アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第11章 限りない光への道 ⑤イニシエーションの階梯

2010-10-29 19:55:37 | 第11章 限りない光への道
前節で引用した『完全アセンション・マニュアル』の文章であるが、
「霊的な在り方を望んでやまない霊的志願者(アスピラント)は、“試補の道”に差し掛かった時点で“学びの殿堂”の段階に達する。そして第一イニシエーションを受けた時点で“叡知の殿堂”の段階に入る。」
ということで、第一イニシエーションに先行する段階をストーン博士は“試補の道”と呼んでおり、これは次のように説明されている(因みに、この物質宇宙を卒業するには7つのイニシエーションを経る必要があると云う)。
「試補の道とは、イニシエーションの道に先行するもので、人の生涯において確実に進化の諸力の流れに沿いつつ自己形成に取り組む時期を指す。当人は自身の責任を全て引き受け、自身の資質の欠落部分を開拓、育成し、不断の努力をもって自身の人格を自ら司るよう努める。又、慎重なる意図をもってコーザル体(魂体)を築き、不足や欠陥があればそれを補い、その体がキリスト原理に相応しい器となるよう努力する。・・・霊的志願者(アスピラント)はマスター(筆者註:アセンションしたマスター、所謂大師)によって一人ひとり認識されており、そのマスターの弟子である修行者たちが世話係を担当することになる。授業は・・・“秘儀参入者”によって行われ、修行者として受け入れられた人々や試補の道にある人々に向けて、連日午後十時から午前五時までの夜間に世界中の至るところで実施される(筆者註:著者であるストーン博士は明確に記述していないが、ここで云う授業とは、どうやら我々が睡眠中に体外離脱して参加するものらしい)。師弟は学びの殿堂に集い、授業形式は一定時限の授業、実験や実習、そして試験があり・・・評価はすべて成績表の形で下される。我々は各人が帯びる光の明るさで識別される。したがって、光の強さや大きさ、波動、音色の純度、オーラの色彩の鮮明度などによって評価されるのである。」
因みに、ヘミシンクの考案者であるロバート・モンローの本だったと記憶しているが、我々は睡眠中に体外離脱し、集団で授業を受けており、その様子を彼が体外離脱した際に目撃したとの記述があった。

常人にはこの“試補の道”を通過するのですら容易なこととは思えず、この先6つのイニシエーションがあり、ストーン博士の定義するアセンションは第六イニシエーションを指すというのだから、如何にアセンションが困難なことかこれで或る程度お判り頂けるものと思う。続けて第一イニシエーションからその先を、同書からの引用によって簡単に説明しておく。

・第一イニシエーション:ここでは上級レベルの肉体統御能力を得、肉欲にまつわる罪悪は抑制されている。もはや暴飲暴食や飲酒や道楽に溺れてはならない。第一イニシエーションは卒業と新たなる開始を意味し、正当な生活と思考と自己統御の為の一定の構造が達成されたことになる。・・・イエスの生涯においては、このイニシエーションを意味したのはキリストの誕生、即ちキリストとしての生の始まりであった。第一イニシエーションの秘儀参入者の生活は、徐々にキリスト意識の司る部分が多くなっていく。キリスト意識とは、責任と無条件の愛、そして奉仕の精神を云う。

・第二イニシエーションの中心的課題は、アストラル体或いは感情体に精通することである。第二イニシエーションは、欲望を捨て去り、殺すことでなされる。低次元の性質は早急に統御されつつある。アストラル体のエレメンタルの抑制により、感情体が純化され、透明な落ち着きを得るようになる。イエス・キリストの生涯では、この第二イニシエーションはバプティズムに相当する。第二イニシエーションの三つの主眼点は、献身、自己幻惑、帰依である。

・第三イニシエーションはメンタル体の自己統御に関連するが、それゆえに三つの部分(肉体、アストラル体または感情体、メンタル体)からなる“人格”の自己統御にも関わってくる。このイニシエーションは、魂との融合として言及されることもある。修行者が高次自己と混ざり合うことで融合を遂げ、魂が注ぎ込まれた“人格”となるのはこのイニシエーションにおいてであり、その“人格”全体が高次からの光で満たされる。修行者はもはや低次元の思考や願望に支配されることはなく、その“人格”の波動は極めて高次のものとなる。第三イニシエーションは初の主要イニシエーションと見なされる。心識(マインド)は主として魂からの閃きや直感や刺激に対して敏感になる。修行者は魂や、当人が属するアシュラム、或いは霊的聖師団そのものからエネルギーを受け取る。・・・第三イニシエーションでは、修行者は想念物質をうまく扱う能力に精通し、創造的想念構築における決まりごとの学びを完了する。イエスの生涯においては、第三イニシエーションは山上のキリストの変容として言及されている。このイニシエーションで活性化されるのは第三の眼のチャクラであり、サナート・クマラが司祭役及び解説者を務める。それぞれのイニシエーションごとに、修行者はより高次のレベルへと成極することになる。第一イニシエーションでは肉体に、第二イニシエーションではアストラル体ないし感情体に成極していたが、この第三イニシエーションにおいては、メンタル体に成極する。

