Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

巡り逢いの妙① 姓名の縁(えにし)

2020年08月24日 | 日記
時は戦国時代。1575年の長篠の合戦で甲斐の武田軍が織田信長公の鉄砲隊に惨敗を喫したことは有名ですが,ここに不思議な縁を辿る夫婦の話をしたいと思います。

武田軍の配下に木曽義昌公という方がいらっしゃいますが,この方は平安時代末期に平家を滅ぼした源氏の一族だった木曽義仲公の子孫ということになっております(諸説ございますが)。そしてその奥方であらせられますのが武田信玄公の三女,真理姫でございました。

しかしながら長篠の合戦後,かつての勢力を失いつつあった武田氏を裏切って織田側に寝返ってしまったということは余り知られていません。1992年の大河ドラマの中でも緒方直人さんが演じる信長公が「木曽義昌が寝返って我らを案内する」と言う場面があります。真理姫を娶るいきさつでも戦で破れた木曽氏が降伏していますから,自然の流れと言えば自然なのかもしれませんが,問題となるのは妻の一族を裏切って滅ぼすことに手を貸してしまったという一点なのでございます。

平成の世の中になってある,カップルが結婚にこぎ着けました。

木曽氏の流れを汲む一族に生まれた青年が出会ったのは武田氏の流れを汲む一族に生まれた女性。

青年の兄の嫁が,偶々戦国の史実に明るく,義弟の嫁となる女性の名字を聞いてドキリとしたそうです。

その姓の響きは明らかに武田氏の子孫ということを示している上に名の響きには「真理」を連想させる"M"と"R"の音が存在していたからです。

それでも,二人の仲睦まじい様子を見ている内に,そんな古の縁故に纏わる懸念など愚かしいことだと,いずれ忘れてしまう兄夫婦なのでした。

余談ですが,これも複雑な話になってしまいますが,彼の兄とは申しましても,実は彼らは腹違いの兄弟であって,正当な流れは弟にありましたから,それを物語るエピソードもあるのです。

弟夫婦が短期旅行に出掛けた際,通りすがった神社が気になって立ち寄ってみると,それが偶然「義仲公の産湯の地」だったなどという事がありました。それに対して,兄夫婦が「先祖供養」を目的に,長野の"義仲寺(ぎちゅうじ)"に参った際には激しい雨に見舞われ,雨が凪ぐのを待って車外に出ようとすると雨が強くなって,まるでお参りを阻んでいるのではないかという事もありました。しかも兄はその旅行から帰宅するや体調を崩し手術まで受けるという志儀に至ったのであります。

考え様によっては,弟夫婦がご先祖との縁が強いという事を示しているということもあります。

いずれにしましても,数年経って弟夫婦が離婚しました際には,何となく古の縁というものを少しだけ思い起こす兄夫婦なのでありました。

これもまた余談に他なりませんが,弟の名前には義昌公の意味名とも言うべき「義」という字が入っております。その義昌公の幼名であった「宗太郎」には字こそ異なりますが兄の名前に通じるものですし,亡父が兄のことを「そうたろう」と好んで呼んでいたのは本当に偶然だったのでしょうか。

因みに,義仲公のお従弟で,義仲公を討ち果たした義経公の伝説が残る銚子市と,秀吉公の御代になって家康公と共に関東に領地を頂いた義昌公が開いた旭市を生活の中心としている兄夫婦がこの地に導かれましたのには,また別の「巡り合わせ」がございます様で,それは別の機会に。

45. ビクター

2020年08月21日 | 日記
手紙を読み終えて一呼吸置いてからページを揃えて元の通りに畳んでいると,ニコニコと微笑みながらハーデット氏は幸せそうに話し始めた。
「こんな手紙を息子から貰うなんて・・・」

3年ほど前,ジェイソンは大学を出るとすぐに軍隊に志願したのだという。それはハーデット氏にとっては思いも寄らないことで,最初は強く反対したが,強気の息子を宥めることができなかった。それで仕方なく,軍隊の厳しさを身に染みて分かっている彼が根回しをして,安全な事務職に息子が配属される様に画策した。そのことが返って息子の気持ちを逆撫でして親子の関係に多少なりとも亀裂が入った様だ。以来,ジェイソンは父親との連絡を絶ち,まるで反抗するかの様に敢えて危険な任務に就く事を希望し続けたそうだ。それでも,この年の最初に勃発した湾岸戦争で,彼が所属する部隊への派遣命令は下されなかったらしい。ハーデット氏には本当に身に覚えのないことであったが,ジェイソンはそれも父親の策謀なのだと思い込んでいた様だ。

