中目黒再開発の事実

中目黒の再開発・工事について。少しでも事実を伝えられれば…。

客観性について

2007-11-17 12:45:17 | このブログに関して
私は、中目黒に長く住んでいる。

今のところは、何年住んでいるかは言わないでおこう。
なぜなら、必ず「俺の方が住んでいる年数が長い」とか言い出したり、逆に「住んでいる年数が長いからって、知った顔をするな」などと、年数の長さを競う人間が出てくるからである。

ハッキリ言って、中目黒の再開発についての知識量は、中目黒に住んでいる年数とはあまり関係がない。まして、再開発に対する見識や、物事一般に対する判断力・洞察力は、どこかの街に居住した年数とは一切関係がない話である。

話がそれた。

ともあれ、私は、中目黒に長く住んでいて、つまり再開発の関係者・当事者である。

当事者であるが故に、知っている部分もあり、より深い考察ができる部分もあるかもしれない。
しかし、むしろ、当事者であるが故に、筆が鈍ったり、客観的な判断が歪む場面の方が多いかもしれない。

再開発に何か問題があっても、隣人を批判することになるのを恐れて、批判を遠慮してしまうかもしれない。
逆に、そうならないように意識するあまり、過剰な批判をしてしまうかも知れない。
いずれにせよ、私本人には、客観的なバランス判断は難しい。

もしバランス判断が歪んでいる部分があったら、それは私の能力不足、不徳のいたすところであると考え、ご容赦いただければと思う。

再開発は一つではない

2007-11-17 12:14:45 | 中目黒再開発
まず、多くの「中目黒再開発」論者が、根本的に誤っている点から正さなくてはならない。この誤りをしている限り、中目黒の再開発について、正常に論ずることは不可能だからである。

その誤りとは「中目黒の再開発が、全て単一の案件であるとみなしてしまう」ということである。単に「開発」というだけで、それらを全てひと括りにして考えてはいけない。

正しくは、中目黒の開発・再開発は、幾つかの独立した案件の複合である。すなわち
  • 「上目黒1丁目再開発」
  • 「上目黒2丁目再開発」
  • 「東横線中目黒駅拡張工事」
  • 「山手通り拡幅工事」
  • 「目黒川整備」
  • 「首都高速道路中央環状線整備」

などがある。
少し離れたところでは、上目黒1丁目の「旧国鉄官舎跡地再開発」もある(同じく上目黒一丁目でも駅前の再開発とは場所は大きく異なる)。

これらは、事業主体も、目的や背景も、開発の経緯・経過も、抱えている課題も、それぞれ全く異なる。当然、個々に是非の判断もあるだろう。

中目黒の再開発を論じる上では、これらをキチンと分けて考えるべきである。
そして、時に「中目黒の再開発が理解できない」という人がいるが、それは異なるものをキチンと分けて考えないためと言って良いだろう。

例えば「東横線中目黒駅拡張工事」の目的は、あくまで東横線の改良工事である。街の改善とは直接の関係はない。しかし、そういったことを区別しないと、高架下の立ち退きを見て


http://www.somuch.jp/blog/?eid=51

「再開発」って街を「活性化」することが目的ですが(とおもっておりますが)
中目の高架下につらなるお店の来る人呼ぶ人に「活気」はありませんでしょうか?!


なる勘違いをしてしまう。
この方は「なぜ、既に活気があるのに、その街を壊すのか。意味不明だ」と考えているのだろうが、それは単に「東横線中目黒駅拡張工事」の目的を誤解しているからに過ぎない。

そして、その誤解の背景にあるのは、全ての工事を「再開発」の名の下に混同してしまう誤りなのである。

本論に入る前に

2007-11-17 11:41:54 | このブログに関して
本論に入る前に、いくつか、ハッキリさせておきたい。

私は、もともと過激な発言をしがちな人間である。他者に対して「間抜け」「愚か者」「誤っている」といった表現を平気で使う。

このブログの目的は、あくまで中目黒の開発・再開発の真実を知ってもらうことであって、他者をこきおろすことではないから、そういった表現はここではなるべく控えようとは思うが、ゼロにするつもりもない

特に、誤った根拠を元に他者を批判する者に対しては、上記のような表現を多用するかもしれない。それに対して「仮にも公共の場なのだから、発言は節度を持つべきだ」などと批判的な見方をする人もいるだろう。それは、確かに一理ある。

