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シルクロード――西安編②

2009-02-27 09:17:32 | シルクロードの旅
シルクロード交易の基礎を築いた武帝


 匈奴を漠北に追いやって、シルクロードにおける交易の基礎を築いたことでも知られる武帝は、紀元前157年に生まれ、紀元前87年に没した前漢の皇帝である。
 
 在位54年の間に、水利灌漑事業により農業を振興し、財政を塩・鉄の専売で充実させるなどして、前漢に最盛期をもたらし、大国としての結構を整えた。

 「漢字」という言葉が残っていることからも分かるように、武帝の政治の才と遠大極まる計画は、海外にも多くの影響をもたらした。

 西安市の北西約40キロメートル、渭河北岸の台地、咸陽北原に、武帝の陵墓である茂陵(マオリン)がある。この台地には、前漢時代の皇帝11人のうち9人の陵墓が点在しているのだ。

 威厳を反映してか、この茂陵は、咸陽北原の陵墓の中で最大の規模を誇るものだ。造営は、即位した翌年より亡くなるまでの53年間にも渡った。武帝は、中国の皇帝の中でも、皇帝陵を造営する期間が最も長かった皇帝でもある。

 陵墓は四角錐の上辺を切断したような形をしており、高さ46.5メートル、頂の一辺40メートル、底の一辺230メートルの大きさを持つ巨大なものだ。かつては宮殿もあったが、今は周囲をめぐらした土壁の門の遺跡が残されているのみである。

参考:中国旅行専門サイト

シルクロード――西安編①

2009-02-26 09:38:44 | シルクロードの旅
 唐の時代、長安が、シルクロードの東の起点となり、往時のローマ帝国と並ぶ国際貿易都市として繁栄したことは、よく知られるところだ。さまざまな国の僧や商人などが、さまざまな目的を持って、この長安を訪れていた。また、長安からも、多くの中国人が、異国を目指して旅立っていった。

 西域へ漢民族が踏み出していったのは、前漢の時代、武帝が、匈奴の伸張に対抗するため、大月氏に張騫を派遣したことから始まるといっていいだろう。後漢になると、班超が西域都護となり、甘英をローマに派遣したことは、周知のことである。以後、中国の西域との関係は、紆余曲折を経たが、唐の時代には盛時を迎える。

 西域を行き交う人々は、どんな目的を持っていたにせよ、誰もが冒険者だった。交通手段の発達した現代では想像もつかないことだが、旅は、確実に、未知の世界との出合いとなり、死の覚悟なしには行いえないものであった。

 西域を旅した人の中で、最も日本人に親しみのあるのは、おそらく三蔵法師玄奘だろう。唐の時代、中国に仏教を正しく導き広めるため、彼は長安をあとにした。その苦難の連続だった道程に、私たちが魅かれるのは、彼が生命を賭けても、希望を失わずに、一歩一歩、長い歳月をかけて、最初の目的に向かっていったからにほかならない。

 三蔵法師玄奘の旅から受ける感動を、私達は何と呼べばいいのだろう。この胸ときめく気持ちを、とりあえず表現するとしたなら、こうなるだろうか。シルクロードにおけるロマンの人。そう、まさに三蔵法師玄奘は、西域の東の玄関としての長安の代表的な人物と言えるだろう。

 三蔵法師玄奘がかきたてるシルクロードのロマンは、西域を旅したすべての人々に共通して抱かせる。歴史に名前を残したわずかな人ばかりでなく、現存する記録に残らなかった大勢の旅人も、同じように、ロマンの人であった。

 かつての長安は、そんな人たちによって活気づけられていたのだ。

 日本人も例外ではない。この世界で最も活気ある都市へと、命を賭けて海を渡った遣唐使たちは、国の益になる多くの物事を吸収して日本に持ち帰ったのだ。彼らもやはり、ロマンの人と呼んで差し支えないはずだ。

 日本の平城京・平安京が、長安をモデルにしてつくられたのは有名な話だが、これも、命を賭けて海を渡った人々なくしては不可能なことだったのだ。

 14世紀、明の太祖洪武帝は、諸王子を各地に送り、王としたが、長安に封ぜられた第2子の秦王は、唐の時代の長安城の北部に城壁を築いて、西安府としたのだった。その西安府が今の西安の基になっている。