「ジェイソンさん,怪我が大したことないといいですね」
僕は手紙をゆっくりとハーデット氏に返した。
「ありがとう,ソーヤン。・・・泣いてるのですか」
「いえ・・・」

僕の両目からは無意識に涙が零れ落ちていた。その時の僕は,ホッとしたせいか,さっきまでの緊張の糸が完全に解けて全身が弛緩していく様な感覚を覚えていた。
「やさしい息子さんですね・・・。僕も日本の両親を思い出しました」
「・・・やはりあなたは・・・」
そう言いかけたハーデット氏は,僕の涙に釣られたのか,胸ポケットから取り出したハンカチで目元を拭いながら手紙を仕舞った。
「いや,もういいのです」
「ハーデットさん・・・?」
「ソーヤン,息子に会ってもらえますか」
「僕もジェイソンさんに会いたいです」
「そうですか,それは光栄です」
「クリスマスの週は・・・確か28日が土曜日ですね。どうですか」
「必ず」
「ではこの時間にここで・・・」
ハーデット氏は2,3度頷いてから,テーブルを両手でポンと叩くと,「飲み直しませんか。私に奢らせてください」と言ってカウンターに向かおうとしたが,思い立った様に名刺を僕に差し出した。

「遅ればせながら・・・」
僕は名刺に記された名前を見てようやく合点がいった。僕が“Wimpy”と呼ばれていたように,ジェイソンの源氏名が“Victor”だったんだ。思い起こせば,赤いベレー帽にサングラスを掛けたイギリス兵,そして気味の悪い笑い声を上げる,僕たちが「ガードマン」と呼んでいた連中の1人は同一人物だった。ああ,そう言えば確か喘息もちだと言っていたっけ。

「ビクター・ハーデットさん?」
「ええ。息子に劣らず大それた名前をつけられたものです。よろしく」
ニッコリと微笑んだ老人はそう言い捨ててから大勢の客の間を縫ってカウンターの方へ進んだ。

勝利という意味の“victory”を想起させる名前は,まるで僕の仇名の“wimpy”とは正反対のイメージを持っていた。僕は決してジェイソンが思う様な英雄じゃない。僕のことを何度も助けてくれたビクターこそが英雄ではないのか。複雑な心境で自分が何者なのかも未だ分かっていない僕は自分自身に問いかけた。。
「Are You Wimpy?」
それから深呼吸を1つしてから自答した。
「Sure, I am.」
そう呟くと,僕は込み上げる笑いを抑える事ができなかった。リアノは,よくもまぁピッタリの名をつけてくれたものだ。その通り,僕は何も成し遂げられないただの弱虫なんだ。

手紙にも書いてあったが,ジェイソンは僕の心情を計るためにライフルに弾丸を込めなかった。ならば父親の名前を使うことでハーデット氏の心情を計っていたのだろうか。そうでなければ,父親の名前を騙ることはないだろうに。

円山さんを探す目的で2度目のミッションに参加した僕だったが,その望みは叶えられず失望の内に帰国した。僕は想像を絶する過酷な状況に置かれ,自分自身が生きていくことすら危ぶまれていた。帰国直前に行方不明になったビクターのことも気がかりだったが,そのビクターがこうして生き延びていて,しかも円山さんの情報を手に入れてくれたというのは朗報だった。ただ,その時の僕は円山さんの様子を詳しく知るのを少し恐れていたかもしれない。僕が偶然目にしたあの新聞には鬼のような形相の円山さんが写っていたからだ。円山さんは間違いなくイレイナの為に武器を取った。それはイレイナを守る為か,それとも・・・。いずれにしても僕とは違うベクトルを彼は抱えていた。アジャやイーゴを失った僕の心には悲しみと同時に怒りと絶望が渦巻いていたはずだが,それは決して僕のことを復讐の路へとは駆り立てなかった。もしそれが僕のような不信心な者への神様の思し召しで,最愛の人たちを失った空虚を埋めるような新しき出会いを授けてくれたのならば,それは何と我が身の幸いなることかと思っていた。そんな僕にとって円山さんの心情はいかなるものか計り知れぬものがあった。

