失が続き、核兵器等の大量破壊兵器の拡散も懸念される」と指摘した。さらに、政府には唯一の被爆国として、核兵器の廃絶などに積極的に取り組むよう求めている。
 採決時には、自民、民主両党の一部議員が退席した。平沼赳夫・前経済産業相は「国論を分けることを決議することに疑問を持っている」と述べた。共産党は出席して反対した。
 参院でも、同様の決議を今国会中に採択する見通しだ。
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 個人的にはこれ必要なのかなぁと思ってしまうのですが、戦後60年決議として採択しました。50年決議の時には村山政権が土下座外交そのものの決議を行い大混乱した訳ですが、これを否定するものを作りたかったのかもしれませんね。

 ちなみに決議全文はこちらです。


国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当たり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議案
国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当たり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議案(第一六二回国会、決議第六号)
 国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず、地球上に戦争等による惨禍が絶えない。
 戦争やテロリズム、飢餓や疾病、地球環境の破壊等による人命の喪失が続き、核兵器等の大量破壊兵器の拡散も懸念される。
 このような国際社会の現実の中で、本院は国際連合が創設以来六十年にわたり、国際平和の維持と創造のために発揮した叡智と努力に深く敬意を表する。
 われわれは、ここに十年前の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を想起し、わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧げるものである。
 政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと、唯一の被爆国として、世界のすべての人々と手を携え、核兵器等の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探究など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。
 右決議する。
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 文章を普通に読めばすぐにわかるのですが、真ん中にある例の反省の部分、前後の文章から見事に浮いてます。さらに国連に深く敬意を表するってあなた・・・日本は国連加盟国じゃないんですか?しかも常任理事国に立候補しているのにこの書きよう。仮にも政府の方針で常任理事国入りの活動をしているんですから、日本の国連における位置づけを明確に宣言しても良かったと思います。

 さらには国際連邦って・・・なんですか?国連のことですか?かの人達の楽園ですか?goo国語辞典で調べてもそんな言葉はありませんでしたよ?

 そしてこれを現在社説で取り扱ったのが産経、読売、朝日の3社。3社共にこの決議について非難しているのですが、面白いのが批判内容。ここでは産経と朝日を取り上げて見ます。


