いきなり個人的な夢の話で恐縮だが、2010年8月22日に不思議な夢を見たので、ノートに控えておいた。その夢の中で、筆者は広い部屋(コンサートホールでは無く、普通の建物)で何か楽器を演奏している。残念ながら筆者は、実生活において音楽の素養は全くと云って良いほど無く、まして楽器を演奏することなど思いもよらないので何か不思議な気がするのであるが、夢の中ではそんなことは気にも掛けず、そこそこの演奏をしていると思って自分なりに納得している。その部屋には、他に2-3名の演奏者が居て夫々のパートを演奏しているのであるが、その内の一人が徐にグランドピアノを弾き始める。筆者の目にはその演奏者の指が、鍵盤の上に逆向きに置かれている(指先が椅子の方向に向いている)様子が映るのだが、それにも拘らずアクロバットのように凄いスピードで指を動かし、その曲を見事に演奏しているので、その実力に驚嘆すると共に、自分の実力は、彼には全く及ばないと夢の中で思っている・・・と、ここまでが8月22日の明け方に見た夢の内容である。
そして忘れもしないその二日後、筆者は通勤帰りにいつものように始発電車の座席を確保し、新しく手にしたジョシュアD.ストーン博士の『完全アセンション・マニュアル』(以下、同書)を2-3頁読み始めたところ、何とも云えない衝撃に襲われた。それは、これまでにアセンションに関する様々な本を渉猟してきた自分が、ついに求めていたものに巡り会えた感動と、自分がそれまで勉強してきたことと比べ、遥かに上を行く内容であるとの直感、そして驚きが入り混じったものであったと思う。或る意味で同書は必然的に筆者の知るところになったとも云えなくもないが、仮に同書に出会う事がなければ、現在書き進めている第11章「限りない光への道」を書くことはなかったものと思っているし、筆者のアセンションに関する探究もそこで終わっていたかも知れない。余談ではあるが、恥ずかしながら筆者は当日、余りのショックから、大切な物を電車の網棚の上に置き忘れ、その後八方手を尽くしたにも拘らず失くしてしまった。実はそのこと自体も相当ショックではあったのだが・・・。
閑話休題本題に戻る。本ブログの第7章①において、「肉体、魂、霊」に就いて筆者の見解は説明済みであるが、本章を書き進めるに当り、ジョシュアD.ストーン博士が定義する同様の関係に就いて説明しておく必要があると思う。内容的に第7章での説明は必ずしも定義が明確で無いものの、筆者の理解はストーン博士の説明から全く外れたものではないものと思っている。然しながらストーン博士の説明の方が定義・説明とも遥かに明快且つ詳細で解り易いと思うので、以下に同書の第2章よりその説明を引用する。因みに、筆者の云う「狭義の霊」がストーン博士の云うモナドに相当し、「肉体レベルの自己」が人格に対応している。
「最初、神は自身の息子や娘を霊的状態にあるものとして創った。神は、秘教的には“モナド”と称される、創造主の個霊化した霊的閃光を生み出した。“われ臨在なり(I Am Presence)”とはモナドのことである。それは我々の初の核たる知性であり、個性を有する自己自身である。霊(スピリット)とも称されるこの神の閃光こそ、我々の真の姿である。霊的閃光としてのモナドは、自分が存在する宇宙より、さらに密度の高い形態をもつ物質的宇宙を体験することを、自らの自由意思で決定した(筆者註:本章②で触れた”光の子“との表現は、我々自身がこの”霊的閃光“に連なるものという意味合いを含んでいると思う)。」
「それぞれのモナドは、それ自身の思考の力を用いて十二の魂を創出した。その様子はあたかもモナドが十二本の炎の指を降ろし、それぞれの指先に十二の個性ある“魂”が生じたかのようだった。魂は、その創造者であるモナドの、より小さい部分的の表出である。魂は、高次自己(ハイアーセルフ)とも呼ばれる。高次自己とは超意識であり、高次心識(ハイアーマインド)である。」
「以上をまとめると、神が霊的閃光である無数のモナドを創出し、それぞれのモナドが、これまでより高密度の物質的形態を体験するために十二の魂を創造した。そしてそれぞれの魂は、物質宇宙においてさらにもっと高密度の形態を体験したいと欲し、もっとも密度の高い物質宇宙に肉体を持って生まれる十二の“魂の延長(ソウル・エクステンション)”即ち“人格(パーソナリティ)”を創ったことになる。地球の我々は、魂の延長であり、人格である。これはちょうど我々の魂が、より高次の意識である我々のモナドの延長であるのと同じことである。そしてそれらモナドもまた、更に高次の意識である神、つまり全被造物の父であり母である至高神の延長なのである。」
