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シルクロード――庫車編①

2009-11-10 10:48:12 | シルクロードの旅
天山山脈南麓の都市としてコルラとアクスのほぼ中間に位置する。ウルムチから約630km、バスで20時間弱かかるオアシス都市で、亀茲国と言われた時代には、西域北道の中心都市の役割を果たしていた。

天山南路の中継地点となるクチャ。付近には遺跡が多い。しかもそれらの遺跡は、現在かなりの影響力を持っているイスラム教関連のものではなく、仏教遺跡が中心となる。遺跡は、かつてのクチャの繁栄ぶりとその文化を無言のうちに伝える貴重なものばかりだ。

そもそもクチャは、その昔、亀茲国として栄えた。前漢時代(紀元前206~後8年)には、クチャ付近の鳥塁城に西域都護が置かれるなど、西域の要衝であった。ちなみに、亀茲国とは中国の史書に記された西域諸国の一つ。2世紀以後、亀茲国は、焉耆(カラシャール)・疏勒(カシュガル)・于闐(ホータン)・鄯善(ローラン)とならぶ西域の五大国として周囲に知られていた。やがて時代は後漢の時代に移り、班超が西域都護としてこの地に駐在した。班超とは後漢の将軍で、西域都護とは西域経営の長官を意味する。

亀茲国時代は現在のイスラム教とは異なり、仏教文化が非常に栄えていた。630年頃に亀茲国を訪れた人物の記述が残っている。

訪れたのは、長安を出発し天山南路からインドに入った三蔵法師の名で知られる玄奘だ。その時の模様を玄奘は、伽藍が100ヵ所余り、僧侶が5000人もいる上座部仏教の地、と記している。上座部仏教とは正式には南方上座部仏教と呼ばれ、現在は、スリランカ・タイ・ビルマ・ラオスなどで信奉される戒律を尊ぶ仏教だ。

7世紀に入ると、亀茲国は唐と戦ったものの敗れ、ついに滅亡する。その結果、唐は西州の安西都護府をこの地に移し西域経営の重要拠点とした。亀茲故城がその所在地だったと言われている。

そして9世紀半ばになると、この地に一大変革の兆しがあらわれた。その中心が、現在この地で多数派をしめるウイグル人だった。ウイグル人の勢力が増し始め、彼らは亀茲ウイグルと呼ばれるようになり、いつしかこの地ではイスラム教が仏教を押しのけて中心となり始めた。

その後、遼・モンゴルなどの支配下に置かれた。1758年になりと清は遠征を行い、その時に、現在の地名となる庫車に改めたという。

参考:中国観光専門サイト―西部旅情クラブ


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