【主張】戦後60年決議 10年の劇的な変化を無視・・・産経新聞社説
戦後六十年の決議が衆院本会議で採択された。抽象的な文言に終始し、重要な節目を迎えた国の立法府としての決意が伝わってこない。
 決議は歴史認識について「わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めてすべての犠牲者に追悼の誠をささげる」としている。
 十年前の平成七年六月、自社さ政権下の衆院で、新進党欠席のまま、議員数の半数にも満たない賛成で可決された戦後五十年の「謝罪・不戦決議」には、「植民地支配」や「侵略的行為」との表現があった。今回の決議には、そのような一方的な歴史認識の表現はなく、この点は評価されてよい。
 しかし、その代わりに、「十年前の『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』を想起し」という文言が加えられた。「植民地支配」や「侵略」の言葉を入れるべきだとする野党と、これに反対する自民党との妥協の産物である。依然として、社会党出身の村山富市首相時代の歴史認識から脱却できていないといえる。
 この十年で、日本を取り巻く国際環境は大きく変わった。
 平成十年、北朝鮮がテポドンを発射し、十一年には、北の工作船の領海侵犯による自衛隊初の海上警備行動が発令された。二〇〇一(平成十三)年の米中枢同時テロ以降は、日本の自衛隊も国際テロ撲滅の一翼を担うようになった。さらに、平成十四年九月、金正日総書記が拉致事件を認め、北の国家犯罪が白日の下にさらされた。
 国家意識が希薄になりがちだった戦後の日本人も、「国家」や「主権」を意識せざるを得ない状況が生まれた。だが、今回の戦後六十年決議は、こうした十年間の変化を、ほとんど考慮に入れていない。
 相変わらず、「世界連邦実現」「人類共生の未来」といった地球市民的な理念が書き連ねられている。これでは主権国家としての意志がはっきりとせず、何も言っていないのに等しい。この戦後六十年決議に、自民党の安倍晋三幹事長代理や拉致議連会長の平沼赳夫氏らは途中退席したが、その行動にはうなずけるものがある。
 国権の最高機関として、あまりにも空虚で現実味に乏しい決議である。
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60年決議 言葉を超えた和解を ・・・朝日新聞社説
この10年間で何かが変わったのだろうか。きのう衆院で採択された「戦後60年」の国会決議を読んで、そんな思いにとらわれる。
 決議は河野洋平衆院議長の指示で実現した。国連創設や日本の被爆から60周年にあたることも踏まえ、「更なる国際平和の構築への貢献」を約束した。政府に「唯一の被爆国として」「核兵器の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦の実現」などへの努力を促した。
 10年前、同じように戦後50年の節目に国会決議が採択された。今回の決議とは違って、その時は激しい論争が巻き起こった。自民党、社会党、さきがけの3党連立のもとで、社会党の村山富市氏が首相だった。
 過去の植民地支配や侵略への反省と謝罪を盛り込むよう主張した社会党に対し、自民党が反発した。「日本だけが植民地支配や侵略をしたわけではない」「前科者として頭を下げるような決議はだめだ」といった批判が飛び交った。
 結局、植民地支配などの表現は入ったものの、与党である自民党から本会議への欠席者が続出。野党の新進党も欠席し、決議への賛成者は衆院の議席の過半数にも達しない異常事態だった。
 われわれは社説で「恥ずかしい。悲しい。やりきれない」と書いた。
 あれから10年。今回の決議では「わが国の過去の一時期の行為」がアジアや他国の人々に多大な苦難を与えたとし、反省を表明している。だが、「侵略的行為」「植民地支配」の表現は消えた。
 では、戦後50年決議やその後の「村山談話」にはっきりとうたわれたこうした過去に触れる必要がないほど、われわれの反省はアジアに広く受け入れられたのか。残念ながら、そうではない。
 この10年の間にも、自民党の政治家は創氏改名や韓国併合を正当化するかのような発言を繰り返した。そのたびに、決議の「反省」は色あせた。
 そしていま、日本のアジア外交は八方ふさがりに陥っている。中国での激しい反日デモなどをめぐって、小泉首相は4月のアジア・アフリカ首脳会議で村山談話の表現をなぞり、理解を求めなければならなかった。
 和解は進んでいない。むしろ事態は深刻化しているように見える。
 国会決議に「侵略」などの表現が入らなかったからといって、反省の気持ちが後退したとは思いたくない。野党の要求で「10年前の決議を想起し」という一文が挿入され、戦後50年決議を踏襲する形にはなっている。
 自民党や民主党に退席、欠席した議員がいたとはいえ、賛同した議員は前回とは比べものにならないほど増えた。
 近隣諸国との付き合いがうまくいっていないこんな時期だからこそ、国会の意思として改めて反省を表明したことは意味がある。この趣旨が少しでも生かされ、和解が進むよう国会自身が努力する責任がある。
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 この2つを読み比べておもしろいのが、どちらも本決議を批判しているのですが、批判内容が全く異なっていることです。

 産経新聞はこの10年で世界情勢は大きく変わり、その流れが反映されておらず、国家主権の強調が無い旨が展開されています。いつまでも暗黒の村山政権時代の認識から脱却できないことへの批判、そしてテロとの戦い、支那の軍拡、北朝鮮問題などこの10年で日本を取り巻く劇的な状況変化の未対応、これについては全く産経新聞の主張通りだと思います。

 逆に朝日新聞は世界情勢には反日デモのみターゲットを絞り、過去しか見えていない社説を展開しています。支那=アジアの朝日クオリティはもちろんのこと歴史認識について50年決議より後退していると非難しています。言葉上「侵略」、「植民地」という文言が消えて、「10年前の決議を想起し」で誤魔化されたのがよっぽど悔しかったのが社説タイトル「言葉を超えた和解を」に現れていると思います。

 大切なのは我々のいる日本という国家がこの先どのような道を歩んでいくかだと思います。このような内容の60年決議など何の意味も持たない、そんな気がします。