「したがって地球上の我々一人ひとりには、いわば魂の家族である十一人の“魂の延長”が存在していることになる。そうした別の“魂の延長”たちについては、地球に転生している可能性もあれば、神の無限の宇宙にある他の星に転生している可能性もある。または、現在は肉体を持たずに別の霊的存在領域にいることもあり得る。魂を同じくする他の十一の“魂の延長”或いは“人格”は、近しい魂の家族と見なすことができる。この比喩を拡大すれば、われわれにはより広い意味で、モナドの家族も存在することになる。つまり一人ひとりの人間は十二人の魂の家族集団、更には総勢144人のモナドの家族集団の中にいることになる。アセンションしたマスター(大師)であるジュワル・クールは、この地球と云う惑星系ではたらくモナドの数は600億にのぼると述べている。従って600億を144倍すれば、地球での輪廻転生のプロセスに関わる“魂の延長”或いは“人格”の人数が算出されることになる。」
「われわれの太陽系は、七つの界層或いは現実次元で構成されている。もっとも密度の濃いレベルには物質界が存在する。その上はアストラル界ないし感情界、次がメンタル界、その次がブッディ界ないし直感界、その上がアートマ界ないし精神界、さらにモナド界と続き、最上界層が神界すなわちロゴス界である。」
「進化とそれに伴うイニシエーションのプロセスではそれらの界層を熟知し、それらを通って進化する必要がある。我々のモナドは上から二番目の界層であるモナド界に、魂はそれより二界層下のブッディ界に固定されている。最後の七界層目に当るのが“魂の延長”即ち“人格”が固定されている高密度の物質界である。」
「・・・既述の七次元は、この太陽系レベルの七界層であるが、宇宙レベルの七界層というものも存在する。先に述べた七つの界層には、それぞれに対応する宇宙レベルの界層があるのである。換言すれば、宇宙レベルの物質界、アストラル界、メンタル界、ブッディ界、アートマ界、モナド界、ロゴス界が存在するということである。我々の太陽系レベルの七界層は、宇宙レベルの物質界のなかにある七つの亜界層なのである。別の言い方をすれば、それら七つの亜界層を完了した時点とは、漸く宇宙レベルの物質界での進化を達成した時点に等しいことになる。そして我々は何時の日か、残る六つのより高次の宇宙レベルの界層での進化を達成するのである。我々が大いに敬意を抱くところのアセンションしたマスターたち(筆者註:イエス、仏陀、聖ジャーメイン等)とて、宇宙レベルでは物質界のマスターにすぎない。彼らでさえ、いまだ宇宙レベルの進化に本格的に乗り出しているとは言えないのだ。これは断じて批判ではなく、神による創造の、信じがたい無限性を示したかったにすぎない。」
「人類の霊的構造は、次の三つのレベルに分けることが出来る。
Ⅰ モナド、霊(スピリット)、兄弟なる「われ臨在なり」、在天の父
A.モナドの三つの局面
1.意思ないし力―父の原理
2.愛と叡智―子の原理
3.活動知性―聖霊の原理
Ⅱ 魂(ソウル)、高次自己(ハイアーセルフ)、超意識
A.魂の三つの局面
1.霊的意思
2.直感―愛と叡智、キリスト原理
3.高次心識(ハイアーマインド)
Ⅲ 人格(パーソナリティ)即ち魂の延長
A.人格の三つの体
1.メンタル体
2.感情体
3.肉体とエーテル体 」
「前述の概要は、我々の霊的構造には明確な三つのレベルがあり、よって自己実現に関してもはっきりとした三つのレベルが存在することを示している。 自己実現の最初のレベルは、“人格”レベルでの実現に関わるものである。物質界にはこのレベルに達した人が非常に大勢いるが、そうした人々は心理的自己実現を達成しているということで、必ずしも霊的な自己実現と遂げているわけではない。その一例として浮かぶのが、映画俳優のトム・クルーズ氏である。彼は映画スターとして知名度も高く、文句なしの成功を手にしており、俗界的感覚で言えば、最高の地位を確立しているといえよう。彼の魂が目覚めているかは、個人的知り合いでない私の知るところではない。しかし彼が自身の“人格”レベルでの自己実現を果たしていることは間違いない。・・・」
