1914年(大正3年)1月12日、午前10時5分まず、西桜島赤水上が黒煙を突き上げ、10分後には東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発。黒鉛は上空7000mに達し、全島を被いつくしました。
翌13日には溶岩の噴出が始まり、
30億トンの火の波が
瀬戸海峡を横断、桜島と大隈半島を
陸続きにしてしまったのです。
ここ黒神でも
全戸687戸が火山灰に埋没。
高さ3mの原五社神社の鳥居は、笠木だけ残して辛うじて見えていました。
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