「Cheers!」
ハーデット氏と僕はグラスを頬まで上げて,この日の出会いを祝福し合った。ドロリとしたギネスの舌触りの向こうから爽やかな炭酸が僕の口の中の傷を微かに刺激するのと同時に殴られた顎の左側がズキズキと疼いた。ハーデット氏は一気に飲み干したパイントグラスをコンという乾いた音をさせながら優しくテーブルの上に置くと,気持ち良さげにフーっと息を吐いて微笑みかけた。それはあの「神の息吹」とは似ても似つかない生に満ちた勢いを湛えていた。僕の様子を伺う彼の視線に煽られる様に,僕も残りのビールをゴクゴクと飲み尽くした。僕はハーデット氏と同じように息を吐いてグラスを彼のグラスの脇に並べた。そして「皆さんのところへ戻りましょう」というハーデット氏の合図で僕たちは何事も無かったかの様にテーブルを後にした。外の気温は下がりつつあったが,ブランズウィックは客の熱気でポカポカと暖かかった。あと3週間ほどで新しい年を迎えようという週末は,賑やかな雰囲気の中で蕩ける様に過ぎていくのだった。

-THE END-

44. 親愛なる父さんへ

2020年08月14日 | 日記
父さん,達者ですか。今頃はお祭りで賑わっているでしょうね。

実は怪我をして今は病院で治療を受けています。怪我とは言っても,病院で知り合った男の子は片方の足首を切断した上,両親とも死に別れたというから,それに比べたらこんなのは怪我の内に入らないかな。いずれにしても,これじゃ文字通り仲間の足を引っ張る様なものだから,歩けるようになったら来月帰国しようと思う。

何も断らずに軍を辞めたことは申し訳なく思っています。でも,僕は何も後悔していないし,こちらで過ごしてきた数か月はとても充実していたし,振り返る度に僕は幸運に恵まれているんだと本気で感じているんだ。

何しろ,Wimpyに会えたんだからね。これは奇跡に他ならない。

彼に出会うまでの僕は,ライフルと弾丸があれば,自分は無敵だと教わって生きていた。それは勿論軍隊でのことなんだけど,父さんの反対も押し切ってコネまで使わせてもらったのに,それが100%間違いなんだって気づかせてくれたのがWimpyという日本人なんだ。

僕が大勢の人達に囲まれてどうしていいか分からなずに焦っているところを彼が救ってくれたんだ。彼は銃なんか使わないで,何の武器もなしで,今にも襲い掛かってきそうな民衆を制圧してしまった。もし,あの時彼が助けてくれなかったら,僕は絶対に闇雲に発砲していただろうし,それが恨みを買って僕自身もきっと命を奪われていたに違いない。

だから彼は僕の命の恩人でもあるんだ。

彼が携帯している銃には弾が入ってないんだ。弾丸は1発だけ,別に持ち歩いていて,それは自殺用に持っているんだと彼は言っていた。それなのに,彼は市街地で攻撃があった時も,僕が止めるのも聞かないで,見も知らぬ老人を助けに行ってしまった。あの時,僕は足が竦んで車から降りることさえできなかった。その時,彼は仲間を失ったというのに,それでも銃は絶対に人には向けないと言っていた。信じられますか。

彼を送り届けるのが僕の任務だったから,帰国してから時間が経つに連れて,彼ともっと話をしておけばよかったという後悔が大きくなって,もう居ても立ってもいられなくなって,気が付いたら僕は除隊して彼に会いに行っていた。

でも,僕が戻った時には彼はもうそこにはいなくて,僕ができることと言ったら,仕事仲間や現地の人から彼のことを探ることくらいだった。

現地の護衛部隊のリアノ隊長が言うには,彼はウィンプだけど,別に何も怖がってはいないらしい。矛盾していてよく理解できないけど,他にも予感が当たるとか,彼についてはとにかく不思議な噂ばかりだった。

それに驚く程多くの人達が彼に感謝しているんだ。彼の仲間は勿論,難民キャンプや病院でも,彼の事を悪く言う者がいないどころか,小さな子供から老人までの誰もが彼の話をする時,物凄く幸せそうな表情をする。