「自己実現の二番目のレベルは魂のレベルにおける自己実現である。これは第三イニシエーションと第四イニシエーションの段階までは起こらない。イニシエーションについては、この次の章で詳しく述べることにする(筆者註:次週のブログで紹介予定)。魂のレベルでの自己実現を果たした人は、魂そして高次自己と一体化し、日常生活でもそうした現実を生きる。これは、自他への無条件の愛に生き、常に奉仕の姿勢でのぞみ、生きとし生けるものが本来一つであることを認識し、我々の本当の自己自身が神なる存在でありキリストであり仏陀であり、そして神の息子や娘であることに気付いている意識状態であることを指す。」
「自己実現の三番目のレベルは、モナド或いはスピリット(霊)レベルでの自己実現である。これは第五イニシエーションと第六イニシエーションの段階に達するまでは、完全な形で起きることはない。この自己実現のレベルに達した人は、叡智の熟達者であり、慈しみの大家である。彼等は今、魂との融合さえも超える、モナド及び“われ臨在なり”との融合を果たしている。地上において、モナドの霊(スピリット)と一体化したのである。そんな彼等はあらゆる限界を完全に超越し、全ての惑星レベルのカルマを脱した、真に自己自身した存在としてアセンションしたマスターとなっているはずである。」
「霊的探求における三つの段階
Ⅰ 無知の殿堂
A.物質界における自己認識、外界に向かう感覚器官の使用
Ⅱ 学びの殿堂
A.自己或いは魂の知識に関する不休の探求
Ⅲ 叡知の殿堂
A.気付き、意識の拡大、霊的自己としての自覚
霊的な在り方を望んでやまない霊的志願者(アスピラント)は、“試補の道”に差し掛かった時点で“学びの殿堂”の段階に達する。そして第一イニシエーションを受けた時点で“叡知の殿堂”の段階に入る。」
ところで本節の冒頭に触れた8月22日の夢の意味は、改めて解説するまでも無いと思うが、アセンションに関する筆者の知見がまだまだ不十分であることを筆者のハイアーセルフが戒めると共に、アセンションに向けた更なる勉強と実践に資するものとして、同書との邂逅を予告した夢であったものと理解している。
という訳で、筆者が大いに反省しているのは、これまで2012年問題とアセンションのブームに便乗し、本ブログにおいて気軽にアセンションを語り、且つ説明していたことである。ところが、アセンションという現象は、とんでもなく奥の深い意味合いを持つものであることは、この節を読んで頂いただけで容易に想像がつくものと思う。この理解を更に深める為、次節にてアセンションに至るイニシエーションの階梯に就いて説明する。
尚、このブログは書き込みが出来ないように設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。
そして忘れもしないその二日後、筆者は通勤帰りにいつものように始発電車の座席を確保し、新しく手にしたジョシュアD.ストーン博士の『完全アセンション・マニュアル』(以下、同書)を2-3頁読み始めたところ、何とも云えない衝撃に襲われた。それは、これまでにアセンションに関する様々な本を渉猟してきた自分が、ついに求めていたものに巡り会えた感動と、自分がそれまで勉強してきたことと比べ、遥かに上を行く内容であるとの直感、そして驚きが入り混じったものであったと思う。或る意味で同書は必然的に筆者の知るところになったとも云えなくもないが、仮に同書に出会う事がなければ、現在書き進めている第11章「限りない光への道」を書くことはなかったものと思っているし、筆者のアセンションに関する探究もそこで終わっていたかも知れない。余談ではあるが、恥ずかしながら筆者は当日、余りのショックから、大切な物を電車の網棚の上に置き忘れ、その後八方手を尽くしたにも拘らず失くしてしまった。実はそのこと自体も相当ショックではあったのだが・・・。
閑話休題本題に戻る。本ブログの第7章①において、「肉体、魂、霊」に就いて筆者の見解は説明済みであるが、本章を書き進めるに当り、ジョシュアD.ストーン博士が定義する同様の関係に就いて説明しておく必要があると思う。内容的に第7章での説明は必ずしも定義が明確で無いものの、筆者の理解はストーン博士の説明から全く外れたものではないものと思っている。然しながらストーン博士の説明の方が定義・説明とも遥かに明快且つ詳細で解り易いと思うので、以下に同書の第2章よりその説明を引用する。因みに、筆者の云う「狭義の霊」がストーン博士の云うモナドに相当し、「肉体レベルの自己」が人格に対応している。
