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いまのきもち

気負わずマイペースの日記・雑記帳です。

うへの

2006-07-16 23:58:45 | 歴史
東京は地下鉄上野駅ホームの写真。でも看板に出ている 大相撲のポスターには昭和3年春場所とあります。 それに「うへの」の表示。 実は東京メトロの地下鉄博物館。 今回訪問してきました。 日本の地下鉄は、銀座線が昭和2年に 浅草~上野間で開通したのが最初だそうです。 今や130を越える駅がある東京の地下鉄。 古い駅は、よくみると壁や通路に 歴史を感じさせるものがありますね。 友人のUさんはスタン . . . 本文を読む

黒田城址

2006-06-27 23:59:32 | 歴史
山内一豊の生まれ育ったという黒田城。城址は今は小学校に なってしまっていて石碑とこのような解説板があるのみです。 石碑の方はうしろに小学校の遊具が写ってしまうためカット。 ここは市内北部、旧木曽川町にあります。 一豊の父、盛豊は岩倉織田氏の家老として その支城、黒田城を預かっていました。 一豊の生誕地はこの黒田城説と岩倉城説があります。 しかし父、盛豊 兄、十郎の墓は黒田城すぐ近くの 法蓮寺に . . . 本文を読む

市立博物館

2006-06-26 23:59:53 | 歴史
徒歩30分車なら10分で十分いけるところにある 地元の市立博物館。 地元出身者を中心に戦国武将列伝という企画を 7月上旬まで特別展示中です。 地元の出身者って・・早い話が、NHK大河ドラマに 出てきている人たち。 なんてったって尾張の国は戦国時代の大舞台です。 純粋に市内の出身者は、 山内一豊、ねね、浅野長政(浅井ではありません) もうちょっと広い範囲を入れれば、信長、秀吉それに 丹羽一族や . . . 本文を読む

街の風景

2006-06-20 22:17:38 | 歴史
喫茶店にあった古い写真。 おそらく戦前の隅田川らしいのですが、 詳しくはわかりません。 壁にあたった光の中に浮かぶ 昔の街は自分が生きていなかった 時代のものでもどこか懐かしさを 感じます。 街も人も変わっていきますが 四角く切り取られた風景が 懐かしくいつまでも残っています。 東京は新しいものも多いですが ちょっと懐かしい 時代を感じさせる 絵になる風景が 所々にまだ見られます。 奈良・ . . . 本文を読む

平家~壇ノ浦合戦図

2006-05-23 23:23:12 | 歴史
友人のUさんが屋島の平家のことを ブログに書いていたので、 私も平家にゆかりの画像をアップ。 既に、下関の赤間神宮の画像をアップしましたが 今日のは門司、和布刈(めかり)公園にある 巨大な壇ノ浦合戦のタイル画。 お城巡りもしているUさんなので、門司古城址も 訪問なさっているかもしれませんが その近くにあります。 和布刈(めかり)公園から 関門橋・関門海峡を望む(左上写真) 展望台のうしろにこ . . . 本文を読む

壇ノ浦

2006-05-10 22:16:43 | 歴史
平家滅亡の地、関門海峡の壇ノ浦。 なんだか旅日記ばかりのブログになってますが ここもお気に入りの場所。 数年ぶりに再訪しました。 ご覧のように関門橋の真下あたり 先日ブログでご紹介した 関門人道トンネルはこの真下で ここは「みもすそがわ」とよばれています。 ここから西に赤間神宮 (安徳天皇陵・みみなし芳一 ゆかりの地・平家七盛塚)、 伊藤博文が活躍した 日清戦争下関講和条約締結地の 春帆楼など . . . 本文を読む

悲しき懐かしき客船たち

2006-04-28 22:07:24 | 歴史
氷川丸の中に展示されていた戦前の名客船たち。 精巧な模型で、船旅全盛期のころへの ノスタルジックな想いを つのらせてくれます。 一月近くかかるアメリカや欧州への航路に 横浜や神戸から多くの船が就航していました。 大海原を何日も長めながらの旅は きっと心も雄大にしてくれたもの だったでしょうね。 この模型の船たちの展示を見ていて 悲しいことに・・ ほとんどの船が戦火にまみれ 海の藻屑と化していっ . . . 本文を読む