試しに僕も装備として受け取ったライフルには弾を入れなかった。彼が一体どんな気持ちだったのか知るために,彼がやっていた様に自分もやろうと努力したけど,怖くて仕方なかったよ。いつでも足が竦んでしまった。そんな僕をいつもフォローしてくれたリアノ隊長はウィンプは「撃てない」んじゃなくて「撃たない」んだと言っていた。

軍にいたときに身につけた応急処置技術を買ってくれて,リアノ隊長は兵士としては役立たずの僕をそのまま置いてくれていた。

11月にWimpyが戻ってきた時は,僕は伝説の人に会えた喜びで興奮していたけど,残念ながら彼は僕のことを覚えていないみたいだった。それは初めて会った時に自己紹介もせず,ただ事務的に接していたから仕方ない。それに彼に助けられた事を僕が覚えていたとしても,彼にとってそれは毎日の出来事の内のほんの一瞬の出来事に過ぎないんだろう。

彼がアメリカ人兵士を助けようとして負傷した時に僕が手当てしたから,ようやく恩返しができた気がしたけど,それでは足りないくらい僕は彼に感謝していた。銃撃を受けている最中も,救わなければならない人がいれば彼は迷わず危険を顧みないで走り出す。僕はその度にいつも一歩遅れて彼の手伝いをするくらいしか出来なかった。

それでね,僕が今病院で一緒に過ごしている少年も,彼が救った命なんだよ。

最後に一緒に過ごした夜,寝ぼけた彼が上空のミサイルを流れ星だと思って平和を祈った時,冗談だと思っていたら本気で祈っているのを知ってリアノ隊長が感動して泣いたくらい,何か不思議なものをWimpyは皆に感じさせるんだ。

彼のお陰で・・・というか,自分が臆病なせいかもしれないけど,僕は誰も殺さずにこれたよ。だから,こんな怪我を負ってしまったのだろうけど,いずれにしても,僕は彼に感謝してるんだ。リアノ隊長が彼の住所を教えてくれたから,帰国したら先ずブライトンに行って彼に会いたいと思う。そして,じっくりと話をしたいんだ。それに,彼が探しているという日本人の情報も手に入ったし,取り急ぎ彼に伝えないと。

父さんが言う様に,武器を持たずとも世界は変えられるのかもしれない。父さんが軍を辞めて弁護士として戦ってる様に,僕も自分の戦い方を見つけられる気が,今はしています。

きっと天国の母さんも,僕のことを見守ってくれていたのかな。よく説明できないけど,彼の事を考えてる時,僕は母さんを思い出すんだ。

じゃあ,父さん,クリスマスは久しぶりにマッセルバラの家で一緒に祝おう。もし良かったら,その内,少し遠いけれど彼が住んでいるブライトンに一緒に旅行しないか。そして是非とも父さんにもWimpyに会って欲しい。

良い祝日を。

心を込めて。 ジェイソンより。
1991年11月30日

43. 13日の金曜日

2020年08月11日 | 日記
男の前にマシューが立ちはだかるのとほぼ同時に相手の連れが後ろから大男を抑え込むと,ベンとカリンが両側から僕のことを支えてくれた。ブランズウィックにはガードマンがいなかったから,バーテンダーが2人共カウンターの外に出て仲裁に入るべく声を荒げていた。

