Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

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巡り逢いの妙巡り逢いの妙⑨  ペットを巡る不思議な体験 第4話

2021年01月28日 | 日記
(3)甦る感覚



 銀行を介して年を跨ぐ間際に話は順調に進み、まりちゃん一家との売買が無事に成立した。リフォームに1ヶ月ほどかかるということだったが、私は入居まで待ちきれず、リフォームの様子を見がてら、年末年始休暇中や週末には春日部から千葉の“城”に通い詰めていた。予定日より2週間ほど早く誕生した長男と女房が暫くの間千葉の実家で過ごすことを決めていたので、私とももたろうはウィークディは春日部のアパートで過ごして週末には実家に顔を出すといった具合に、少々距離はあったが、“自分の城”を持った喜びもあって最初の内は埼玉での仕事を続けるつもりだった。それでもやはり、どんなに工夫しても朝の通勤が4時間以上もかかることが分かって、結局年度の切り替え時期を目処に春日部のアパートを引き払う覚悟を決めた。それは、埼玉でのキャリアや人脈も全てリセットしてしまうことを意味していたが、私にとっての最優先順位が家族だったから、自分の仕事でも「置き土産」が出来る様なラストスパートを果たして、3月の末には家族3人で新居での生活をスタートするまで漕ぎ着けた。

 ほぼ突貫工事の様な新生活のスタートは順調に見えたが、新天地での勤め先は思っていたよりもハードで、サービス残業も週末にも予定外の仕事が入ることも多く、これもまた再検討しなければならない状況に陥って、4月末からの連休を待たずして退職して、もう一度ゼロから就職活動をすることを決心するに至った。
 私は、“職業安定所”、つまり現在の“ハローワーク”に通って失業手当を受け取りながら、じっくり腰を据えてキャリアを再スタートすることにした。僅かながら退職金も出たから、それを少しずつ削りながら細々と生活をしていたが、1ヶ月くらいは良い求人に有り付けずに、新居の隣人からですらリフォーム業者だと勘違いされるほど、朽ち果てた住宅の補修に勤しむ毎日であった。赤ん坊の世話を手伝ったりももたろうとノンビリと散歩する時間も有り余るほどで、少しずつ夏の色を帯びてきた景色を楽しみながら、ももたろうと時間をきにせずにあちこち散策したりもした。

 梅雨入りする前のある夕方、いつもなら自宅のすぐ近くにあるスポーツ公園を抜けて利根川の支流に沿って30分ほど歩くコースを無視して、犬を飼う上ではやはりタブーとなるのだが、つい出来心で愛犬を先頭にして探検することを企てた。ももたろうもいつもと違う私の指図に最初の内は少しだけ戸惑って遠慮するようにこちらの様子を伺っていたが、「いいから行け。ゴーゴーゴー」と追い立てると、ようやく意味を理解したのか、本当はこれほど牽引力があるのかと驚くほどの勢いでリードを引っ張り始めた。

「お前の好きな所へ行っていいぞ」

 ももたろうは「それでは遠慮なく」とでも言っているがごとく、いつものコースとは真逆の方向へグイグイと進んで行った。5分程経って利根川の土手に上がって見下ろすと、葦林の手前で露出した川底が丁度良いくらいに乾燥しているのが目に入ったので、周囲に誰もいないことを確認してからリードを外してやると、ももたろうはブースターでも取り付けたかの様にすっ飛んで駆け下りて行った。
 ももたろうは私を中心に据えて円を描くように3回ほど疾走して一呼吸置いた後、何かに気付いたのか、今度は土手に沿って川上方向に進路を取った。私は人気のない広場と化したひび割れだらけの川底の思いの他堅い土を踏みしめながら、ゆっくりとももたろうの後を追いかけた。中途半端な季節の心地よさを全身で感じて気分がとても晴れやかだったから、最初は特に気にも留めていなかったのだが、先に辿り着いて優雅に座している愛犬に近付くにつれて、かつて妻が内見の時に感じた様な不思議な感覚、既視感の様なものが沸き起こるのを禁じ得なかった。
 土手に敷かれた比較的新しいコンクリート仕立ての階段の一番下で“お座り”をして私を待っているももたろうが見つめる先では、県を跨ぐように架けられた大橋の上を多くの自動車が往き来している。ようやく、愛犬の傍らに辿り着いた私は、ももたろうが座っている階段のすぐ脇に2つ積まれた拳大の石ころを見つけて確信するに至った。

