イヨ、サラバ

一日一生〜胃なし生活の記録〜

8年経って変わったこと

2017年02月10日 | 術後8年~

“慣れ”と共にもう一つ身に付けた
気持ちを楽に生きていくための秘訣は“前向きなあきらめ”。
何事にもこだわりを持って成し遂げたい、そんな性分も
体が動かなくてどうしようもなくなると
「やらなくても何とかなる」とあきらめざるを得なくなり
そこから転じて
「今はその時じゃないからいいんだ」と考えるようになる。
今できないのは、今がやるべき時ではないから。
今手に入らないのは、今どうしてもそれが必要なものではないから。
「今は運命の時じゃない」と思う。
逆に、何かを達成したり手に入れたりした時は
「これは運命の出会いなんだ」とチャンスを逃さない。
“前向きなあきらめ”は人生に余裕を与えてくれるポジティブ思考。

ポジティブと言えば
病気発覚当時は娘たちが小さかったこともあって
「今死ぬわけにはいかない、少しでも長く生きなければ」
と必死に願っていたけれど
この一年くらいで気持ちに微妙な変化が起きている。
娘たちは少しずつ親の手を離れ
私がついていなくても一通りのことは自分でできるし
最近は外出についてくる頻度も減って、留守番をしていることが多い。
ひとり買い物する母はちょっと寂しいのだけれど
こうやって徐々に親離れし、ひとり立ちしていくんだと思えば
それは喜ばしいこと。

そんな安心感からか
病気に対する恐怖心が薄れてきているからか
今もし新たな病気が見つかって残りの時間が限られると分かったら
以前考えていたほどの悔いは残らないんじゃないかと思う。
もちろんそんな簡単に生きることをあきらめはしないけれど
8年経って気持ちが変化してきていることを感じる。
もちろん、できる限りもっと生きたい。
でも、ここまで生きてこられてまぁ満足かな、と今は思える。

年を取り体力の衰えを感じると、段々気が弱くなってきて
「老いては子に従え」ではないけれど
ここのところ娘たちの一言に感心すること、諭されることが多い。
大人だからといって、人生長く生きているからといって
いつも大人が正しいわけではない。
常に謙虚で、色々な考えを受け入れられる人間でいようと思う。
頑固なこだわりを捨てて「まぁ、いいか」と思えれば心も軽い。

一方、心身ともにすぐれないときは気が沈むことも。
外に出て働く自信もなく、収入はほんのわずか。
私がもっと稼げげたら、みんなもっとやりたいことができるだろうに。
自分の存在価値を否定してしまうこともある。

体型的にはまだまだ痩せっぽち。
通院の度、病院のガラス張りに映る自分を見るとあまりに貧相。
ひょろひょろの折れそうな脚に、骨ばった肩。
旦那につかまって、父に寄り添われて通院していた頃を思い出し
もしまたあの時のような状態になったら
またあの時と同じように踏ん張れるかどうか。
またあんな辛い日々が続くと思うと、耐えられるか自信がない。
その時、生きたい気持ちを奮い立たせる何かがあるか。
娘たちが巣だって行ったら、私は何を楽しみに生きていくのか。

と、こんなに落ち込むのは年に数える程度で
あとはポジティブとネガティブの間を行ったり来たり。
強い人間になることはなかなか難しい。

いくつになっても充実した毎日が過ごせるよう
今から人生設計練らなくちゃ。

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