・第四イニシエーション:第四イニシエーションは放下と克己或いは磔上死のイニシエーションとも呼ばれる。これはすべての私利私欲から解放され、より大きな全体の利益のために個人的生活を放棄することに関係する。魂の意識さえもその重要性を譲り、より霊(スピリット)の気付きに近い、より普遍的な気付きが魂の意識に代わるのである。たいてい第四イニシエーションを通過する者は、多大な犠牲、時には受難を伴う生涯を送る。秘儀参入者はその完成された人格さえも含むすべてを、生贄の供物台に横たえる。当人はその友人、財産、名声、性格、世間での地位や信用、家族そして人生そのものまで全て放棄しているのである。第四イニシエーションを通過する時点で、秘儀参入者は輪廻転生からの解放を遂げたことになる。コーザル体即ち魂体が炎上し、魂がモナドに再び融合するのも、このイニシエーションにおいてである。それ以降、秘儀参入者への指導は、主としてモナド或いは“我臨在なり”から発せられる。

・第五イニシエーション:第三イニシエーションが自身の魂或いは高次自己との融合に関わるものであったように、第五イニシエーションはモナドとの融合に関わるものである。第五イニシエーションでは自身の意識が、自身のモナドと霊(スピリット)とに融合する。また第五イニシエーションは盲目状態からの解放であり、秘儀参入者は新しい視野の獲得が可能となる。第五イニシエーションは、キリスト教用語においては黙示或いは復活として言及される。このイニシエーションを経たマスターは、「アデプト(超人)」と呼ばれる。第五イニシエーションは最初の宇宙レベルのイニシエーションである。

・第六イニシエーション:第六イニシエーション:とはアセンション“次元上昇”の達成をいい、すなわち「アセンションしたマスター」になることである。このイニシエーションは本質的には、アデプトがモナドの光との融合を果たした時に行われ、肉体も衣服も、アデプトの存在全体が光に変容するのである。その肉体はただ消え失せ、ライトボディに取って代わられる。かつてアセンションは霊的世界への移行を意味した言葉であったが、今日ではアセンションしたマスターを地上に残し、その奉仕の継続を見守る「霊的聖師団」という新しい趨勢が認められる。また最近の神的制度においては、アセンションの際に必ずしも肉体を伴う必要がなくなっており、このことによりアセンションがわずかながら容易になった。この点に関してはアデプトの選択に委ねられている。アセンションとはキリスト意識の成就であり、完成された仏陀(覚者)となることである。・・・アセンションするためのさらなる必要条件は、当人自身のだるま、或いは地上での使命を全うしていることである。アセンションの意識とは、純粋な歓喜と無条件の愛そのものであり、それと同時に自らが神であること、行き会う人の全てが地上を歩く神であることを完璧に認識するものである。

以上が“試補の道”から第六イニシエーションまでの大まかな説明である。

実はここまで書き進めてきて、筆者はイエスのイニシエーションに関連し、これまでストーン博士が説明してきたことと矛盾しているのではないかとの疑問を持った。それは前節でも触れた、イエスがピラミッドの中でイニシエーションを受けたという話である。仮にイエスが30歳(聖書に預言者として登場する時期)より前にピラミッドでイニシエーションを受けたのであれば、例えば誕生した時点を第一イニシエーションとし、山上の変容を第三イニシエーションと記述していることは何なのだろうかとの疑問である。然し、流石にそこはストーン博士、良く読んでみると、イエスがピラミッドの中で受けたイニシエーションとは最後の(第六或いは第七か?)イニシエーションであると書いてある。そこの部分を再掲する。

「リバイ氏による“宝瓶宮福音書”には、イエスが受けた七つのレベルのイニシエーションの説明がある。大ピラミッドは、大いなる白色同胞団のイニシエーションの寺院として建立されたが、イエスも大ピラミッドの中で最後のイニシエーションを通過している。それが聖書では、墓の中での三日三晩という記述になっているのである。」

即ち、ストーン博士の説明からイエスの第四イニシエーション以降を時系列的に追うと、イエスは十字架で磔になった際に第四イニシエーションを達成し、その後どの時点か明記されてはいないが第五イニシエーションを達成、更にその後第六(或いは第七)イニシエーションをピラミッドの中で達成したということになる。すると、ピラミッドの中でイニシエーションを受けたイエスは、我々が常識で考える肉体の存在では無かったということであろう。

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