「まぁ,両方とも落ち着いてください!皆さんも」
突如として大男と僕の間に,ネクタイ姿の男性が割って入った。白髪を綺麗に整えてスーツを完璧に着こなした,60代・・・そう,すぐ傍らで抱き合ったまま事態を見守っているナイト夫妻とほぼ同年代の男性が,怒れる大男を宥める様に丁寧な発音で語りかけた。
「あなたがお怒りになるのもごもっとも。名誉棄損というわけですね」
「そうだっ! そいつが始めたんだ」
「失礼,私は弁護士です」
男性は大男に名刺を渡して続けた。
「この方を訴えると?」
「勿論だっ」
「では,そもそもの原因も証言しなければなりませんが・・・」
「オレは何もしてない」
「いえ,私もあなたが話しているのを小耳に挟んだのですが・・・」
くるりと僕の方を振り返った男性がウィンクすると,静まり返る客たちが注目する中,まるで法廷で演説するような口ぶりで分かり易く説明した。
「あなたがイギリスではない他の国に出かけ,一般市民を殺傷したことを知った彼が,あなたの事を殺人犯呼ばわりしたことが発端ですね」
「・・・いや,オレはただ・・・」
「いえ,私にはその様に聞こえておりましたし,あなたの友人も,多分他にも聞いていた方の証言がとれますよ」
その大男と連れの2人が間誤付いていると,客の中から「私も聞いたわ」「オレも聞いたぞ,人殺し」「お前は人殺しだ」と次々と客が騒ぎ始めた。大男たちが焦っている様子に男性が両手を高く翳して「まぁまぁ」と助け船を出した。
「皆さん,誹謗中傷はいけません。法廷で正々堂々闘うべきです」
男性はゆっくりと僕に近付くとにっこりと微笑みかけて尋ねてきた。
「あなたもあの方を傷害罪で訴えることができますよ」
カリンが心配そうに僕の唇の血をバーテンダーが持ってきたキッチンペーパーで拭いているのを制止して,僕は首を振った。すると今度は大男の方へ戻って男性は続けた。
「こちらはあなたを訴えないそうです。あなたは?」
大男はもはや戦意を失った様子で小さく「No」とだけ言って,そのまま逃げる様にして仲間とパブを後にした。それを追い立てる様に店内から拍手と歓声が起こったから僕は立ち上がって照れ臭げにお辞儀した。

「いやはや,皆さん,お騒がせしました。どうぞお戻りください」
男性が声を掛けると,何人か心配そうに僕たちの方を気にかけていたが,少しずつ店内は平常を取り戻していった。

「ハーデットさん,ありがとうございます」
「これはモンテルさん,いやカリンで宜しかったかな?」

ハーデット氏は今月に入って2週連続でカリンの教会に拝礼に訪れてるとのことで,カリンとも何回か話したことがあるという。息子さんのことでニコラス牧師に何回か相談をしているとのことだった。

「とんだ13日の金曜日になりましたな」
「ハーデットさん…,初めまして。申し訳ありませんでした」
「なんのなんの。ワタシもアヤツらのいけ好かない武勇伝には辟易しておったのです」
「ハーデットさん,こちらは・・・」
カリンが僕たちの事を順番に彼に紹介した。1人ずつ握手を交わした後,ハーデットさんが切り出した。
「すみません,しかし念の為,ソーヤンと二人でお話させてください」

ハーデットさんに促され,僕はスヌーカーやダーツのある比較的空いている部屋のテーブルに向かった。僕は興奮がすっかり冷めて「うかつだった」と自己嫌悪の最中にあったが,ハーデット氏は僕をニコニコと見つめながらテーブルに両肘を着いて話し始めた。
「実はね。私の息子も出かけてるんですよ」
「息子さんが・・・?」
「はい・・・。ん?痛みますかな?」
「いえ・・・でも,少し・・・」
「それはお気の毒ですが・・・10分だけお話できますかな」

てっきり今回の事件に関してのアドバイスか説教だと覚悟していたが,ハーデット氏は僕の額や口の傷を気遣いながら自分の一人息子の話を始めた。その息子はジェイソンと言って25歳だということ。9月に陸軍を辞めて,その後アジャの国へ渡ったこと。そして最初は,ハーデット氏もさっきの大男の様に,自分の息子が義勇兵として殺戮の罪の中にあるのではと心配していたことなど,余り僕とは接点のない様な話を続けたが,危機から助けられた誼で1つ1つ頷きながら真剣に聞くことにした。

「ご存知ですか,「13日の金曜日」という映画。今日みたいな日は息子に恨まれたもんです」
「いじめられたんですか」
「いや,そんなことはなかったと思いますが,気に入らなかったでしょうな」
「映画が全てではないでしょう。もしそうだったらジョンはもっと大変です」
「なるほど,そうですな」

ハーデットさんは愉快とばかりにテーブルを数回叩きながら笑った。僕も映画は好きでよく見る方だったから,ハリウッド映画の主人公の名前にジョンが多いことを知っていた。

「私も空挺隊員だったのですが,息子には別の道を歩んでほしかったのです・・・」
ハーデットさんはパラシュートの刺繍が施された朱色のネクタイを僕に見せた。
「あいつは体が弱かったですし・・・。私もイスラエルでは大変な思いをしましたから・・・」
「イスラエルに?」
「ええ。ずっと昔です。大勢殺されましたし,大勢殺しました」
「それは・・・」
「いえ,あなたがおっしゃる“人殺し”とは違います」
「別にあの男と一緒にしようなんて」
「戦争がなくならないのが問題なのです」

