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いまのきもち

気負わずマイペースの日記・雑記帳です。

お城から・・  

2010-09-29 00:03:21 | 歴史
久しぶりに地元名古屋城訪問。 天守閣から南東方向を眺めた写真。 名古屋に住んでる方ならご存じの景色。 とがった屋根の名古屋市庁舎、天守閣を乗せたみたいな和洋折衷の愛知県庁、 右の方には名古屋のテレビ塔が写っています。 自分の誕生日に、思い立って行ってきたのですが、 実は自分が生まれた病院の跡地(今は青屋根の建物 =愛知県体育館)が写っています。 自分にとっては特別な場所です。 左手前の森は、今 . . . 本文を読む

輪違屋糸里

2007-09-13 22:53:16 | 歴史
しばらくブログをサボってしまったが、ぼちぼち気が向いたときに アップすることにします。 このところ新しい画像がないので、小出しに古い画像をアップ。 先日、浅田次郎さんの輪違屋糸里をテレビドラマでやってましたが、 ここがその舞台、京都島原の置屋、輪違屋。 現在の建物は安政年間に再建されて明治の初期に改築され・・ ということなので、新撰組のいた当時のままでは 無いでしょうけれど、雰囲気は伝わってき . . . 本文を読む

スパイラル~ここは歴史的な建物

2007-04-15 23:49:55 | 歴史
年甲斐もなく、時々(このところ月1回)アイススケートに行っています。 これだけ騒がれているのに、知っている人は知っているのに 名古屋の観光案内に、このリンクが載っていないのは不思議ですね。 大須の案内図にも、ちらっとしか書かれていない・・ 古くは伊藤みどりさん、最近では浅田真央ちゃん舞ちゃん姉妹。 恩田美栄さん、中野ゆかりさん、という大スターたちが育ったリンクです。 世界選手権金メダルの安藤美 . . . 本文を読む

京都といえば・・

2007-03-13 23:07:18 | 歴史
東京では旧江戸城あと、皇居が中心となっているのに 京都御所は、ちょっと繁華街から離れて 静かな杜に包まれて独特の雰囲気ですね。 仕事に行くのに地下鉄を御池で降りて 御所前を横切って行きました。 東海道線の駅は、七条あたりにありますが 御所に近づけるのは畏れ多かったのか・・ (単に山科から京都盆地に抜けるのに あそこしかなかったのかも知れませんが・・) 旧・東海道が五条大橋が終点だったのに それ . . . 本文を読む

落柿舎

2007-02-28 21:53:19 | 歴史
昨日の続き、落柿舎の玄関。 周囲は自然が残っている嵯峨野。 茅葺き屋根の鄙びた建物は 落ち着きますね。 スケッチをしている人 ゆっくり散策している人 少し時間がゆっくりと流れていくようです。 . . . 本文を読む

化野念仏寺

2007-02-24 19:19:09 | 歴史
昨日の愛宕念仏寺のすぐ近くに 地蔵盆の千灯供養で有名な 化野念仏寺があります。 化野は徒然草に 「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ 住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。 世は定めなきこそいみじけれ。」とあるように 東の鳥辺野とならぶ、京の西の葬送の地で、 古来、風葬、鳥葬が行われてきました。 化野念仏寺は、およそ千年前、空海がここに野ざらしと なっていた遺骸を . . . 本文を読む

寺田屋

2007-02-16 22:46:45 | 歴史
京都・伏見の船宿。薩摩藩の定宿だったらしい。 土佐脱藩の坂本龍馬もここに出入りしていた。 だいぶ改造されているらしいけれど 幕末の雰囲気は伝わってきます。 京・大坂を行き交う船がここへ着き 一日20時間近く、休息や食事に使われていた そうです。コンビニ兼食堂というような 感じだったのでしょうね。 . . . 本文を読む

おりょうさん

2007-02-15 21:10:36 | 歴史
慶応二年、お風呂から階段を駆け上って 龍馬に危急を知らせたのは この人、おりょうさんです。本名、楢崎龍。 一番左が若い頃、真ん中が晩年の頃です。 晩年は横須賀で66歳の生涯を閉じました。 右はおりょうさんを養女として迎え入れた 寺田屋の六代目伊助の女房、お登勢さん。 坂本龍馬をして「学問ある女で人物也」と 言わしめた博学だったそうです。 一昨日の猫チャンがいるのは お風呂場の真上の屋根あたり。 . . . 本文を読む

