Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

40.戦士の肖像

2020年08月07日 | 日記
9月2日。かくして僕はカリンと地元のカレッジに通うことになった。教頭のムーディ氏は日本のユニバーシティを卒業している僕の入学については手続きが不可能だとは言いながらも,所謂「聴講生」としての通学は許可してくれた。

通ってみれば楽しいもので,コミュニティカレッジの性格上ヨーロッパからの留学生も僅かながらいたし大半が地元のイギリス人で年齢層も広かったから,以前通っていた語学学校に比べれば何倍も有意義な時間を過ごすことができた。自転車での通学は急な坂が多い街中では少々骨を追ったものの下り坂を風を切りながら走る時はこの上なく爽快だった。

カリンとは選択している授業時間が区々だったから一緒のクラスで学ぶことがない上に登下校の時間も別々だったけれど,朝食と夕食は2人で仲良く食べた。特に夕食では週に数回は例のケバブで済ませる事が多かったから,水曜日の夕方6時前に僕がセントジェームズストリートの上り坂を自転車を引きながら歩いて行くと,屋台から身を乗り出して僕の姿を確認したアハメッドという店員が予め2人前料理して待っているのが当たり前にもなってしまっていた。そんなとき僕が冗談で「今日は要らないよ」というと,愛想の良い笑顔を振りまきながら「特別サービスで大盛りにしてあるし,チリソースもいっぱいかけてあって美味しいよ」と語りかけてくるのがルーティーンだった。

カリンと僕の中途半端な関係はある意味「良好」に続いていた。最初は一緒に床に就くのも,シャワーを浴びた後Tシャツと下着1枚で過ごすカリンの露わな姿にドギマギしたものだが,2週目に入る頃にはすっかり慣れてしまい目のやり所に困ることも少なくなっていった。確かに女性としては意識してはいたが,その頃はまだ僕の中でのアジャの存在が大きすぎて,失礼な言い方だがカリンのことを愛おしく思うまで至らなかった。

マシューとの作業も順調にいっていた。彼は元々のんびりとしている性格だったから,素人の僕がモタモタしていても全然気にしなかったし,時々説明書とにらめっこして彼が考え込んでいる間もそっとしておくのが常だったからきっと気楽だったのかもしれない。それでもナイト夫妻が「調子はどうだ」とか「いつ完成するんだ」とか根掘り葉掘り聞いてくる時には唇をへの字に結んで答えるのに苦慮している様だった。ナイト夫妻とマシューは組み立て作業より紅茶を飲みながらたわいない話題でお喋りする方を優先したから作業は遅々として進まなかった。僕は主に配線の整理を担当していたが,無数のカラフルな配線コードを束ねたりボディの内側に取り付けたりしている時に,あの“カーボム”のことが脳裏から離れなかった。リアノは自動車には爆弾となる素質が備えられていると言っていた。ちょっとだけ配線を弄ってやることで自動車は小規模なロケットの働きをするのだという。僕があの日のことを思い出しながら1本1本確認しながら作業しているのを見て,一度だけマシューが「丁寧だな」と言ったが,それは決して嫌みではなかったはずだ。

アジャの国の政情はイギリスでもトップニュースとして扱われることが多くなっていた。僕が活動していた場所にも8月中旬に“連邦軍”から大規模な攻撃が加えられたし,9月22日の日曜日には首都も総攻撃を受け,視察の為に上空を飛んでいた国連のヘリコプターも撃墜されて16人の職員が亡くなったという。イレイナの消息が分からなかったこともあったし,未だにアジャとイーゴの死を受け入れることのできなかった僕にとって,そんなニュースを目にする度,頭を金属の棒で力一杯殴られるような激しい衝撃を受けた。

10月5日。朝早くからナイトさんの家へ行く準備をしていると,カリンが学校からもらってきたガーディアンの束が何となく気になって天辺に無造作に置かれていた古い新聞を開いた。「ヨーロッパ研究」という科目の資料に使うスクラップブック用に,カリンは廃棄する新聞を1週間分まとめてもらってきてはせっせと記事の整理に勤しんでいた。土曜日はナイトさんの家で夕食を頂くのが楽しみになっていたから,翌日のサンデーサービスの準備があるカリンは昼間は自分の研究と教会の支度で忙しなく過ごしていた。普段はお互いの生活を尊重してスクラップブックに目を通すことはなかったが,まだ作業の途中らしき新聞の赤いペンで枠が付けられた記事に僕は釘付けになった。