あらぬ方向に話題が逸れてしまったが,ハーデットさんの口調に何の恨み節も嫌味も感じられなかった。しかし僕は次に続ける言葉が浮かばなかったから,すぐ脇のスヌーカーの様子に視線を向けて考え込んだ。すると,誰かがジュークボックスで“Alone Again Naturally”を流し始めて,リズミカルなイントロに誰もがリズムを取り始めていた。

「あなたがWimpyさんですか?」

ハーデット氏の突然の問いかけに,僕は完全に言葉を失った。そのニックネームを知る人はあの場所にしかいないし,僕はジェイソンなんてヤツは知らない。僕は何も答えずに冷静さを装って深く呼吸をしながら,ハーデットさんの優しい笑顔を見つめた。

「これを・・・」

彼は数日前に届いたというジェイソンからの手紙を僕に読んで欲しいと渡した。

42. 血の色と味

2020年08月10日 | 日記
“Dream, dream, dream, dream
Dream, dream, dream, dream・・・”

12月13日。僕たちは久しぶりに皆で集まってブランズウィックで寛いでいた。海側のエントランス手前に設置されたジュークボックスからは,僕がリクエストした“Everly Brothers”の名曲が流れている。ナイト夫妻も大いに喜んで,そそくさとパイントグラスを立ち飲み用のテーブルに置くと,カウンター前で2人で踊り始めた。店は例の如く混雑していたが,2人の上品なダンスに誰もが心を奪われて場を囲む様に広がったから,いつの間に舞台が出来上がった。

「ねぇ,私達も踊る?」
カリンが悪戯っぽい眼差しで僕に声を掛けた。
「じゃあ,今度,君と2人だけの時に」
そう言ってはぐらかしてから,僕はナイト夫妻のダンスを眺めて曲を聴いていた。カリンは嬉しそうに微笑んで,テーブルの上でグラスを休ませていた僕の右手の甲に指先でリズムを刻みながら,いつもの様に鼻歌交じりに歌を追いかけた。

その頃,僕の時間は順調に針を進めていた。この平和な時間が永遠に続くことを願いつつも,実はそれには実態もなく,だからこそ英語の“peace”は不可算名詞なのだと実感した。英語と言えば,2度目のミッションで僕が跳弾を受けて左腕に大けがをした時,その弾丸が砕いたコンクリートの破片でパックリと口を開けた額をホチキスみたいな道具で縫い留めながらビクターが話をしてくれたことがある。

「見えるか?」
「ああ,何とか」
僕の左瞼は,丁度眉の上で開いた傷のせいで開かなくなっていたけど,傷を縫ったお陰で辛うじて開けるようになった。それでも額からは思いのほか大量の血が流れ落ちて目にも入り込んでいたから見える景色は赤色に染まって恐ろし気に映った。
「まるで地獄にいるみたいだよ,ビクター」
「でも,本当に地獄に堕ちた訳じゃないよ」
「ジェイは天国に行ったのかな・・・」
ビクターは何も答えず例のごとくヒヒヒと笑ったが一瞬顔を曇らせた。そして僕の傷の上に絆創膏を貼り付けると,今度は僕の左袖をハサミで二の腕間で割いて具合を診てくれた。
「折れてないな。少し切れてるけど」
「ああ,感覚も少し戻ってきたみたいだ」
「じゃあ大丈夫だな」
彼はそう言うと肘の傷に絆創膏を貼って,折角切り裂いた袖を僕の傷を縫ったホチキスでバチバチと留めてくれた。僕はそのまま仰向けに寝て本当は青いはずの「赤い空」を眺めていた。

遮蔽物の向こう側から,1発銃声が轟いた。ガチャガチャという金属のスライドが廃莢と装弾を同時に行う音の後,「10インチ,右」という声と同時に銃声が聞こえた。それは明らかに人間の命を奪う為のやりとりで,その後も何回か繰り返され,やがてあの雨音の様な着弾音は止んだ。安堵のため息とガヤガヤとした話し声が周囲から漏れてきた。

