雑学

前回に続いて雑学を紹介します。

2007-09-01 09:13:42 | Weblog
廓の朝から夜中まで:

宵と明け方;
昔は客は眠っても遊女一晩中眠ってはならぬことになっていた。遊女の身だしなみとして、この風が守られていたところもある。常日ごろから決して妓は仰向けに大の字なりに寝るものではないとか、自分は常に右下に横に寝るものだと教えられている。
女郎の床は宵と明け方といわれ、それが定石となっている。翌朝になれば遊びの欲、もう一度しんみりしたいと願うもの、そこが女郎の付け目で、いかにも惚れて分かれ惜しいといった様子をする。手練手管のあれこれを用いて、しなだら掛かったり、背を叩いたり、羽織を着せたり、女心のありたけを演出その思わせぶり、“裏を返さぬは男の恥”であることを遊客に思い知らさねばならない。女郎の本当の自由時間は8時から10時ごろまでである。

丑の刻ちかく;
妓が起きるのは午前10時ごろで、昼見世を張るところでは12時には見世に出なければならない。娼家ではほとんどが朝食抜きである。いきなり昼食となり、夜食は遅くなって食べる。
妓楼の男衆や仲居女が動き出すのは正午近くだった。

廓風俗;
巧みに逃げを打つのも遊び上手との考えか、所詮は狐と狸の化かし合いである。実のある話は少ないもの、遊女の手練手管の方が馬鹿らしさの中にも、余程の切実さがある。
登楼客は店の階段を上がって二階へ行くのに、途中で振り向いて階段に腰掛けたりするのは“あがりを止める”とて、きつい禁忌になっていた。盛塩、ねずみ鳴きはどうして始まった縁起は分からないが今でも行なわれて伝統が残っている。
大門の四郎兵衛番所は吉原の関所だった。女人は門前の切手茶屋で通行手形(通行証)をもらって行かないと、帰りに大門から出ることができなかった。逃亡女郎の警戒に巻き込まれる懸念があった。
女郎の手練手管は、秘中の秘として表面にはそれと気づかれないのが本旨とされているが、苦心の訓練を要し、その秘術も数々あり、その場に応じて用いねばならなかった。

                ♪♪米汁呑忘憂♪♪