※連載ものです。①から順にお読みください。
大歓声、大爆笑の中で、ハプニングがおこった。
娘のお登勢(ミッツォはん)が母親の小浜(彦やん)に、なぜ兄を引き止めなかったのかと言い諭す場面だ。
台本では「それでもあなたは母ですか」という一言なのだが、ここが見せ場だとミッツォはんもセリフを増やしていた。
「それでもあなたは母ですか。子を持つ親というものは、そんな邪険なものでない。母に捨てられ父には死なれ、広い世間にただ一人、そんな兄さんを一人で返す親はない。たった一人の兄さんとともに涙を流したい」
冬の場面設定に加えて、生娘なので付け下げを隙間なく着こんでいる。
きりりとした顔で母を見つめて「それでもあなたは母ですか」まではよかった。
ところが、西日がまともにあたって暑い。たらりと汗が流れる。
「子を持つ親というものは・・・」と目が潤んでいる。
「そんな邪険なものじゃない・・・」と肩を震わせる。
見事な泣きの演技だと観客は感心する。
が、違った。汗で化粧が流れ、目に入って痛かったのだ。
「そんな薄情なものじゃない・・・」と間をあけて、突然「オヨ、オヨ、オヨヨヨヨヨー」とすっとんきょうな声で泣き崩れた。
下を向いて、手拭いで目を拭いているのだ。
名演技だと感心しているところに、すっとんきょうな声で泣くものだから、観客はあっけにとられている。
異変に気づいた彦やんが「けったいな声で泣きないな!」と地声でツッコミをいれる。。
ミッツォはんが目を拭いて、正面を向き、真面目な顔して「汗が入って、目ぇが痛いねん」とボケる。
なるほどと、理由がわかった観客は、緊張が解けてどっと笑う。
観客の一人が「お登勢ちゃん、このウチワ貸したるわ!」と、ウチワを渡す。
ミッツォはんが「おおきに、うちわ、嬉しい」とかわいく洒落る。
「邪険じゃなきゃ、この水熊の身代を守っていけないよ!」と彦やんが元の筋に戻す。
「母に捨てられ父には死なれ、広い世間にただ一人、そんな兄さんを・・・」
ミッツォはんの名演技を、観客は再び真剣に見つめる。
「そんな兄さんを、一人で返す~親はない・・・オヨ、オヨ、オヨヨヨヨヨー」
観客はまたもや肩透かしをくらって、どーっと笑いがおこる。
「たった一人の兄さんと~ともに涙を~流したい・・・」
彦やんが「また泣くんとちゃうやろなあ」とつっこむ。
「泣きますかいな! ・・・オヨ、オヨ、オヨヨヨヨヨー!」
「よーお泣くなあ!」
「祭が出来る世の中になって、嬉しおますねん!!」
笑いやら拍手やらで宮さんの山が揺れた。大声で泣いている人もいた。
母と娘が「忠太郎~、兄さ~ん」と兄を追う。
その呼び声を聞いた忠太郎は開き直って言う。
「何が今更忠太郎だ・・・誰が、誰が逢ってやるもんか。逢いたくなったら、俺ア瞼をつぶるんだ」
喜志の劇場の舞台に立ったこともある春やんが、女役者の奥さん相手に稽古した演技に、観客は声をつまらす。
二人の呼ぶ声が近づき、忠太郎は居ても立ってもいられなくなり、「忠太郎は此処だよ、おっ母さん!」と叫ぶ。
そして、三人がしっかりと抱き合う。
徳ちゃんからもらった台本はここまででオチが無かった。
「そんなん、お前らで考えんかいな」と徳ちゃん。
だから、三人しかオチは知らない。
一万人の大観衆が固唾をのんで見つめる。
よかった、よかったと親子が抱き合う中で、
お登勢が「兄さんがお腹をすかしているだろうと、慌てて袂(たもと)に入れた、これで一つになれたのかしら!」
そう言って袂から丼ぶり鉢を取り出した。
忠太郎が「何や! 空の丼ぶり鉢やないかい!」
小浜が「これで一つになれたとわ?」
お登勢が「はて!」
忠太郎が「はて?」
お登勢が「はーて、わかった!」
三人そろって「苦労七坂乗り越えて、末広がりの八(鉢)の中、やっと一つの親子丼になれたわい」
※補筆につづく
※写真は亡くなられた「ミッツォはん」からお借りした若き頃の写真です。謹んで感謝申し上げます。
※春やんたちが演じた俄を「俄32/瞼の母」に載せました。
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