久しぶりに地元名古屋城訪問。 天守閣から南東方向を眺めた写真。
名古屋に住んでる方ならご存じの景色。
とがった屋根の名古屋市庁舎、天守閣を乗せたみたいな和洋折衷の愛知県庁、
右の方には名古屋のテレビ塔が写っています。
自分の誕生日に、思い立って行ってきたのですが、
実は自分が生まれた病院の跡地(今は青屋根の建物
=愛知県体育館)が写っています。
自分にとっては特別な場所です。
左手前の森は、今 . . . 本文を読む
しばらくブログをサボってしまったが、ぼちぼち気が向いたときに
アップすることにします。
このところ新しい画像がないので、小出しに古い画像をアップ。
先日、浅田次郎さんの輪違屋糸里をテレビドラマでやってましたが、
ここがその舞台、京都島原の置屋、輪違屋。
現在の建物は安政年間に再建されて明治の初期に改築され・・
ということなので、新撰組のいた当時のままでは
無いでしょうけれど、雰囲気は伝わってき . . . 本文を読む
年甲斐もなく、時々(このところ月1回)アイススケートに行っています。
これだけ騒がれているのに、知っている人は知っているのに
名古屋の観光案内に、このリンクが載っていないのは不思議ですね。
大須の案内図にも、ちらっとしか書かれていない・・
古くは伊藤みどりさん、最近では浅田真央ちゃん舞ちゃん姉妹。
恩田美栄さん、中野ゆかりさん、という大スターたちが育ったリンクです。
世界選手権金メダルの安藤美 . . . 本文を読む
東京では旧江戸城あと、皇居が中心となっているのに
京都御所は、ちょっと繁華街から離れて
静かな杜に包まれて独特の雰囲気ですね。
仕事に行くのに地下鉄を御池で降りて
御所前を横切って行きました。
東海道線の駅は、七条あたりにありますが
御所に近づけるのは畏れ多かったのか・・
(単に山科から京都盆地に抜けるのに
あそこしかなかったのかも知れませんが・・)
旧・東海道が五条大橋が終点だったのに
それ . . . 本文を読む
昨日の続き、落柿舎の玄関。
周囲は自然が残っている嵯峨野。
茅葺き屋根の鄙びた建物は
落ち着きますね。
スケッチをしている人
ゆっくり散策している人
少し時間がゆっくりと流れていくようです。 . . . 本文を読む
昨日の愛宕念仏寺のすぐ近くに
地蔵盆の千灯供養で有名な
化野念仏寺があります。
化野は徒然草に
「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ
住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。」とあるように
東の鳥辺野とならぶ、京の西の葬送の地で、
古来、風葬、鳥葬が行われてきました。
化野念仏寺は、およそ千年前、空海がここに野ざらしと
なっていた遺骸を . . . 本文を読む
京都・伏見の船宿。薩摩藩の定宿だったらしい。
土佐脱藩の坂本龍馬もここに出入りしていた。
だいぶ改造されているらしいけれど
幕末の雰囲気は伝わってきます。
京・大坂を行き交う船がここへ着き
一日20時間近く、休息や食事に使われていた
そうです。コンビニ兼食堂というような
感じだったのでしょうね。 . . . 本文を読む
慶応二年、お風呂から階段を駆け上って
龍馬に危急を知らせたのは
この人、おりょうさんです。本名、楢崎龍。
一番左が若い頃、真ん中が晩年の頃です。
晩年は横須賀で66歳の生涯を閉じました。
右はおりょうさんを養女として迎え入れた
寺田屋の六代目伊助の女房、お登勢さん。
坂本龍馬をして「学問ある女で人物也」と
言わしめた博学だったそうです。
一昨日の猫チャンがいるのは
お風呂場の真上の屋根あたり。 . . . 本文を読む
歴史の舞台となったこの館。
このお風呂(左)から階段(右)を駆け上がって
危急を知らせました。
しかし、ここを訪れて、あまりにコテコテに
パネル解説やら張り紙がしてあるのには
ちょっとなぁ~という感想。
特に二階は刀傷や銃弾の跡にまで
張り紙で解説付き。
もう少し当時のイメージを
外観ばかりでなく中にも残して
欲しいと思いました。
このお風呂の周囲は解説少なめでした。
. . . 本文を読む
尾張は戦国時代に歴史上の舞台となり、信長、秀吉、
家康、利家、一豊などなど、大河ドラマでもお馴染みの
武将たちが活躍した場所です。
もともと日本には以前の支配者のいた城などは
徹底的に潰してしまうという風習があり
江戸時代以前のお城では石組みもほとんどなく
樹や土で作られた単なる砦だったので
残らなかったのでしょうね。
今の職場の付近、戦国時代には、何度か戦場となった
場所ですが、その当時の風 . . . 本文を読む
ロンドン、バッキンガム宮殿の衛兵交代といえば
ふさふさの帽子を被った赤い服の歩兵の行進を
思い浮かべていましたが、冬になってきているせいか
服装はグレーのコートをまとった衣装でした。
勤務を終えた衛兵が宮殿に向かい、そのあと
これから勤務の衛兵が宮殿に入ります。
そのまたあとに、この写真の騎兵部隊が
宮殿前のビクトリア女王像の前を進みます。
この道路、衛兵交代3分くらい前まで
普通に自動車が行 . . . 本文を読む
戦国時代、織田信長の父の城として登場してくる古渡城。
名古屋、大須の少し南側、地下鉄東別院駅一帯に
広がる地域にお城はありました。
真宗東別院の境内に、古渡城址の碑がありますが
昔をしのばせるものは余り残っていません。
しかし、名古屋テレビ(メーテレ)北、東別院の東にある
この写真の下茶屋公園一帯は、緑深い森につつまれて
喧噪な都会を忘れさせてくれる静寂の中にあります。
この付近、江戸時代後 . . . 本文を読む
徳川美術館・蓬左文庫床面に焼き付けられている古地図。
17世紀頃のものらしいのですが、古き良き由緒ある
地名が失われている都心部と違って、郡部の我が居住地ちかくは
ほとんど昔のままの地名が残っています。
自宅のある地名は漢字が一字だけ変わっていますが
読み方は変わっていない模様。
お隣に珍しい地名がいくつかありますが
これはまったく字も今と変わっていません。
戦国時代の歴史に出てくる尾張のお城で有 . . . 本文を読む
十五代将軍慶喜が写真好きだったのは有名だが、尾張藩の最後の殿様
徳川慶勝もかなりの写真好きでした。
10月1日までだが徳川美術館で
企画展「幕末の残像」が開催中
慶勝はどうやら自ら写真を撮り、焼き付けの薬剤を調合してまで
まめに記録に残していたらしい。調剤の記録なども展示。
街並み写真では名古屋城周辺、殿様じゃないと撮れない
アングルの写真がたくさん。
私が昔、通った学校はお城の近くでしたが、そ . . . 本文を読む
東京・地下鉄博物館で見かけた「手回し計算機」
これと同じものが九州・門司の鉄道博物館にもありました。
電卓・パソコンがなかった時代には
技術計算や会計処理には欠かせないものだったのでしょう。
我が家にも、飛行機技術者だった祖父の愛用品として、
まったく同じものがありました。
私は中学、高校の頃、よくおもちゃ代わりに
していた記憶があります。
祖父が亡くなる数年前までは、祖父の部屋に
ちゃんと飾 . . . 本文を読む