vol.14 ヤーコン粕漬をつくる

2005年06月30日 | Weblog
私たちが、ヤーコンジュース、ヤーコン茶に次いで製品化したのは、
ヤーコン粕漬でした。

当時、無臭ジャンボニンニクの栽培に力を傾注し、
山口県豊北町で土井ヶ浜農園を経営しておられた松田社長にお出会いしたお蔭です。

社長は、レイテ沖海戦を経験した数少ない生存者のお一人です。
無臭ニンニクのことを教えてもらいに訪問したのですが、
逆にヤーコンに興味をもってもらい、
いきなり30ア~ル栽培してもらうことになりました。

好奇心の塊のような方で、
ニンニクの粕漬を作っておられたこともあって、
すぐにヤーコン粕漬誕生となりました。

「これは珍味だ。老いて歯がなくても歯茎で食べることができる」

と自画自賛。
先ず、15%~18%の塩漬けにし、2~3日おいて、ヤーコン中の水分を抜きます。
これを酒粕に漬けるのですが、社長のところは、2度粕に漬け、
十分塩分を除きます。

その結果、瓜の奈良漬よりも柔らかく、サクサクした漬物に仕上がります。

粕漬の次はヤーコンジュースを作ると意気軒昂でした。

そんな社長がトラクターでの作業中に事故で急逝され、
あと次男さんが継がれると
「儲からない仕事はやめる」
との申し出に、私も戸惑いました。

多くのお年寄りに喜ばれ、その後も問い合わせが多かっただけに、
もったいない気持ちでいっぱいです。

vol.13 ヤーコン焼酎って何?

2005年06月29日 | Weblog
昨日は、黄色いヤーコンジュースが瓶詰で出ていることに疑問を呈しました。

私の考えでは、これはヤーコンジュースではなく、
ブドウ糖や果糖からなる液糖ジュースだとの思いです。
ヤーコンのオリゴ糖が大半を占めるジュースなら
食物繊維のように、それ自身、体に吸収されず、腸内を掃除してくれるでしょう。
また、ビフィズス菌などの栄養源ともなりましょう。
液糖であれば、そのような効果は全く期待できません。

今、ヤーコン焼酎が4つの県から売り出されています。
横浜と熊本の方から報告を受け、同時に、ヤーコン酒は造らないのですか?
と聞かれました。


実は、私もヤーコンを知った直後から、
これは加工品としてはジュースだと考え、ついでお酒にしようと考えたものです。
事実、ヤーコンから低アルコール飲料を製造する特許も申請しています。

ヤーコンエキスをそのまま発酵しますと、5%前後のアルコールが得られます。
さらに、ヤーコン中のオリゴ糖を完全に分解して後、発酵させても
理論上、日本酒並のアルコールしか得られません。

一方、ヤーコン焼酎は、アルコール度25%で、米・麦を原料として
米麹を使って、焼酎を作ったと記されています。
これらの原料の中にヤーコンを加えているようです。


私がわからないのは、
蒸留して作る焼酎の中に、オリゴ糖やポリフェノールが含まれている点です。
沸点の高い、或いは蒸発もしない、これらの物質が含まれる事を
どのように説明するのでしょうか。

また、酒税法とのかかわりはどうなのでしょうか。

いつか専門家に聞いてみたいと思っています。

vol.12 ヤーコンジュースが瓶詰めで発売されていますが・・・

2005年06月27日 | Weblog
インターネットでヤーコンジュースの発売状況を調べました。

ヤーコン製品の1つとして、
黄色いジュースが瓶詰めで日本の各地から発売されるようになったことが分かります。

私どもが発売を開始したのは
平成8年の秋でしたが、競合品が出始めたのは平成15年からだと思います。

これらの商品には2つ問題があります。

1つは特許上の問題
今1つは、ヤーコン中のオリゴ糖が分解してなくなっているのではないか
という問題です。

市販のジュースは皆、黄色又は赤みを帯びた黄色です。
これはアスコルビン酸などの有機酸を加えることで生じたものです。

そしてこれらは私どもの特許権利内にあるものと考えます。
一方、これら瓶詰めジュースを私どもの液体クロマトグラフで分析しますと
オリゴ糖を検出することができません。

