岐阜県大垣市内の桜を紹介します。
4月8日(日)に行きましたが、ちょうど見ごろに咲いていました。
大垣市は、日本列島のほぼ中央に位置するところにあって、かつては関ヶ原の合戦の舞台にもなったところだそうです。
豊富な地下水を利用して、繊維産業もここで栄えました。
川岸の桜は満開で、「舟下り芭蕉祭」が行われていました。
大垣市は、俳人松尾芭蕉の「奥の細道」むすびの地だそうです。
江戸を出発し、奥州から北陸を経て大垣で奥の細道の旅を終えた芭蕉は、ここから舟で三重県桑名へと向かいました。
「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」
この有名は俳句は、芭蕉がこの地で詠んだ奥の細道むすびの句だそうです。
山車も市内に繰り出されていました。
再び大垣城を(笑)
大垣城は、市内を流れる牛屋川を天然の外堀に取り入れた平城で、今まで紹介した川も、外堀になっていたそうです。
山陰を出発したときは桜は咲いていなかったのですが、大垣市は桜は満開となっていました。
翌日2日目は、長野県の高遠城趾公園の桜を見に行く予定が、まだ蕾ということで、コースを変更して他のところへ向かいました。
5年ほど前に旅行したところなのですが、団体行動なので仕方ありません(笑)
続きは次回へ。
満開のようで、良い時期に行かれたじゃないですか。
山陰は、早くも散り始めましたね(^_^;
桜は、ほんと見頃が短いですね。
で、銅像は誰だか分かりました?(爆)
なんか最近マンネリで遠くて出かけたい気分です。
舟下り芭蕉祭、絵になりますね。
こんなの乗ってのんびりと写真撮りたいです。
松江城がもう少し大きいと思うが、ゆるポタさんは本当に島根県人だろうか(爆)
大垣市は桜が満開だったが、本命のところが蕾で残念でした。
山陰も半分以上は散ってしまいました。今年は近場での花見はできそうにないですね。
>で、銅像は誰だか分かりました?(爆)
相変わらずリサーチ不足と言いたいようだが、さすがの博識なおいらでも、
銅像を見ただけで歴史上の人物はわからないのだ(爆)
同じ桜でも、初めての場所から見る桜は新鮮ですね。
舟下りは、この時期だけか通年で行われているかわからないのですが、
松江の堀川遊覧も桜の時期に舟に乗って遊覧するのもいいかもです。
10年以上前に東京に住んでいたときに、桜名所の千鳥が淵に行きましたが、人ごみが殺人的でちっとも楽しめませんでした。
関が原が布石のようですね。
木造40階建築の由来がついに明らかになりそうで、次回が楽しみです。
私が東京に住んでいたときは、上野公園の花見をしたことがありますが、
やっぱり人が多かったですね、特にアベックが(笑)
桜見物はこの大垣市だけでしたので、翌日の画像はほとんどが人物の画像で、
ブログにUPするのは撮れませんでした
余り期待しないでください(笑)
難攻不落の木造40階建のヲアニー城は、写進化狂会の怪長のポストと同じで、
永遠に不滅なのです(爆)
一粒で二度おいしいグリコ状態ではありませんか
この川もやはりお堀なのでしょうか
舟が桜に良く合っていますね^^
私は岐阜には行ったことが無いのですが
奥の細道のむすびの地だったのですか
大変勉強になりました
>一粒で二度おいしいグリコ状態ではありませんか
フ~~ム、私が子どものころ聞いたコマーシャルのフレーズだったかな。
ということは、いつか見た風景さんと私は、年齢は余り変わらないでしょうか(爆)
大垣市の桜見物に行くとは知らなかったですが、行ってみて桜が咲いているのがわかりました。
もっとも、行く道中でもどこへ行ってどこへ泊まるかも私は承知していなく、
バスに乗って本を読んでいたら、知らぬ間に現地に着いていました(爆)
大垣城は平城ですから、おっしゃるとおりこの川もかつては外堀だったと思われます。
>奥の細道のむすびの地だったのですか
>大変勉強になりました
エヘン!(^^)!
芭蕉の句は、地名を取り入れたものがありますね。
「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」の「ふたみ」は、三重県に二見浦というところがあり、
その地名を詠んだとも言われています。
「あらとうと 青葉若葉の日の光」は、栃木県の日光をあらわしていますし。。。
ということは、芭蕉も親父ギャグ家だったのでしょうか?
いつか見た風景さんも、「奥のpho徒道」と銘打って編纂されたらいかがでしょう(爆)