雑学

前回に続いて雑学を紹介します。

2007-08-31 08:47:48 | Weblog
廓と遊里とは:

くるわ; 
「くるわ」は廓または郭と書き、城郭のように周囲を石や土で囲い、塀などをめぐらせた一画のことである。吉原遊郭は官許の地に溝渠をめぐらせて作ったので遊廓の名があるわけだが、またこの一画には遊女関係の業者だけが集団的に存在し、かつ遊女屋は廓外での営業を禁じられていたから、「遊廓」との名はおそらく後になって称せられた通称だったろう。

くつわ・亡八;
遊里の名に轡(くつわ)というのがあり、「亡八」(ぼうはち)もこれを「くつわ」と訓している。亡八とは、遊里に遊ぶこと。仁義礼智信忠孝悌の八徳を忘れるとの意、また遊里屋のこと。または遊里屋の主人のこと。亡八はくつわと訓むのが本当である。
くつわと称したいくつかの異説がある。
① 京都柳町の遊女屋を開設した原三郎左衛門は、秀吉の馬の口取りをしていた者だったから、傾城屋を轡屋と呼んだという。庄司甚内らが吉原遊廓を作ったとき、廓の内に十文字の道を通したので、「くつわ」とこれを吉原のことにいっている。
② 大橋柳町に遊女屋が在った頃、ここの町形は縦横に道を作り、十文字だったから、くつわ町と呼び、娼家を「くつわ屋」と呼んだ。
③ 遊女屋は不倫不徳の稼業で、ここでは仁義礼智信忠孝悌の八徳を亡失したものだとの意味から、亡八屋(くつわや)と名づけられた。
由来「くつわ」は馬具の名で、これを馬の口にかませて手綱に結び、それで馬を操縦したのである。よって遊女をあやつり稼がせるとの意味で、遊女屋あるいはその抱主である主人の異名となったものと思われる。しかし亡八または忘八を「くつわ」と訓ませるのは有り得ないことで、他にはどこにも例のない当て字である。
亡八の中国の故事に「烏亀」の俗説があり、亀の雌雄は自ら交わることが出来ないから、雌を放って蛇と交わらされた。との俗説から己が妻を他人にくながせる「つつもたせ」や紐の男の所業を亡八の不徳者といったのである。それをわが国では、くつわ屋の主人に当てたのであると思われる。


花街;
一般称の「遊里」の他に異名として「かくれ里」「隠し町」「わけ里」などの呼称がある。市中の芸者屋町は本来は遊芸をもっぱらとする所なのだが、歴史的にはやはり売色の遊び場だったから、これを「花街」と区別して称する方が便宜と考えられる。


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