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 現在の西安市は、面積9983平方メートル、約640万人の人口を有する陝西省人民政府の所在地で、陝西省の政治・経済・文化・交通の中心地だ。また、西北地区最大の工業都市になっている。南の郊外は、陝西師範大学、西安外国語大学など、大学が約20校集り、文教区となっている。東の郊外は、紡績工場が多く、紡績城と呼ばれている。市街区、郊外ともに見どころは豊富だ。

参考:中国旅行専門サイト

「春節最高人気観光施設賞」に「鳥の巣」「水立方」

2009-02-25 12:18:09 | Weblog




国家体育場「鳥の巣」、国家水泳センター「水立方(ウォーターキューブ)」、オリンピック公園などのオリンピック関連施設が9日、「2009年北京春節連休の最高人気観光施設賞」を獲得した。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。

 北京市暇日旅行工作指導チームと北京市観光局が発表した統計結果によると、2009年春節連休期間中、オリンピック公園を訪れた観光客は百万人あまり、「鳥の巣」と「水立方」を見学した観光客は計延べ22万人、観光収入は395万元にそれぞれ達した。

 「2009年北京春節連休旅行授賞式」が2月9日、北京で行われた。今回の授賞式では、春節連休期間の「最高人気観光施設賞」、「最も特色ある廟会(縁日)賞」、「最優秀旅行販売促進賞」および「最優秀活動組織賞」なる四大テーマ賞が設けられた。「鳥の巣」、「水立方」、オリンピック公園が「最高人気観光施設賞」を、地壇文化廟会が「最も特色ある廟会賞」を、前門歩行者天国が「最高人気ダウンタウン賞」を、北京全聚徳和平門店が「最高人気レストラン賞」を、中国国際旅行社本社などが「最優秀旅行販売促進賞」を、北京市東城区などが「最優秀活動組織賞」をそれぞれ獲得した。(編集KM)

 「人民網日本語版」2009年2月10日

南関清真寺

2009-02-25 09:48:26 | Weblog


南関清真寺は銀川市の東南隅にあり、明代の末に創建だったといわれ、1981年再建されたアラビア風と民族特色が結合した建物です。



イスラム教を信仰する回族が多く暮らす寧夏回族自治区には、1800余りのイスラム教寺院があると言われ、その中でもこの清真寺は最大級のものですので、銀川の回族人は宗教活動を行う中心場所となります。

特に毎週金曜日と回族の伝統的な祝祭日、多くのモスリムがここに集って礼拝します。

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海宝塔

2009-02-24 13:56:18 | Weblog
海宝塔は市の北にあるので、北塔とも呼ばれ、銀川のシンボル的存在しています。



この塔は煉瓦造りで9層があり、高さ53.9メートルです。



創建の時期は不明ですが、西夏国の初代王、赫連勃勃が修復したと伝えられています。

その後、何度かの地震によって崩れ、清の時代に再建され、今日に至って1500余年に聳え、西夏王朝の栄華を物語っています。



今は塔の第9層まで登ることができ、上から黄河や賀蘭山の眺望が楽しめます。

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西夏王陵

2009-02-20 10:01:53 | Weblog
西夏は1038年からチンギス.ハンに滅ぼされるまでの約190年間栄えたチベット系タングーと族の王朝です。



その歴代帝王の陵墓が賀蘭山の北麓にあり、9つの帝王墓と70余りの陪塚があり、即ち「東方金字塔」の美称を持つ西夏王陵です。





そのうちに西夏の建国者―李元昊の墓が最大のものです。多くの海内外の人に西夏の歴史と文化を了解させるために、3号陵墓を中心とした遊覧区を開発し、西夏博物館と西夏芸術館を次々と建設しました。



今西夏王陵は映画「敦煌」で有名で繁栄な西夏王国を偲んで、独特な文化と魅力で大勢の観光者を引き付けています。



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馬蹄寺石窟

2009-02-18 09:04:02 | Weblog
馬蹄寺は甘粛の南裕固族自治区県に位置し、北に張掖市から65キロメートルがあり、石窟芸術、祈連山景色と裕固族風習と一体する観光地です。



北寺、金塔寺、千仏洞など7つの石窟群からなり、絶壁などの岩壁に彫られ、遠くから眺めると楼閣が層を成しているように見えます。



北魏のころから彫り始められましたが、現存する壁画や彫塑などは唐代以後のものが多いです。北寺と金塔寺の石窟が最も保存が良いとされています。

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青銅峡ダム

2009-02-17 09:20:47 | Weblog
青銅峡は黄河上流の最後の峡谷、長さ10余キロ、幅50~100メートルです。両側の絶壁の高さが30メートル余り、北方黄河の豪放と雄渾を生き生きとして現しています。