「戦地で戦う日本人」という題は勿論のことだが,強烈に目に飛び込んだのは新聞の1/6程を占める大きな写真の中でこちらを殺気立った表情で睨み付ける髪や髭を伸ばし切ったミリシエマンの姿だった。身体の右側に巨大な重機関銃を携え,そのチャンバーにつなげられたアモーを左手で支えている様子はまるで映画の「ランボー」そのままだった。記事にはアジャの国の内戦で勇敢に戦う“平和主義の国”日本から来た多くの青年達の武勇伝が取り上げられていた。僕はカリンの勉強机の椅子にドサっと座り込んで,バスの時間も忘れてその写真に見入っていた。朝食の後片付けをしていたカリンがその様子に気づいて僕の両肩に手をかけて話しかけてきた。

「驚くでしょ。戦っている日本人がいるなんて・・・」
「君がみつけたのか」
「アジャの国のことだもの。研究課題はこれしかないと思ったのよ」
「いや,そうじゃなくて・・・」

僕はスタンドを灯してもう1度記事の写真を見つめた。

「円山さん・・・」
「え?」

そんな恐ろしい形相をしたところを僕は見たことがなかったけれど,その写真は間違いなく円山さんのものだった。僕たちはしばらくの間言葉を失った。そして薄らいでいたはずの悲しい記憶が一気に僕の中で目覚めていった。帰りのトラックの荷台でのリアノの一言が僕の耳元に蘇って目の前が真っ暗になった。

「お前にも引き金を引く理由ができたのか」

円山さんがそんな結論に達したのだという事実を僕はその時信じることができなかった。

39.一筋の光

2020年08月07日 | 日記
8月も下旬を迎えようとしている頃,その年の夏の暑さはテレビのニュースで「外出すると癌になる」といったレポートが毎日伝えられる程,例年のものに比べて熾烈を極めていて木陰にいれば涼しいという定説も崩される有様だった。

僕は6月いっぱいで語学学校も終了していたから,帰国してからの3週間程の間は特に何をするでもなく毎日を無為に過ごしていた。学生時代に塾講師のアルバイトで貯めた資金も大分残っていたし,せいぜい住んでいたフラットの家賃よりも安い住処を探すべく動き始めているくらいだった。それだって実を言うと,邦子と直美が僕のフラットを気に入ってしまい2人でシェアして住みたいという話が出て,ベンが知り合いの不動産屋を紹介してくれたのがきっかけでもあった。以前以上に僕のアパートで過ごす時間が多くなったカリンも思いの外乗り気で,ウィルソンというそのエージェントとの交渉の中で,カリンが入学を希望していたブライトンカレッジの近くに2人で住む場所を探すことになってしまった。カリンと僕は同い年だったしお互いに家族の様な存在になっていて,帰国した日にカリンからは好意を告白された様な状態ではあったが,決してお互いを求め合う程の強烈なエロスは不在だったから,僕自身も特に抵抗感もなく流れに従っていた。プレストンから少しだけブライトン側に入ったインウッドクレセントに早々2階建てのフラットを借りたマシューがドーナツ工場で働き始めて,ベンはそのフラットに間借りしながら“インテリアデザイナー”と称してウィルソン氏から時々依頼を受けている様なことを言っていた。知り合って間もない2人の日本人の素性は良く分からなかったが,どうやら一月以上もB&B生活をしていたから裕福な家の出だと思っていると,彼女らに言わせれば朝食や風呂,トイレも付いて1泊8ポンドなら日本で下手なアパート生活をするより快適で格安だという論に舌を巻いた。ただ,僕の住むフラットが1ヶ月150ポンドだという事を聞いて,それを目当てにしていたのか僕が通っていた英語学校への9月入学を決めたのだと言ってきた。