「最初、神は自身の息子や娘を霊的状態にあるものとして創った。神は、秘教的には“モナド”と称される、創造主の個霊化した霊的閃光を生み出した。“われ臨在なり(I Am Presence)”とはモナドのことである。それは我々の初の核たる知性であり、個性を有する自己自身である。霊(スピリット)とも称されるこの神の閃光こそ、我々の真の姿である。霊的閃光としてのモナドは、自分が存在する宇宙より、さらに密度の高い形態をもつ物質的宇宙を体験することを、自らの自由意思で決定した(筆者註:本章②で触れた”光の子“との表現は、我々自身がこの”霊的閃光“に連なるものという意味合いを含んでいると思う)。」
「それぞれのモナドは、それ自身の思考の力を用いて十二の魂を創出した。その様子はあたかもモナドが十二本の炎の指を降ろし、それぞれの指先に十二の個性ある“魂”が生じたかのようだった。魂は、その創造者であるモナドの、より小さい部分的の表出である。魂は、高次自己(ハイアーセルフ)とも呼ばれる。高次自己とは超意識であり、高次心識(ハイアーマインド)である。」
「以上をまとめると、神が霊的閃光である無数のモナドを創出し、それぞれのモナドが、これまでより高密度の物質的形態を体験するために十二の魂を創造した。そしてそれぞれの魂は、物質宇宙においてさらにもっと高密度の形態を体験したいと欲し、もっとも密度の高い物質宇宙に肉体を持って生まれる十二の“魂の延長(ソウル・エクステンション)”即ち“人格(パーソナリティ)”を創ったことになる。地球の我々は、魂の延長であり、人格である。これはちょうど我々の魂が、より高次の意識である我々のモナドの延長であるのと同じことである。そしてそれらモナドもまた、更に高次の意識である神、つまり全被造物の父であり母である至高神の延長なのである。」
「したがって地球上の我々一人ひとりには、いわば魂の家族である十一人の“魂の延長”が存在していることになる。そうした別の“魂の延長”たちについては、地球に転生している可能性もあれば、神の無限の宇宙にある他の星に転生している可能性もある。または、現在は肉体を持たずに別の霊的存在領域にいることもあり得る。魂を同じくする他の十一の“魂の延長”或いは“人格”は、近しい魂の家族と見なすことができる。この比喩を拡大すれば、われわれにはより広い意味で、モナドの家族も存在することになる。つまり一人ひとりの人間は十二人の魂の家族集団、更には総勢144人のモナドの家族集団の中にいることになる。アセンションしたマスター(大師)であるジュワル・クールは、この地球と云う惑星系ではたらくモナドの数は600億にのぼると述べている。従って600億を144倍すれば、地球での輪廻転生のプロセスに関わる“魂の延長”或いは“人格”の人数が算出されることになる。」
「われわれの太陽系は、七つの界層或いは現実次元で構成されている。もっとも密度の濃いレベルには物質界が存在する。その上はアストラル界ないし感情界、次がメンタル界、その次がブッディ界ないし直感界、その上がアートマ界ないし精神界、さらにモナド界と続き、最上界層が神界すなわちロゴス界である。」
「進化とそれに伴うイニシエーションのプロセスではそれらの界層を熟知し、それらを通って進化する必要がある。我々のモナドは上から二番目の界層であるモナド界に、魂はそれより二界層下のブッディ界に固定されている。最後の七界層目に当るのが“魂の延長”即ち“人格”が固定されている高密度の物質界である。」
「・・・既述の七次元は、この太陽系レベルの七界層であるが、宇宙レベルの七界層というものも存在する。先に述べた七つの界層には、それぞれに対応する宇宙レベルの界層があるのである。換言すれば、宇宙レベルの物質界、アストラル界、メンタル界、ブッディ界、アートマ界、モナド界、ロゴス界が存在するということである。我々の太陽系レベルの七界層は、宇宙レベルの物質界のなかにある七つの亜界層なのである。別の言い方をすれば、それら七つの亜界層を完了した時点とは、漸く宇宙レベルの物質界での進化を達成した時点に等しいことになる。そして我々は何時の日か、残る六つのより高次の宇宙レベルの界層での進化を達成するのである。我々が大いに敬意を抱くところのアセンションしたマスターたち(筆者註:イエス、仏陀、聖ジャーメイン等)とて、宇宙レベルでは物質界のマスターにすぎない。彼らでさえ、いまだ宇宙レベルの進化に本格的に乗り出しているとは言えないのだ。これは断じて批判ではなく、神による創造の、信じがたい無限性を示したかったにすぎない。」