50年代ここに灌漑、発電、洪水防止などを目指した多目的水利センターが建設されました。この青銅峡ダムによって黄河の流れは堰き止められ、寧夏平野と寧夏の庶民に豊かな恵みをもたらします。

今ここは風景区が形成して、遊覧船で沿岸の観光地へ行く事ができ、「一百零八塔」「黄河夕日」などの美景を堪能できます。

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一百零八塔

2009-02-16 11:27:51 | Weblog
一百零八塔は青銅峡ダムのほとりにある峡口山、黄河西岸の斜面に立ち並ぶラマ教の仏塔群です。



考古調査によると、この仏塔群は西夏に創建されました。その塔は108個あることで名がつき、上から下まで奇数の順列で排列し、遠くから見ると全体が巨大な三角形を呈しています。



仏教では衆生は108の煩悩があり、それを除くため善男善女は108珠をつけ、経文を108遍に読みます。ここにきた人々は塔を拝さえれば、悩みが消して幸運を収めるという伝説があります。

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高廟

2009-02-13 14:54:05 | Weblog
高廟は中衛の旧城の北にあり、明代に創建され、歴代の増築により規模広大な古建築群となり、「砂漠奇観」と並び中衛二大景観と称されています。



この廟は奇特で、殿堂には仏、菩薩、玉皇、魁星神と関羽などの塑像を供えて、仏教、道教、儒教が一つに会し廟です。その上入口に刻まれた対連も三教の統合を表しています。24階の石段を登り、鳥居形の門、南天門、中楼を通り、最後に三階建ての五岳、玉皇、聖母殿に着きます。これらの正殿は同じ中心線に位置し、左右に鐘楼、古楼、霊官殿などの殿堂が設けられました。







以前高廟の境内には1700余件の彩色の彫塑と大量の彩色上絵がありますが、戦乱で破壊されました。今まで多くの彫塑が修復されましたが、以前のほどに戻れません。

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沙坡頭

2009-02-12 09:15:22 | Weblog
沙坡頭は寧夏の中衛市に位置し、トンガリ砂漠景観を始め、砂漠植皮と砂漠動物を保護していることから、治沙ステーションと旅行聖地として世に名を馳せます。



ここは遊覧区として三大特色を持っています。

一:鳴き砂、砂滑りの時奇特な声が立てることで「金沙鳴鐘」と呼ばれる美称が出来ました。

二:砂山の北は無限なトンガリ砂漠ですが、南は広大なオアシスです。駱駝で遊覧を楽しめます。

三:古老の渡河用具―ヤンピーファーズ(羊の皮で作る筏)を乗り、黄河をゆっくり漂流することができます。



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賀蘭口岩画

2009-02-11 09:07:46 | Weblog
賀蘭山は長々と続いて約250キロ、東麓に岩画が大量に発見されました。





銀川の北郊外の賀蘭口岩画は賀蘭山岩画の精粋で、峡谷の岩壁に長さ600メートルにわたり、馬、羊、牛などが描かれている壁画群です。





玄の言葉といわれる西夏語による題刻なども見つかり、当時の歴史や芸術を研究する貴重な資料となっています。

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大仏寺

2009-02-10 09:44:21 | Weblog


張掖市西南部にあり、西夏のころ建立され、甘粛省内最大の西夏建物遺跡です。

今境内には大仏殿、蔵経閣、土塔が広がっています。

大仏殿の中央には涅槃大仏が横たわり、自然で柔和な姿態が特徴です。

周囲には各々が喜怒の表情をした十八羅漢と壁画が配置され、大仏を取り囲んでいます。

マルコ.ボーロの『東方見聞録』に名を残しています。



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木塔寺

2009-02-09 09:04:31 | Weblog
万寿寺とも木塔寺とも呼ばれ、隋代582年の創建と言われています。



煉瓦と木で造られた8角9層の楼閣となっています。

第1層の東壁、西壁にはそれぞれ額が飾られており、「登極楽天」、「入三摩池」の文字が読めます。



7層までは煉瓦作りの塔壁、8、9層は塔壁がありません。

また、塔の前には万寿寺碑が建てられます。

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