賞味期限が1年と記されていますが、
酸を加えて常温保存では2ヶ月持ちません。

オリゴ糖は徐々に、ブドウ糖と果糖に分解するのです。

ですから、私どもは冷凍して皆様にお届けしているのです。

家庭用の冷凍庫のスペースが狭いので、
常温での製品化を要望されますが、
科学的裏付けや実証上から、皆様のご要望に応えられないのが実状です。

ものづくりは、製品化すればよいのではなく、
製品の中身に責任をもつことが第一優先です。

vol.11 ヤーコン茶開発の裏話

2005年06月24日 | Weblog
ヤーコンに出会い、ヤーコン芋は10アール当たり平均3トン収穫できることは既に書きました。


一方、葉や茎の部分を乾燥すると、
乾燥品として約300kg(生葉では3トン)の収穫が可能です。
「これが食材として使えるようになればヤーコンの仕事もやり易くなる」
といつも考えていました。
料理の先生にも研究してもらったりもしました。


平成7年1月だったと記憶していますが、
民放テレビ局から“スチュワーデス物語”と題する番組が放送されました。
年末から年始にかけて、世界とまたにかけて活躍する客室乗務員の姿を描いたものです。


その中で、南米からのお土産品として
プロポリスとヤーコン茶が客室乗務員さん達の人気商品だと紹介されました。


ヤーコン茶は利尿作用が強く、お肌がツヤツヤして人気があるとの
コメントがついていました。


娘が客室乗務員になりたいといって、採用試験を受けたりしていましたので、
偶然ですが、この番組をみることができたのです。


早速、第一勧銀の副頭取をしていた、幼馴染(後に頭取)に電話をして、
サンパウロから、yacon teaを手に入れてもらいました。
日本茶のように缶入りでしたが、中身はヤーコン葉を乾燥しただけのものでした。


「くせがあり、美味しいお茶ではない」が皆の一致した感想でした。


これがヒントになりお茶作りが始まりました。
近所に翁井幸治さんというお茶作りの名人がおられたおかげで、
現在のヤーコン茶王ができあがりました。


そして平成9年秋に販売を始めました。
すぐれた製品には、その道のこだわり職人が必要だとつくづく思ったものです。

vol.10 カボチャの蔓ボケを初体験

2005年06月22日 | Weblog
今年も駐車場横の空き地にカボチャ6本とスイカ、メロンとともに植えました。

勢いよく青々と順調に生育しているかに見えました。
「これで今年も東京と横浜にいる長男、次男に送ることができる」
と事務所に出かける前に必ず成長を確認していました。

ところが、いっこうに蔓が出ず、中心部に沢山の花を付け始めました。
「これではカボチャの育つ場所がない。
 もしかしたら、カボチャの品種のせいなのか」
と妻に話しました。

私が品種も確かめずに買ってきたものですから、そのように疑ったものです。

妻は本を調べて
「肥料過多による蔓ボケでしょう」
といいます。

そういえば、例年ですと、畑全体に肥料を施し、すき込みますのに、
今年は、ポット苗を買った上に、その周辺のみに多量の肥料を与えました。

早速、中心部に集中している花と花になる芽10数個を手でもぎ取りました。
すると、待ってましたとばかり、翌日から6本とも一斉に蔓が伸び始め、
正常な姿にもどりつつあります。

トマトもナスも小果を摘下したり、わき芽をかき取る作業がかかせません。
先達が、ものづくりに励んだおかげで、その成果の恩恵にあずかれるのです。
そして植物は放任では収穫につながらず、
適度にいじめることで一人前になる不思議さも興味深いところです。

vol.9 黄色いヤーコンジュースの発明の端緒

2005年06月20日 | Weblog
ヤーコンの黄色いジュースは、
ヤーコンをすりつぶし、ビタミンCまたはそれを含むレモンなどの果汁を加えると
簡単に作れます。