赤い空に少しずつ青味が戻ってくると,僕は上を向いたまま,誰にと言うことではなく,むしろ自分自身に対してポツリと呟いた。
「僕は何で生きてるんだろう」
さっき頭から転んで耳鳴りが激しかったせいか声が大きかったのだろう。間髪を入れずにビクターが応えた。
「We must live to die」
「死ぬために?」
「辿り着く先はね。だから“We must live today to die”ってことだよ。コックニーさ」

英語の授業で前置詞のtoは自分が見ている先を示すもので,時刻や場所を表す語の他に次に行おうとしている動詞を置くことができるのだと習った。まだ距離がある場合に用いられるから行先や動作はいろいろと変更する余地もあるのだと。「生きる」という意味の“live”前の“must”には「絶対」という覚悟がある。差し詰め「どうせ誰しも死に向かってるんだから今日を覚悟して生きよ」ということなのだと僕は解釈した。

するとリアノが傍らに座って僕の様子を覗き込みながら付け加えた。
「ま,小説みたいなもんだよ」
「小説?」
「ああ。1ページずつ読んでくから面白えんだ。いきなり最後は読まねぇだろ」
いつになく優しい口調のリアノが僕を見下ろしていた。最初のミッションの帰り道で敵の攻撃を予見したなんてことをリアノは本気で信じていたらしく,奇妙な物を見る様な眼差しを僕に向けることがあった。


“When I want you in my arms
When I want you and all your charms
Whenever I want you
All I have to do is dream
Dream, dream, dream

When I feel blue in the night
And I need you to hold me tight
Whenever I want you
All I have to do is dream・・・”

ナイト夫妻は,嬉しそうに周囲を囲む客たちの真ん中で優雅に踊り続けていた。僕もふと我に返って,目の前のカリンの幸せそうな様子を眺めながら,「この時間こそ,かけがえのない瞬間なんだな」と感じていた。カリンがリズムを取りながらナイト夫妻の方へ気を取られた時,それとは反対側から笑い声交じりの大きな声で話す声が僕の耳に届いた。

「物凄いぜ。1発で血の海さ」

僕は夫妻に見とれている数人の客の向こうのテーブルで,すっかり出来上がった若者3人組の話に耳を傾けた。

「オレはそのメルセデスの運転席に狙いを定めた」
「それで?」
ダッフルコートを着た短髪の体格のいい若者が自分の武勇伝を仲間に聞かせていたのだが,しばらく聞いていて,それが明らかにアジャの国での出来事なのだと僕は確信した。
「まぁ,慌てるな。そいつらは荷物を屋根にロープで括り付けて逃げようとしてたんだ」
「それを撃ったのか」
「ああ,逃がすもんか」

“・・・I can make you mine 
Taste your lips of wine
Anytime night or day
Only trouble is 
Gee whiz
I'm dreamin' my life away・・・”

「ガラスがバシャっと真っ赤に・・・」
「おい,そんな話やめろ,人殺し!」
僕は無意識にそいつを怒鳴りつけていた。
「なんだ,お前」
「そんな話は聞きたくないんだって言ってんだ!」
「お前に話しちゃいねぇだろ」
「黙れ,人殺し!」

僕は自分のテーブルから離れて,騒然と引き下がる客の間を縫って迫りくるその男と対峙した。20㎝くらい高い所から見下ろす男は僕の胸倉をギュっと掴んで,酒臭い息を吐きながら僕の顔面に向けて「この野郎」と威圧した。僕は自分を制御できないくらいの怒りが混み上がってきて,思い出すと自分でも恐ろしいくらいの汚い言い方で彼を罵倒した。

「人殺しがしたくて行ったんだろう,お前はキチガイだ!」

次の瞬間,彼の拳が僕の左顔面を捉えていた。僕はテーブルの上のグラス諸共薙ぎ飛ばされ床に倒れ込んだ。騒然とした店内から女性の悲鳴が重なって聞こえた。口の中が切れてしまったが,僕は血を吐き出しながら更に彼を罵倒し続けた。


“I need you so, that I could die
I love you so and that is why
Whenever I want you
All I have to do is dream
Dream, dream, dream, dream・・・”

その男が息を荒くして僕が倒れている所へ歩み寄ってくるのが見えた。店内が静まり返ってジュークボックスの音が耳鳴りの向こうから木霊の様に聞こえてくる。僕は自分の血液が口内で甘く広がっていくのを感じていた。