しかし、考えてみて欲しい。発言の節度を云々するのであれば、そもそも「誤った根拠を元に他者を批判する者」こそが非難されるべきである。事実無根の内容で他人を批判するなど、通りすがりに他人を後ろから殴り倒すに等しい。そのような無法者を非難することに、私は一切の問題を感じないし、むしろ正常な行為だとすら思う。

他者を非難するのであれば、十分に事実を収集し、検証してからにするべきだ。安易な思い込みで他者を愚弄するなど、誹謗中傷に等しい無責任な行為である。無責任な発言をすれば、非難されるのは当然であろう(が、そういう無責任な人間は、自分の愚かな行為に無自覚であるので、非難されるとしばしば被害者気取りを始めるのだが)。

逆に、私自身が無責任な批判をしてしまった場合には、非難されることは覚悟の上である。

もう一つ、極めて愚かだと思う発言がある。
「自分と意見が違うからといって、非難するのはおかしい」
というものだ。こういう発言をする人間は、私の前で二度と口を開かないで欲しい。

もちろん「自分と意見が違うからといって、非難するのはおかしい」ということ自体は正しい。しかし、私はそのような理由で他者を非難することは100%ない。必ず、その発言を不当とみなし批判する根拠を明示している。もちろん、私の根拠の方が間違っている可能性もあろうが、それは根拠を誤っただけであって、「意見が違うから批判する」とは全く違うものである。

「理由を示して批判する」ことと「意見が違うから批判する」ことと、その味噌と糞との違いも理解できないような知能レベルの人と会話をして、時間を無駄に使うつもりは、私には一切ない。

まとめると、以下の通りである。
・私が他者へ批判することを問題視する前に、元々の発言に問題がないか考えるべし。
・批判の理由が「意見が違うから」としか見えない人は愚かである。

ブログ開設にあたって

2007-11-17 11:18:03 | 中目黒再開発
中目黒ではここの所、再開発が続いている。
しかし、その再開発を取り巻く状況は、際めて酷いものがある。

再開発が酷いのではない(問題がないという意味ではないが)。

再開発に関する、ネット上の流言蜚語が極めて酷いのである。
多くが思い込みに基づく間違いばかりである。例えば、このブログなど、いくらなんでも、間抜けにも程がある。(詳細な理由は後のエントリーで語る)

自分も、正直を言えば、中目黒の再開発について、多くを知っているわけではない。
また、知っていることも、何人かの人を経た又聞きのことが多く、正確性や中立性に自信があるわけでもない。
ある人の見解と事実が混同されていたり、立場が偏ったりしている可能性は高い。

再開発論・都市論について、特に学んだわけでもないから、学問的な見地から論じるだけの能力があるわけでもない。

そういう意味では、もし、中目黒の再開発を正確に論ずるうえで100の知識・見識が必要だとするならば、私の持っているものなど20や30程度でしかないだろう。
だから、私は今まで特に何も発言しなかった。

にも関わらず、なぜ、今更、中目黒の再開発について語らなくては「いけない」と思ったのか。

それは、上記のブログのように、あまりに世の中にいい加減な発言ばかりが流布しているからである。
先ほど、私の見識など100分の30程度と言ったが、大半の発言者の見識はと言えば、100分の1にも満たないものが多いのだ。特に、再開発批判者の大半がそうだ。

ろくに知識・見識も持たない人間が、中目黒に現れた現象の上っ面だけを元に、勝手な想像を膨らませては適当なストーリーをデッチ上げている。
そして、デタラメな知識・見識を元に、あたかもそのデタラメが真実であるかのようなしたり顔をして、再開発に批判的な発言を垂れ流している。

それに比べれば、私の「30%の見識」など、もはや「真実」「真理」と思いあがってしまっても良いのではないか、とすら感じたのである。
本当に真実・真理を語れる人が出てきたら、その時に頭を下げれば良い。
まず、今、大事なことは「1%の見識」により垂れ流される嘘を、「30%の見識」で叩き潰していくことではないか。

まずは、より真実を明らかにすることである。
再開発に賛成か、反対か、なんて話はそれからだ。
賛成をするにせよ、反対をするにせよ、まず我々は真実に基づくべきである。

私の30%の見識が、微力でもその役に立つことを願って、筆を取りたい。