「人類の霊的構造は、次の三つのレベルに分けることが出来る。
Ⅰ モナド、霊(スピリット)、兄弟なる「われ臨在なり」、在天の父
A.モナドの三つの局面
1.意思ないし力―父の原理
2.愛と叡智―子の原理
3.活動知性―聖霊の原理
Ⅱ 魂(ソウル)、高次自己(ハイアーセルフ)、超意識
A.魂の三つの局面
1.霊的意思
2.直感―愛と叡智、キリスト原理
3.高次心識(ハイアーマインド)
Ⅲ 人格(パーソナリティ)即ち魂の延長
A.人格の三つの体
1.メンタル体
2.感情体
3.肉体とエーテル体 」
「前述の概要は、我々の霊的構造には明確な三つのレベルがあり、よって自己実現に関してもはっきりとした三つのレベルが存在することを示している。 自己実現の最初のレベルは、“人格”レベルでの実現に関わるものである。物質界にはこのレベルに達した人が非常に大勢いるが、そうした人々は心理的自己実現を達成しているということで、必ずしも霊的な自己実現と遂げているわけではない。その一例として浮かぶのが、映画俳優のトム・クルーズ氏である。彼は映画スターとして知名度も高く、文句なしの成功を手にしており、俗界的感覚で言えば、最高の地位を確立しているといえよう。彼の魂が目覚めているかは、個人的知り合いでない私の知るところではない。しかし彼が自身の“人格”レベルでの自己実現を果たしていることは間違いない。・・・」
「自己実現の二番目のレベルは魂のレベルにおける自己実現である。これは第三イニシエーションと第四イニシエーションの段階までは起こらない。イニシエーションについては、この次の章で詳しく述べることにする(筆者註:次週のブログで紹介予定)。魂のレベルでの自己実現を果たした人は、魂そして高次自己と一体化し、日常生活でもそうした現実を生きる。これは、自他への無条件の愛に生き、常に奉仕の姿勢でのぞみ、生きとし生けるものが本来一つであることを認識し、我々の本当の自己自身が神なる存在でありキリストであり仏陀であり、そして神の息子や娘であることに気付いている意識状態であることを指す。」
「自己実現の三番目のレベルは、モナド或いはスピリット(霊)レベルでの自己実現である。これは第五イニシエーションと第六イニシエーションの段階に達するまでは、完全な形で起きることはない。この自己実現のレベルに達した人は、叡智の熟達者であり、慈しみの大家である。彼等は今、魂との融合さえも超える、モナド及び“われ臨在なり”との融合を果たしている。地上において、モナドの霊(スピリット)と一体化したのである。そんな彼等はあらゆる限界を完全に超越し、全ての惑星レベルのカルマを脱した、真に自己自身した存在としてアセンションしたマスターとなっているはずである。」
「霊的探求における三つの段階
Ⅰ 無知の殿堂
A.物質界における自己認識、外界に向かう感覚器官の使用
Ⅱ 学びの殿堂
A.自己或いは魂の知識に関する不休の探求
Ⅲ 叡知の殿堂
A.気付き、意識の拡大、霊的自己としての自覚
霊的な在り方を望んでやまない霊的志願者(アスピラント)は、“試補の道”に差し掛かった時点で“学びの殿堂”の段階に達する。そして第一イニシエーションを受けた時点で“叡知の殿堂”の段階に入る。」
ところで本節の冒頭に触れた8月22日の夢の意味は、改めて解説するまでも無いと思うが、アセンションに関する筆者の知見がまだまだ不十分であることを筆者のハイアーセルフが戒めると共に、アセンションに向けた更なる勉強と実践に資するものとして、同書との邂逅を予告した夢であったものと理解している。
という訳で、筆者が大いに反省しているのは、これまで2012年問題とアセンションのブームに便乗し、本ブログにおいて気軽にアセンションを語り、且つ説明していたことである。ところが、アセンションという現象は、とんでもなく奥の深い意味合いを持つものであることは、この節を読んで頂いただけで容易に想像がつくものと思う。この理解を更に深める為、次節にてアセンションに至るイニシエーションの階梯に就いて説明する。
尚、このブログは書き込みが出来ないように設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。