今日では、多くの人がこのことを知っています。

家庭で作って食す場合は、この程度の知識で十分です。

しかし、商品として流通させるには、これでは不十分です。
ヤーコンは根菜ゆえに、種々の土壌菌がいます。
特に、耐熱性の土壌菌を除くことは必須です。

ヤーコンをすりつぶすと、徐々に緑色が現れます。
さらに、そのままでおくと茶色になり黒色になります。
緑色が強く現れたときに、レモンなどビタミンCを含む果汁を加えますと
瞬時に黄色に変ります。

実は私も商品化は簡単にできそうだ!殺菌の問題さえ解決すればよい
と当初は考えていました。

黄色いジュースをガラスコップに注ぎ、仲間と話し込んでいました。
しかし、飲み終わってガラス壁に付いたツブツブの繊維が真っ黒になっていることに気付きました。

どうして黒くなったのか。
どうすれば黒くならないで黄色いジュースとして存在するのか。

解決を迫られました。

丹念に調べた結果、
緑と思っていた色素は、黄色から青色まで異なる物質が複数含まれていること、
青色色素は予め70~80℃に加熱すれば現れないこと、
緑の色素は100℃でも安定であること
などが分かりました。

そして青色の色素を除去すれば、
ビタミンCを添加して得られる黄色いジュースは安定で、
先刻の黒くなる現象は起こらないことが判りました。

小さな変化を見逃さなかったことが
新しい発見に結びついたのです。

vol.8 杉が邪魔者扱いされてかわいそう

2005年06月17日 | Weblog
先に、竹林を桜の丘に変えた出来事を書きました。

実は、竹林の中に杉が100本余りあり、
その中にも竹が侵食するので、竹を毎年切って、杉を守ってきた経緯があります。
この度、これらの杉も切ることにしました。

杉のことで思い出すのは
昭和57年に家を新築した折、「この杉を使って欲しい」と大工に話しました。
山から切り出し、製材し、乾燥して使うと、買ったほうが遥かに安いと笑われました。

今回、「60年近く経ち、太く成長した杉を山に捨てるのはもったいない。タダで使ってください」
と近くの材木屋に電話しました。
車が直接入り、持ち出し易い場所にあるので、
良い所を使いましょうと引き受けてくれました。

切り出してみると、台風によって杉の内部がおかされ、
使えるところは少なかったとのことです。

振り返れば、戦中、松根油が必要とかで松を供出。
戦後、祖母と母が国の政策もあって、その後に杉を植えました。
最近でも、大きな台風がくるたびに、倒木し、これを処分するためにお金がかかり、
また、杉花粉が社会問題になって、
持ち主として肩身の狭い思いをさせられるなど、杉には悩まされ続けてきました。

今春から、森林を育てる名目で、
山口県では県民税を企業や県民から取るようになりました。
その恩恵第一号が私であったのかもしれません。

役に立ちたいと思って大きくなった杉のはずです。
嫌われてばかりで一生を終わり、とてもかわいそうです。

vol.7 ヤーコンジュースの本格的な製品づくりに挑戦

2005年06月16日 | Weblog
ヤーコンを食材に製品づくりを決断する際、原料ヤーコンの安定確保が第一条件になります。

ヤーコンはサツマイモよりも収穫量大であると分かったのは
平成4年と5年の2ヶ年間、栽培地と栽培面積を拡大してからです。
これらのごく基本的な情報さえありませんでした。