ウィルソン氏はとても知的で日本通だった。彼が所有する店舗やフラットの内装デザインをベンが手伝っている関係で僕たちの物件探しに協力してくれた。偶々コレクションの日本刀を自慢された際,その柄部分に刻まれた文字を僕が解説したことを大層喜んで,僕たちの引越しについていろいろと配慮してくれたので有り難かった。僕とカリンが住もうと決めたフラットはブライトンの海岸通りから緩やかな上り坂になったロワーロックガーデンズという通りに面していた。ウィルソン氏曰く,その近隣にはゲイのコミュニティが多く集まっているから家賃も格安で,電気やガス,水道など一切込みで一月100ポンドという耳を疑うほどの提示だった。当時の英国では男女問わず同性愛者が堂々と暮らしていたから意外だったが,不動産の価値が若干下がって家賃が安くなるのは大歓迎だった。しかもカリンがカレッジに通うという話を聞くと勉強机やスタンドまで用意してくれ,僕たちが生活するのに何の不自由もなかったが,彼の早合点でダブルベッドが1つだけ用意されたことに僕は若干尻込みした。

サマーバンクホリデーの26日の昼過ぎ,ウィルソン氏の手解きもあって僕たちは一斉に引越しと手続きを済ませることができた。前日の昼前に突然遊びに来たジエイが「間に合って良かった」と喜んでいた。彼と食べた日本の即席ラーメンがそのフラットでの最後の食事になった。その後出かけた近所のバーでは「引越祝い」だと称してジエイがカールスベルグを1杯奢ってくれて,彼はその足でガトウィックへ向かった。ブライトンターミナルでの別れ際「もう大丈夫そうだな」と優しい笑顔を向けてくれたジエイと力強く抱き合った時,彼とは今生の別れをしたつもりだった。

僕が元々使っていたフラットの仲介は別の不動産エージェントで契約も大分残していたが,その辺もウィルソン氏が上手にやりくりしてくれて,移動の時間も含めて引っ越しは3時間ほどで終了した。新しい居所からはブランズウィックがかなり遠ざかってしまったし,週末のマシューとの約束にはバスを使わなければならなくなったが,残念な気持ちは殊更なかった。

その日の夜、ベン達がブランズウィックでの引越祝いを計画していたが,カリンと僕はそれを丁寧に断って,先ずは新生活に必要な物を買いに出かけることにした。坂を少し上ったセントジェームズストリートにはセインズベリーという休日も営業しているスーパーもあったし,リサイクルショップ,金物屋等々,ウィルソン氏がそこまで考えてくれたとは思わないが,とにかく欲しい物は何でも手に入る通りだった。僕たちはカーテンやシーツ,当面の食料の他に,屋台で売られていたケバブと冷えた瓶ビールを買い込んできて,2人で新生活の門出を祝うことにした。その日は夏らしい暑さで1時間ほどの買い出しでも大分汗をかいたが,地下室の様な造りのフラットに戻るとひんやりとして心地良かった。部屋に入ってすぐにカリンがベッドの上に飛び込んだ。彼女はすぐに身体を起こしてマットの上に足を組んで座ると,自分の左側をポンポンと叩いて僕のことを招いた。僕は少し照れ臭かったが,彼女の横に静かに座ってみると,カリンが小柄なこともあったが,思いの外広々としたベッドに安心した。僕が「大きいね」と言うと,彼女は上目遣いに少し頬を赤らめた。

20畳程のワンルームの小さなキッチンの前には2人掛けのテーブルと椅子が据えられていたから,僕たちはそこで祝杯を挙げた。僕たちの定番メニューになることを予見できるほど美味しいケバブをプレートの上でフォークを使いながら食べていると,突然カリンが切り出した。

「あなたもカレッジに行かない?」

僕の留守中にケンブリッジ大学主催の英語検定に合格したカリンは以前より自信に満ち溢れていた。それとは反対に,帰国してからの3週間をただ思い出だけを人生の拠所にして過ごしていた僕は,きっと彼女にはとても荒んで見えていたのかもしれない。明かりのない真っ暗なトンネルの中を歩いているような日々を過ごしていた僕にとって,カリンのその一言がさり気なく足下を照らしてくれた気がして,その提案を断る理由など何一つ見当たらなかった。

38.運命

2020年08月07日 | 日記
ブランズウィックで飲み直そうと提案したのは僕だった。海辺にあるブランズウィックの方がやはりのんびりと寛げたし,自分のフラットから歩いて10分ほどの所だという安心感もあった。それに,日本から来た“OL”だという彼女たちもイギリスに来てほんの数日で実は語学学校も住む場所も決めていないという状態だったから,僕が通っていたホーヴ駅近くの学校や比較的安価なフラットが並ぶ通り等についても興味があるみたいだった。

