アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

第1章 ゴーイング・ウィズィン ⑩ 宇宙の起源

2015年05月29日 20時26分59秒 | 第1章 ゴーイング・ウィズィン
シャーリーは子供の頃から、宇宙の起源や成り立ちに興味を持っており、この宇宙の中での自分の役割は何なのかを知りたかったそうだ。そして、「物理学者の宇宙の起源に関する理論を読めば読むほど、私には、彼らが神秘主義者のように思えてくるのだった」と言っている。そして、そのような疑問を抱いて、英国のスチーブン・ホーキング教授(ケンブリッジ大学)に会いに行った。
 大学の食堂で、スチーブンの奥さんのジェーンや学生共々、食事をしながら、話が進む。以下、『ゴーイング・ウィズィン』(同書)からの引用である。

◇◇◇
 誰が最初に口火を切ったのかは定かではないが、話題は、“証明することのできない真理”に移った。私が口火を切ったのではないことは確かだった。いずれにせよ、ジェーンが、スチーブンの科学的アプローチの仕方に、時にイライラさせられることがあるの、と言い出した。この世には、神のおぼしめしも、人の心の問題ということもあると自分は感じるからだ、と彼女は続けた。
 「僕は神秘主義は好きじゃない」とスチーブンはコンピュータの声を通して言った。「いつも妻と僕は意見が食い違うのです」と彼はまず彼女を、それから私を見て、微笑んだ。「心は必要ですよ。物理学がすべてということではありませんから」
 彼は一瞬ためらい、そして言った。「私は心も物理学も必要だと思います。でも、私が死ねば、それでおしまいだと信じています」・・・ (その後スチーブンとシャーリーのやり取りは続くが)
 でも、スチーブンは、一瞬たりとも、自分の中にも私の中にも、その他の人たちの中にも、宇宙の秘密が隠されている、という私の考え方を認めなかった。私も自分の十二歳の子供のような信念を、彼に押し付ける気はなかった。それに、その必要もなかった。私にとって彼は、子供のように驚いたり、不思議がったりする心を持っていれば、内なる平和を得られるということを、身をもって証明している人だった。
◇◇◇

 シャーリーは、再度ワンネスの考え方を次のように説明する。

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 (ビッグバンの後)若い宇宙が拡大し冷えてゆくプロセスで、拡散、分離、増殖しているエネルギーは、私達の心臓の鼓動や体の動き、そして星の進行をつかさどっている。人間や人間以外のもの¬¬ 一 すなわちすべてのもの 一 はつながって、全体を形づくっている。それが、“私達はひとつだ”という意味である。宇宙の進化は私達のまわりで起こっているだけではなく、私達の内部でも起こっている。私達の思考、夢、気づきは宇宙の一部分であり、物質的なものと霊的なものはどうしても切り離せないほどにつながっている。
 科学は宗教や霊的な見方から大きな影響を受けていると言われている。最近の科学は、自然は合理的な知性をそなえていると唱えた古代ギリシャ人の考え方を再び認め始めている。それは一組の法則に支配された単純明快なシステムなのだ。現在、多くの物理学者は、一つの基本法則にしたがって急速に拡大するエネルギーの最初の閃きの中に、ありとあらゆるすべてが含まれていた、と主張している。
◇◇◇

 「古代ギリシャ人の考え方」とは異なるかもしれないが、上記の後段の部分は、『シャンカラ』(島岩著)に説明されている「因中有果論」を想起させる。その部分を引用してみたい。但し、サーンキャ哲学の詳細に就いては省略する(サーンキャ哲学に興味のある方は、別途筆者のブログ、「ヨーガとサーンキャ哲学」等をご参照願いたい)。

◇◇◇
 ・・・これは、原因の中に結果がすでに存在しているとする学説である。たとえば、粘土から壺ができたとすると、壺は、それが発生する以前にすでに、まだ壺という形をとってはいないものの、粘土の中に内在していたと考える。すなわち逆にいえば、壺とは、壺という形に変容した粘土にすぎないのだと考えるのである。つまり、粘土と壺は質的に連続しているのである。この因果論に基づくのが、六つの哲学学派の中ではサーンキャとヨーガとヴェーダーンタであり、また後世のタントリズムもそうである。だがその中でも、代表的なのがサーンキャ学派である。 ・・・中略・・・
 ・・・このように、世界の展開を引き起こす動力も世界を形成する質料(素材)もともに、根本物質(筆者註:プラクリティ)の中に含まれているという意味で、根本物質は世界の動力因であると同時に質料因でもあるのである。これがサーンキャ学派の展開説である。そしてこの展開説では、それぞれ後に展開してきた結果は、まだ顕現しない状態で原因の中に内在していたと考えられており、世界とは世界という形に変容した根本物質にほかならないのである。
◇◇◇

 同書に戻るが、続いてシャーリーはアインシュタインとアメリカの天文学者の説を紹介し、我々は皆宇宙の中心に居るのだと主張している。

◇◇◇
 アインシュタインとアメリカの天文学者、エドウィン・ハベルは、星団はすでにあるスペースの中で拡張しているのではなく、むしろ空間自体がその中に星団を宿しながら拡大していると結論した。風船を使って説明してみよう。風船の表面にいくつかの点を書き入れてから、それをふくらませてみると、風船がふくらむに従って、それぞれの点は互いに遠ざかってゆく。もし、私がそのうちの一つの点だとすると、私から見れば、私は丸い風船の中心であり、他の点は私のまわりにあって、だんだん遠ざかってゆく。もし、私が風船の空気を抜けば、すべての点が、私の方向に向かってきて、一点に集中し、ひとつの点として重なり合うだろう。私がまた、それをふくらませば、私は膨張の中心になるだろう。しかし、他の点から見れば、どの点も、すべて自分が膨張と収縮の中心点にいることを経験しているだろう。・・・
 宇宙の中心はどこだろう? すべての場所が中心なのだ。誰が真ん中にいるのだろう?
 誰もが真ん中にいるのだ。神はどこにいるのだろう? 神と全てを創造したエネルギーはすべてのものの中にあるのだ。というのは、そもそもの始まりの最初の瞬間を私達はみんな引き継いでいるからだ。
◇◇◇

 そしてシャーリーは次のように結論付ける。

◇◇◇
 たぶん、自分自身の内に向かうことによって、私達はその“何物”とは何か答えを知ることができるだろう。多分、それこそが本当の謎なのだ。私達はずっと、外に答えを求め続けてきた。きっと、答えは私達自身の意識の中にあるのだろう。私達は意識の奥底ですべてを動かしている偉大な存在と自分がつながっているのを知っているのだ。科学でさえもすべての源である唯一の神に対する信仰に動かされて、大きな発展を遂げてきた。たぶん、アレックス・オルビートやガスパレットやモウリシオは、ただその源に波動を合わせただけであり、私達は誰でも、自分が本当に何物なのか、思い出しさえすれば、このような現象をおこせるのかもしれない。たぶん、それこそ、私がスチーブン・ホーキングの目の中に見た“愛”としか他に言い表しようのないものなのだろう。色とエネルギーと音の何千年も前から伝わるテクニックを使って、愛とともに、自分の内へ入れば入るほど、私達は自分が誰なのか思い出し、私達はみな、そもそもの最初から存在していた、という事実を悟ってゆく。それゆえに、私達はみなひとつなのだ。それゆえに、私達はみな神の一部なのだ。・・・
◇◇◇

 以上本稿にて第1章「ゴーイング・ウィズィン」を終了し、次稿より来るべき「社会の変革」に就いて考えて行きたい。

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