藤戸の戦いで渡海する佐々木盛綱(歌川国芳画) ウィキペディアより
源平 藤戸合戦 の地
1184(寿永3)年倉敷が海だった頃
市内有城と対岸の藤戸との間にあった海峡をはさんで源平合戦がありました
寿永3年2月7日(1184年3月20日)の一ノ谷の戦いで敗れた平氏は西へ逃れた。
平家を攻めてここまで来た源氏軍の佐々木盛綱は
ひそかに漁師から海の浅い所を教えてもらい。
約2kmの海峡を馬で渡り対岸に陣をかまえた平家を攻める。
ところがこの秘密がほかの人にもれると
自分の手柄にならないので漁師を殺してしまいます。
盛綱は先陣の功により戦に勝ちましたが、
これを聞いた漁師の母親は、
「佐々木といえばささ(笹)までにくい」と、
笹をむしりとった笹無山や、盛綱がこの漁師の供養のためにお経をうめたという経ガ島、
合戦の犠牲者を弔った藤戸寺など多くの史跡があります。
藤戸史跡保存会(℡086-428-1129)倉敷観光協会(℡086-421-0224)
源平藤戸合戦 供養の寺
藤戸寺
寿永3年(1184)12月源平藤戸合戦で源氏の武将佐々木三郎盛綱は、
この藤戸海峡を馬で渡り先陣の功をたてた。
その武功により児島之郷を受領し入国した時、
合戦で荒れた藤戸寺を修復するとともに、
源平両軍の戦没者及び先陣の手引きをして、
秘密保持の為盛綱に亡き者にされた若き漁師の霊を慰める為、藤戸寺で大法要を行った。
そして当寺の飛び境内であった小島にお経を納め供養塔を建立す。
これが今の経ヶ島である。
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藤戸寺
能・謡曲 「藤戸」
藤戸合戦は能にもなっています。
ブログ 折おりの記
詳細が書いてあります。
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山井綱雄之會 「藤戸」公演告知
【注】公演は終わっています。
平家を追ってきた
佐々木盛綱
経ガ島
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昔はこんな戦いがいくつもあったのでしよう。
歴史の苦手な私には良い放送で
感謝しています。
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供養塔の前に置かれたCCレモンに目が行ってしまって…(^^ゞ
今日の夜の8時はNHKですね(^^)
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興味深く読ませていただきました。
瀬戸内海における源平の合戦と言えば
一の谷、屋島、壇ノ浦が有名ですが
藤戸合戦も興味深いですね。
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歴史の中で理不尽なお話が時にありますが
悲しいことです。
手をかけた犠牲者に対し、済まないと云う懺悔が盛綱の信仰心を篤くしたのですね。ポチ☆
源平合戦のお話
初めて知りました。
勉強になりました。
ありがとうございます☆
少し勉強させていただきました。
知らないことを教えて頂いて、
恐縮です。
これもブログ友さんのおかげです。
有難う御座いました。
もう今さら歴史の勉強を、
するような歳でもありませんから、
この様にお話が聞けて、
感謝です。今日もポチ。
有難う御座いました。
歴史は大の苦手だったの(^^ゞ
どこにでかけても、
もっと知ることに努力しなきゃいけませんね。
いろんな歴史があります
今日は、熊本市に出掛けていました
歴史に疎いのですが、こちらの倶利伽羅峠にも源平合戦の地があります。
あちこちで戦ったのでしょうか?
こちらにも良く似た供養塔があります。http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/18/43610033af5ce48761eb5e05f2f01bd6.jpg
勉強になりました。ありがとうございました(*’-’*)ポチ
漁師を味方につけた戦はいくつもあるようですね
やはり餅は餅屋でしょうか