ブリティッシュグリーンのメトロというマシューの小さな愛車に乗りこんで移動することになった。見た目からは想像出来ない程室内が広く,後部座席の小柄なベンが王様になった様な態度で邦子と直美の隣で満足そうに座していた。ブランズウィックはKing&Queenに劣らず多くの人で賑わっていた。車から降りてすぐに何ともいえない胸の苦しさを覚えて,僕は駐車場側の入り口の数メートル手前で足を止めた。馴染みの客も多いから,僕の姿を見つけると「久しぶりだな」と声をかけてくれる人もいたが,僕は笑顔を向けるのが精一杯で何となく店内に入るのが怖くて仕方なかった。もうそこにはアジャもイーゴもイレイナも円山さんもいない。ブランズウィックは何も変わっていないはずなのに,僕にとっては全く見知らぬ場所になってしまったことをその時初めて思い知らされたのだ。

邦子や直美を口説くのに夢中になっているベンとマシューは,僕のそんな思いなど気にも留める様子がなかった。だから僕がすぐ先にある海辺に酔い覚ましに歩くことを提案すると何の躊躇いもなく快諾してくれた。イギリスの夏は日が長く,そろそろ8時になるというのに昼間のような明るさだった。最初はブランズウィックから逃げるようにして海岸を目指した僕だったが,キングズウェイを渡って海辺の歩道に辿り着いた途端,少し前にブランズウィックで感じた恐怖感に似た感情にまたも支配された。日本では見かけない石浜にはまだ大勢の人たちが散在していて時々はしゃぐ様な叫び声が聞こえてくる。得体の知れない力の様なものに足止めを食らっている僕に流石のベンも訝しさを感じたのか「大丈夫か」と聞いてきた。僕は不機嫌な声で「少し疲れた」とだけ答えた。そのやりとりに少し気が紛れたのかなぜか自然と足が前へ出て,いつしか誰が先頭ということもなくガヤガヤと話しながら海岸沿いを西の方へ進んだ。僕らは勿論英語で談笑していたのだが,邦子や直美がベンたちに日本語を教え始めて,時々僕も意見を挟み込みながら15分程歩いた。ホーブストリートまで来たところでブランズウィックに戻るつもりで北上しているうちに,6月まで通っていた英語学校まで足を延そうという流れになってしまった。僕はいつの間にか,アジャ達との楽しかった1ヶ月を思い起こす様なルートを辿りながら気が付いたときには円山さんが住んでいた家の前で立ち止まっていることに気付いた。最後に見かけた時に掲げられていたFOR RENT”の看板は取り除かれている。すると表で庭仕事をしていた初老の女性が家の様子を見つめていた僕に気づいて声をかけてきたから,僕はフェンス際に走り寄って尋ねた。