春や昔 十五万石の 城下哉

2006-03-26 12:28:40 | 歴史
JR松山駅の画像。国鉄で最後にできた県庁所在地駅。 (沖縄にはいまだに国鉄・JRが無いのですが・・) ここは昭和初期にできた駅で、 伊予鉄最古の三津駅などと 比べものにならない新しい駅ですが、 昭和の雰囲気はそこかしこに残っています。 わざわざ「駅」を「驛」と書いてレトロ調を 演出していますネ。 (「驛」って訓読みは「うまや」なんですね) JRで松山へ訪れると、まず出迎えてくれるのが 正岡子 . . . 本文を読む

まどんな

2006-03-25 00:54:23 | 歴史
坊ちゃんとくれば、やっぱりマドンナに 触れないわけにはいけないでしょう。 写真は、伊予鉄の松山市駅にあるマドンナ時計 (写真はマドンナレリーフ部分だけですが 実は上に時計がついて時計塔になってます)と 昨日の写真の1号編成とは別の 14号(いよ?)編成の坊ちゃん列車です。 この写真は既に、いつものチャットBBSには 載せましたが、ここでは右下に、本物の(?) マドンナの写真を小さく入れてみまし . . . 本文を読む

坊ちゃんの街

2006-03-24 00:27:03 | 歴史
さて、松山シリーズもそろそろ終盤です。 今日は夏目漱石が一年間教鞭を執った 旧・松山中学校の跡地に建つ 記念碑をご紹介します。 場所は、愛媛県庁と松山市役所に挟まれて、 松山城の東南の堀端です。 いまはNTT西日本四国のビルが建っています。 上の写真はちょうどその前にある 「市役所前」電停を駆け抜ける 現在の「坊ちゃん列車」。 記念碑は電停側の建物の入り口付近に あります。 南を向いて撮影し . . . 本文を読む

宝厳寺

2006-03-22 00:46:54 | 歴史
道後温泉周辺に戻ります。伊佐爾波神社の北隣。 宝厳寺は,時宗の開祖一遍上人生誕地です。 明治28年(1895)10月6日,日曜日に 子規は同居の漱石と道後へ出かけます。 入浴後遊郭松枝町を通ってこの寺へ。 こんなお寺が遊郭街を抜けた 坂の上にあるのに漱石は びっくりしています。 そのとき子規が詠んだのが 「色里や 十歩はなれて 秋のかぜ」 碑が境内には立てられています。 ここには他に斎藤 . . . 本文を読む

ロシア人墓地

2006-03-20 17:09:52 | 歴史
横浜の外人墓地のような風情はありませんが、 ひっそりと100年以上前から 松山の城北に眠り続けている ロシアの兵士たちの墓です。 「坂の上の雲」も日露戦争を 舞台にしていますが その日露戦争で捕虜となった ロシア兵を収容するために 日本に初めて作られた 捕虜収容所が松山にありました。 なんと明治28年当時人口3万人程度だった 松山に6000人ほどの捕虜が住んでいたそうです。 捕虜収容所という . . . 本文を読む

庚申庵

2006-03-05 21:51:53 | 歴史
一畳は 浮世の欲や 二畳庵。 松山訪問記に戻りますが 今回はじめて訪れたところのひとつが 伊予鉄古町駅近くの庚申庵。 伊予の俳人・栗田樗堂(くりたちょどう)が 52歳の時、松山の俳人たちと俳諧を 楽しむために建てた草庵です。 寛政12庚申年(1800)に建てられたので 庚申庵と名づけられたそうです。 伊予は俳句の盛んなところで 現在も市内線の路面電車の中や 松山城・道後温泉にも投句箱があり . . . 本文を読む

坊ちゃん

2006-02-26 10:17:33 | 歴史
今年は坊ちゃんが書かれてちょうど100年の年である。 松山といえば漱石の坊ちゃんなのだが いまだに100年前の文学作品を 観光資源にしている街はそうないだろう。 漱石が松山中学校の教師として 教鞭を執っていたのは1895年なので 舞台はそれより更に11年前を描いています。 しかし不思議な街であれだけ作品の中で 田舎扱いされたのに松山の人たちは ものともせずに江戸っ子の 辛口なお話を100年間楽 . . . 本文を読む

雪の桜田門

2006-01-27 22:59:33 | 歴史
雪の木曽路シリーズから、雪の江戸の街へ。 先日久々に状況したところ、東京には珍しく 大雪のお天気になりました。 予定を変更して、宿近くの雪景色を撮影。 写真は雪降る桜田門です。 幕末に水戸藩の浪士18名が 大老井伊直弼の行列を江戸城桜田門で襲った事件。 実際に起こったのは 1860年3月24日(安政7年3月3日)で 二ヶ月も後のことなのですが きっとこんな景色であったのでしょう。 戦国時代や . . . 本文を読む