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シルクロード――喀什編②

2009-12-01 12:52:42 | シルクロードの旅
タクラマカン砂漠の西に位置する中国最西端の町カシュガルは、シルクロード西域北道(天山南路)と西域南道が交わるオアシスで、古くから東西交易・交流の要の役割を果たしてきた。旅をする者にとっては大切な停泊地であり、旅を続けるための補給や準備、休息ができる貴重な町だ。そのために、東西の商人が集まり、市場の賑わいがうまれているのだ。東西の民族の十字路の町がカシュガルなのである。

カシュガルの人口は27万人で、ウイグル族が68%、漢族が22%を占め、残りの10%は15の少数民族で構成されている。宗教はイスラム教が主流で、全人口の74%がイスラム教徒だ。面積98k㎡、年間降雨量60~80mmと、日本の一ヵ月にも満たない量だが、天山山脈から流れ出てくる雪解け水により水量は豊富だ。そのために、農業が主要な産業として成り立っている。平均気温は、最も寒い1月でマイナス6.4℃、最も暑い7月で25.8℃と、厳しくはない。―

町にはポプラ並木が続き、ロバ車が行き交い、中近東風の音楽が流れ、ドッパ(刺繍を施した四角い帽子)をかぶり髭をたくわえた男たち、矢がすりの民族模様のワンピースを着た女たち、いまではそれほど多くはないがパルダ(顔を覆う布。チャドル)を被る女たちが行き交い、露天の店ではナンやシシカバブーが売られている。「ここが中国なのだろうか」と思わせる最果ての町(中国最西端の市)だ。

カシュガルが歴史上に登場するのは前漢(紀元前202~後8年)の時。『漢書』の「西域伝」に次のように記されている。

「疏勒国、王は疏勒城に治す。(中略)東は都護治所に至る二千二百一十里、南は莎車に至る五百六十里。市列有り、西は大月氏、大宛、康居の道に当たる也」

疏勒国とは今のカシュガルのこと。市列とはバザールのことだが、カシュガルは2000年前からシルクロードの要衝であり、東西交易の地としてバザールが盛んだったのだ。また、大月氏に行く張騫がここを通り、班超が活躍し、鳩摩羅什が大乗経を学び、玄奘三蔵やマルコ=ポーロが滞在した地でもある。唐代には安西四鎮のひとつであり、「伽藍数百、僧徒万余」(玄奘)といわれるほど仏教も栄えたが、漢民族の支配が弱まるにつれ、10世紀にトルコ人とイスラム教が流入した。このころからカシュガルと呼ばれるようになったという。西域のイスラム化はこの時期に端を発するといわれている。現在、この地に仏教の痕跡がほとんどないのは、イスラム教が、改宗に厳格なことや偶像崇拝を禁じているために仏像などが破壊されたことによるといわれる。

その後、13世紀にチャガタイ汗国に属し、明代にはカシュガル汗国の首都となった。清の疏勒州、中華民国の疏勒県を経て、解放後の1952年には市制が布かれ、以来、南彊地区の中心都市となっている。

現在、開封政策の進展によって、タジキスタンやキルギスなど、あるいは中パ公路を通じてパキスタンとの交易が行われ、かつての「バザール都市」の面目躍如という熱気を復活させている。

参考:中国旅行専門サイト―西部旅情クラブ


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