「ここを借りられたんですか」
「借りた?」
「ええ,前に“FOR RENT”の看板を見かけたものですから」
「ああ・・・」

僕が開け放たれた窓の奥に円山さんと組み立てていたミニの姿を認めたのに気づいたのか,今度はその女性が尋ねてきた。
「自動車が好きなのかしら?」

突然マシューが近づいてきて話に割って入った。
「キットカーを組み立ててるんですか,すごいですね」
「いいえ,アレはもう処分するところよ」
「ええ! 勿体ない!」

僕が暫く黙ったまま2人のやりとりを見守っていると玄関の方からご主人らしき男性が近づきながら元気よく話しかけてきた。

「前に住んでいた日本人の知り合いかい」
「まぁ,そうなの・・・?」

僕がどう説明しようか迷っていると,ベンがマシューの肩を抱いて言った。
「昔直してたミニよか上等だな」
「結局だめだったからな」
「部品は全部揃ってるんだ・・・」

自分の一言で生じた一瞬の沈黙の中,僕がそのミニに纏わる話を簡単に説明すると,聞き入っていたご主人が何の前置きもなく僕たちを部屋の中へ招待した。

部屋の中にはいくつか見慣れない家財道具があったが,以前とそれほど見栄えは変わってはおらず,カウンターの向こう側にジャッキアップされたミニが所狭しと鎮座しているのが見えた。開いた窓から風が流れて油と鉄のにおいを運んでくる。それを懐かしく味わおうと深呼吸をした途端,なぜか強烈な悲しみが沸き起こってきて,僕はそこにヘタリと座り込んで立てなくなってしまった。驚いた邦子とベンが僕に駆け寄って体を支えてくれたが,僕は涙が止まらなくなってそのまま2人の腕の中で目をつぶって黙ったまま自力ではすぐに立ち上がることはできなかった。痙攣する瞼の向こうで慌てた老夫婦がグラスに水を浪波と注いで直美に渡すのが見えた。マシューは老夫婦に自分たちが数時間前に帰国したことや,旅先での活動のことについて触れながら,きっとその疲れが一気に出ただけなのだと説明していた。マシュー達が老夫婦と紹介し合っているのを見ながら直美に水を飲ませてもらっている内にぼんやりとした視界が徐々にはっきりとしたコントラストを取り戻して,セピア色に映っていた景色が色合いを帯びていった。

それが運命だとするならば,僕は何かに導かれていくように新たなる出会いの中に無理矢理引き戻されて,神という存在が本当にあるのならば,意地悪にも冷たい別れを前提とした優しい出会いという物を僕たちの前に並べて,その様子をほくそ笑みながら眺めているのかもしれない。

ナイト夫妻は元々円山さんが借りていた家のオーナーで,円山さんとの契約が終わった後すぐに入居の募集を考えたものの,円山さんが処分するはずだった組み立て途中のミニが置き去りにされていたこともあって,結局ブライトン中心部にある自宅を売り払って海辺に近いこの家で余生を過ごそうと決心したのだという。幼い頃に機械工の父を亡くしたマシューが高校生の時分に近所から拾ってきたボロボロのミニを直そうと自宅のガレージで悪戦苦闘した経緯に「リベンジを果たさないか」という提案をしたナイトさんは「新しい人生の幕開けに相応しい一大イベントになりそうだ」と良い意味で鼻息を荒くしていた。僕たちに紅茶とスコーンを振る舞ってくれた奥さんもワクワクした様子が隠せず, 「いきなり子供が何人もできたみたい」と嬉しそうに呟いた。すっかり気分が落ち着いた僕はマシューとミニのパーツを一通り確認して,毎週土曜日の午前中にナイト邸で落ち合って円山さんのミニを完成させる段取りをした。

37.King&Queen

2020年08月07日 | 日記
僕は小さめのボストンバッグを右肩に掛けて約束の場所へと急いだ。駅前のトラファルガーストリートを5分ほど西へ,クイーンズロードを左に折れて更に5分ほど行くと右手に貴族の紋章の様な釣り下げ看板が目に入る。扉は開け放してあるから,通りにもバンドの生演奏の音が響き渡っていて,歩道の人も一瞬興味深げに中を覗き込んで確認する。自分も最初にここを訪れた時は同じような感じで,正直に言うと,ホーヴにあるブランズウィックというパブに比べれば居心地はよろしくない。それでもKing&Queenは大盛況の賑わいを見せていた。僕は約束通り彼らは来るのだろうかと半信半疑で身体半分入店させた状態で,まだ7時前だというのにパイントグラスを片手にご機嫌に語り合う人混みの中に2人の姿を探した。響き渡るサキソホンのフレーズに注意を奪われた途端,バンドの右手前のテーブルに陣取っているマシューが左手を高く上げて微笑みかけているのが目に入った。薄暗い店内で,マシューの丸眼鏡が,オレンジ色の照明を反射して白っぽく煌めいている。僕はバッグが誰かとぶつからないように精一杯の努力をしながら彼の方へ真っ直ぐ進んだ。もうひとつブランズウィックと明らかに違う点は,このパブには椅子付きのテーブルが何脚か並べてあって,のんびりとバンドの演奏を楽しむことができる様になっていることだ。僕はマシューの左横に雑に並んでいた椅子に腰掛け握手を交わしてから騒がしい音を嫌うようにマシューの耳元で尋ねた。
「ベンは?」
マシューは呆れた表情で肩をすくめがら,既に1/5程しか残っていない黒ビールを少しだけ口に含んだ。

バンドの女性ボーカルがドラムのハイハットのリズムに会わせて小刻みに身体を揺らしている様子が,スローな曲とギャップがありすぎて気になって眺めていると,突然肩をパンと小気味良く叩かれて身体を捩らせた僕の左側にベンが軽やかに座った。