お風呂から階段を・・

2007-02-14 22:50:37 | 歴史
歴史の舞台となったこの館。 このお風呂(左)から階段(右)を駆け上がって 危急を知らせました。 しかし、ここを訪れて、あまりにコテコテに パネル解説やら張り紙がしてあるのには ちょっとなぁ~という感想。 特に二階は刀傷や銃弾の跡にまで 張り紙で解説付き。 もう少し当時のイメージを 外観ばかりでなく中にも残して 欲しいと思いました。 このお風呂の周囲は解説少なめでした。 . . . 本文を読む

歴史の舞台、昔このあたりで・・

2007-01-04 17:40:06 | 歴史
尾張は戦国時代に歴史上の舞台となり、信長、秀吉、 家康、利家、一豊などなど、大河ドラマでもお馴染みの 武将たちが活躍した場所です。 もともと日本には以前の支配者のいた城などは 徹底的に潰してしまうという風習があり 江戸時代以前のお城では石組みもほとんどなく 樹や土で作られた単なる砦だったので 残らなかったのでしょうね。 今の職場の付近、戦国時代には、何度か戦場となった 場所ですが、その当時の風 . . . 本文を読む

騎兵隊

2006-12-19 23:55:54 | 歴史
ロンドン、バッキンガム宮殿の衛兵交代といえば ふさふさの帽子を被った赤い服の歩兵の行進を 思い浮かべていましたが、冬になってきているせいか 服装はグレーのコートをまとった衣装でした。 勤務を終えた衛兵が宮殿に向かい、そのあと これから勤務の衛兵が宮殿に入ります。 そのまたあとに、この写真の騎兵部隊が 宮殿前のビクトリア女王像の前を進みます。 この道路、衛兵交代3分くらい前まで 普通に自動車が行 . . . 本文を読む

古渡城

2006-11-10 00:55:51 | 歴史
戦国時代、織田信長の父の城として登場してくる古渡城。 名古屋、大須の少し南側、地下鉄東別院駅一帯に 広がる地域にお城はありました。 真宗東別院の境内に、古渡城址の碑がありますが 昔をしのばせるものは余り残っていません。 しかし、名古屋テレビ(メーテレ)北、東別院の東にある この写真の下茶屋公園一帯は、緑深い森につつまれて 喧噪な都会を忘れさせてくれる静寂の中にあります。 この付近、江戸時代後 . . . 本文を読む

古地図

2006-09-19 20:54:44 | 歴史
徳川美術館・蓬左文庫床面に焼き付けられている古地図。 17世紀頃のものらしいのですが、古き良き由緒ある 地名が失われている都心部と違って、郡部の我が居住地ちかくは ほとんど昔のままの地名が残っています。 自宅のある地名は漢字が一字だけ変わっていますが 読み方は変わっていない模様。 お隣に珍しい地名がいくつかありますが これはまったく字も今と変わっていません。 戦国時代の歴史に出てくる尾張のお城で有 . . . 本文を読む

尾張の殿様が撮った写真 展

2006-09-16 20:51:29 | 歴史
十五代将軍慶喜が写真好きだったのは有名だが、尾張藩の最後の殿様 徳川慶勝もかなりの写真好きでした。 10月1日までだが徳川美術館で 企画展「幕末の残像」が開催中 慶勝はどうやら自ら写真を撮り、焼き付けの薬剤を調合してまで まめに記録に残していたらしい。調剤の記録なども展示。 街並み写真では名古屋城周辺、殿様じゃないと撮れない アングルの写真がたくさん。 私が昔、通った学校はお城の近くでしたが、そ . . . 本文を読む

手回し計算機

2006-09-15 22:23:40 | 歴史
東京・地下鉄博物館で見かけた「手回し計算機」 これと同じものが九州・門司の鉄道博物館にもありました。 電卓・パソコンがなかった時代には 技術計算や会計処理には欠かせないものだったのでしょう。 我が家にも、飛行機技術者だった祖父の愛用品として、 まったく同じものがありました。 私は中学、高校の頃、よくおもちゃ代わりに していた記憶があります。 祖父が亡くなる数年前までは、祖父の部屋に ちゃんと飾 . . . 本文を読む