先ず、ヤーコンジュースの製造上の課題が何かを把握するために、
平成6年、山口県工業技術センター(現 産業技術センター)に研究員を派遣しました。

これらの課題を解決するために、平成7年にはヤーコン協同組合を設立し、
通産省(現 経済産業省)の助成をお願いしました。

幸運にもこれらが認められ、分析評価機器、例えば、液クロ、イオンクロマト、
分光光度計などを導入しました。
ヤーコンをすりつぶして起こる色の変化や主成分であるオリゴ糖の種類と含有量、
そして、製品化後のオリゴ糖の安定性など測定できるようになりました。

お蔭様で、ヤーコンにレモン等のビタミンCを加えると
冷凍しないと、オリゴ糖はブドウ糖と果糖に分解することが分かりました。

これらの分析機器を総同員した結果、
ヤーコン黄色ジュースそのものが特許となり、
発明協会から平成15年度の発明賞(山口県知事賞)を受けることができたのだと思います。

vol.6 植付けの遅れた今年のヤーコン

2005年06月15日 | Weblog
昨日(6月14日)、例年より1ヶ月遅れでヤーコンの植付けを済ませました。

いつもなら3月末から4月初めに球根を掘り起こし、畑に仮植します。
そして4月末から5月の連休で大部分を本植えし、欠苗の部分を5月半ばまでに
補充するのが常でした。
早期栽培が良好な結果をもたらします。

ところが、今年は異常気象でしょうか。

春先は例年より寒く、芽吹が遅れました。
雨が少なく、梅雨に入ってからもあまり降りません。
そのため植付のタイミングがつかめなかったのです。

今年度は、農水省、旧四国農試の中西先生が一番最後に品種改良されて
生まれた“アンデスの雪”に全面切り替えました。
昨年の春、新種を少し頂戴して、在来種との違いをはっきりと確認することができました。

「在来種は日本の気候に適さず、これでは産地が壊滅する」
との先生の言葉が印象深く残っています。

四国農試では、平成3年からヤーコンの新種改良に取り組み、
サラダオトメ、サラダオカメ、そしてアンデスの雪の順に品種登録をされました。

在来種は、高寒冷地以外では、ヒビ割れが多く発生する欠点がありました。

私も、平成8年からヤーコンジュース原料用に農家の皆さんに作ってもらっていますが、
中西先生の言葉通り、多くの栽培者に苦労をかけてきました。

今後は、新品種の普及により皆さんに喜んでもらえるでしょうし、
本年が再挑戦の年になるとの予感が湧いてきます。

vol.5 ヤーコンジュースの商品化を目指したイキサツ

2005年06月14日 | Weblog
「生活習慣病を予防する野菜の栽培・加工・販売を事業として始めたい」

と考え、珍しい野菜やハーブなどの調査を続けていました。

3ヶ月に1度、会食をしたいた、相模原市在住の大学の先輩(豊田租氏)から、
ヤーコンが面白そうだと聞きました。
そして平成2年秋、3キログラムほどのヤーコンを送ってもらいました。
その時は、量も少なく、家内がキンピラや天ぷらなどに料理してくれましたので、
ヤーコンの特性をつかむには至りませんでした。

翌年の平成3年に50本余り自宅で栽培し、秋に自ら手を加え、いくつかの驚きと
期待を持ちました。
“これは野菜というより果物だ”
“みずみずしく生で食べられるのでジュースにすればよいのでは”
と直感しました。

自宅のジューサーで処理すると、色がなんとも美しい淡い緑色になりました。
ついで濃い緑色に変り、さらに茶色から黒ずんできます。
緑になったところで、レモンを加えると、美しい黄色いジュースが得られました。
“これは元気の出る色だ”

ジュースの商品化を目指そうと目標をたてました。

「ヤーコンをすりつぶして最初に緑色になるこの状態で安定化できないのだろうか」
「時間の経過とともに、色の変化を研究する価値はありそうだ」

これは結構、難しい仕事になりそうだ。誰にでもできる仕事ではない。
しかも、未だ誰もやっていない。やりがいはありそうだ。

そのようなことを考えたのは、平成3年の秋のことでした。