「ソーヤン,大事な話があるんだ」
ベンはのっけから真剣な表情で切り出した。

「日本語で,“You’re so beautiful”って何て言うんだ」
「あぁ,それは“きみはきれいだ”だよ」
「きみわ・・・きれいだ」
「そうそう」
「OK」

ベンは,まるで戦車に爆弾でも落としに来た戦闘機みたいに,すぐさま立ち上がって通り側の隅の方へいそいそと姿を消した。

「いつもあんな感じ」
「あんな感じって?」
「女だよ。日本人が好きなんだ,アイツはね。特に日本人の女」
「あぁ,なるほど」

そもそも英語を学びに来たんだという思いで,学校で日本人を見つけても関わらない様にしていたこともあったが,僕のニックネームのせいか,どうやら日本人学生は僕の事を同胞とは思わないらしく,僕自身も常にアジャやイーゴたちと連んでいたから,その時まで余り日本人のことなんか気にならなかったけど,折しもその年は“JAPAN FESTIVAL”という催し物が全国的にあって,何だか日本人の存在感が急激に強まっている様な雰囲気もあった。

ぐるりと見回してみても,そこかしこに日本人らしき若者の何と多いことか。ここで「日本人らしき」と僕が言っているのは,これも海外留学すると実感することなのだが,服装や髪型,醸し出す雰囲気で中国人や韓国人と直感で区別できるということであって,それにはそれほど高い正確性が伴わないからだ。

すぐ後のテーブルに座るグループにも日本人が何人かいて,所謂“Japalish”(Janglishとも言うかもしれない)で一生懸命に会話をしている。

「なぁ,ソーヤン。アイツら何語話してるんだ?英語にも聞こえるけど・・・」
真剣な眼差しでその一行を観察するマシューの様子に僕は思わず吹き出した。そんなことには気も留めず,必死で英単語をカタカナで並べる日本人と,眉を顰めながらじっと凝視しているマシューの姿がこの上なく滑稽に見えたので僕は涙が出るほど笑って胸が苦しいほどだった。

「あれは英語だよ。英語」
「そんなばかな。全然わかんないぞ。オレってイギリス人だよな?」

マシューのジョーク,もしかすると真剣な感想だったのかもしれないが,僕は更に笑いが止まらなくなって死にそうなくらい大笑いした。そのうちマシューも愉快になってきたのか,2人で笑っていると,またベンが僕の肩を叩いた。

「“I love you”って何ていうんだ」
「ああ,それは・・・」

僕はアジャたちがイギリスを去って,円山さんが姿を消して以来,こんなに愉快に笑い転げた記憶がなくて,本当に何もかもがどうでもいいくらいに愉快で爽快な気持ちになっていたから,その時思いがけず悪戯心に支配されて,彼が真面目な顔で復唱する姿に笑いを堪えながら言い尽くせないほどの卑猥な日本語を3つ程教えて見送った後,マシューにそれを教えるとマシューも呼吸できないくらいに笑って,2人でベンの様子を観察しようと後を追いかけた。

ベンが向かったテーブルにはおとなしそうな日本人女性が2人座っていて,ベンはその前に立ちはだかると,なぜか人差し指で天井を指して僕が教えた禁止用語を大きな声で唱えたものだから,僕はマシューと一緒に肩を組んで爆笑した。女性たちが呆気にとられてニコリともせずベンを睨み付ける様子に異変を察したベンがゆっくりと僕たちの方を見た時の情けない顔といったら。僕たちは声を枯らして笑い続けた。すると僕たちの周りにいた見知らぬ人達までもが「何があったんだ」と言うほどの騒ぎになってしまい,マシューが気さくに説明するとあちこちで笑いが連鎖して,それに促される様にその日本人女性たちも笑った。僕は何だか煽られたみたいに再び笑いが混み上がってきて,ベンに謝りながら笑い続けると,ポカンと口を開けたまま自分が置かれている状況を把握できないかといった表情でアピールするベンの姿に観衆は笑いをそそられるのだった。

たかだか5分ほどのエピソードだったが,多くの人たちの幸福そうな笑顔と声と熱気に,深手を負った僕の傷心が癒やされていくのを一瞬でも感じることができたのは幸いだった。それに,この出来事のおかげで,ベンとマシューはその日本人女性たちと付き合うことになったし,マシューに至っては翌年に結婚まで漕ぎ着けたのだから,ベンに嘘を教えたことに対する罪悪感などは微塵も感じる必要はなかったんだ。