 ももたろうを拾ったあの日から遡ること1年近く前、私は妻の実家で結婚の打ち合わせをして埼玉のアパートに戻る道すがら、もう夜11時を回っていて車通りもほぼなくなっていた峠道を軽やかに下っていた。スピードはそれ程出てはいなかったが、山道を間もなく下り切って平坦な通りに差し掛かろうとしていた緩やかなカーブで、左側のフェンダーの向こうから飛びだして来る、ライトを反射していたせいか一瞬そう見えたのだが、真っ白な雲の様な塊を避けながらブレーキを思い切り踏んだ。
 しかし、左後輪にコツンと何かが当たった。あの時の嫌な感覚は今でも私の身体に染みついて抜けていない。
 近くに民家も見当たらず街灯も配されていない様な真っ暗な山道で、私は一抹の不安に支配されて数秒間じっとしていたが、グローブボックスから懐中電灯を取り出して100m程歩いて戻りながら、自分が避けきれなかった白い雲の正体を探しに向かった。
 当時はまだLEDの白い光ではなかったから、黄色がかったボンヤリとした光に照らし出された、まるで眠るように静かに横たわっている猫を認めて、私は一瞬足が竦む様な衝撃を受けた。猫が息絶えている事を確認して、まだ温かい骸の身体を撫でながら「ごめんね」と両手を合わせてから、私はトランクの整理用に使っていたプラスチック製の箱の中に全く外傷のない、不謹慎な言い方だが、「綺麗な」今にも起き上がりそうな白い猫をその中にそっと寝かせて、先ずは事故を起こした旨を警察に伝えようとPHSで連絡を試みたが電波が届いていないことに気付いた。私は仕方なく、何となく警察署があった様な記憶がある通りに向けて愛車を走らせた。
 その場所から5分ほどの所に案の定交番があって、車を停めるとエンジンも切らずに私は箱を両手で抱えた状態で真っ直ぐ入り口に向かった。中には3人ほどの警察官がヘルメットを着用したまま何かを相談していたが、時間も大分遅かったから、私の只ならぬ様子に少しだけたじろぎながら声を掛けてきた。

巡り逢いの妙巡り逢いの妙⑧  ペットを巡る不思議な体験 第3話

2021年01月27日 | 日記
(2)「いつか来た道」


 私達夫婦には長らく子供が授からなかった。ももたろうが嫡男の位置に鎮座していて、体重は優に20kgを超えるほど大きく育ったが、前述したように余り犬らしくない、つまり無駄吠えもせず走り回りもせず、手前味噌だが、本当に「良く出来た子」で、帰省する時も旅行するときも3「人」家族で常に一緒だった。しかし、結婚して3年を過ぎる頃から帰省する度に田舎の両親から「今度は毛の生えていないのをな・・・」などと冗談を言われたりして、女房が今度は子供ができないことを気にし始めたので、職場の先輩から勧められた三郷のクリニックに夫婦で通うことにした。
 医師というのは何時の時代もそうなのかもしれないが、命の取り扱いに慣れてしまっていて、何度か人工授精を試みて成功しなくても「残念、また次回」くらいの言い方しかしてくれなかったから、私達の心情を逆撫でした上に焦りを逆に煽った。まぁ、それも贔屓目に考えれば私達を励まそうとしていただけなのだろうが、女房の悲観的な気持ちが収まらず、そのクリニックのウェブサイトの問い合わせ欄で相談したところ、その直後の診察では米国から一時帰国していた院長先生が施術を担当してくれることになり、それが功を奏することになった。
 受精成功後4ヶ月ほどして、妊娠の報告を兼ねて里帰りした際、女房が妙なことを言い出した。私には全く身に覚えがなかったのだが、以前妻と「子育ては女房の実家近くで」という相談をしたと言うのだ。当時、私は埼玉県春日部市在住で、杉戸町にある事業所に勤め始めて11年を迎えようとしていた。職場の先輩が千葉県成田市にマイホームを建てて通っているという事もあり、何度か夫婦で食事に招かれたりしていたから、私が忘れているだけかもしれないと、素直に実家近くの物件を探すことにした。しかし、いざ探し始めると中々良い条件の物件は少なくて、内見を繰り返しては結局決断には至らず師走を迎えてしまった。
 2月に出産予定だった女房のお腹は大分大きくなって、「身重」という表現が正にピッタリといった様相を呈してきた。出産準備の為、実家近くの産婦人科を紹介してもらい、年末には女房だけ郷帰りをすることになっていたから、私達は少し悲観的になり始めていた。親族から紹介されたエージェントも回り尽くして、夫婦で途方に暮れていた12月中旬、偶々私の名字と同じ名を掲げた不動産業者の看板を見かけて、冷やかし程度に寄ってみようということになり、珍しい名字だと初対面の社員達と盛り上がりながら「賃貸よりは中古物件を購入した方が良い」とアドバイスされて、更に「先月、丁度良いのが入ったところなんですよ」と、もぅ退勤時間にも関わらず内見に行こうという話がまとまった。
 場所も利根川に平行して通っている国道に近く、埼玉の職場に通うにしても、分かり易い場所に立地しているという。トントン拍子に進む話に一抹の不安を抱きながら、私達は業者の運転するセダンの後を追いかけた。
 物件に辿り着いた時、一緒に来ていたももたろうがピンと耳を立てた。ももたろうの「犬らしくない」部分の1つが、自動車での移動が余り好きではないというのがあって大抵は車内でぐったりとしているのだが、その時は何かに引き寄せられる様にそそくさと車から降りて、玄関の前で「早く開けろ」と言う様に座り込んだ。

「どうした、珍しいな」

 当時は夫婦でももたろうを連れている時は、リードを付けていなかったのだが、私達の言うことには本当に100%逆らうことのない「良い子」だったから、業者の少し戸惑うような様子を余所に、そこに“待て”をさせておいて、女房と2人で内見に向かった。

「いい子ですねぇ」

 不動産屋の遠藤さんが感心するくらい、ももたろう姿勢も正しく座って私達のことを待っていた。ももたろうを褒められて少し上機嫌になっていた私は、玄関からリビングに入ってすぐに、女房が少し怪訝な表情をしているのに気付いた。建物は築40年近く経っていて古く、床も少し軋んでいたし、きっと綺麗にリフォームされた賃貸住宅を想像していた妻が、少し失望しているのだろうと思って、気にも留めなかったが、内見が終わって事務所への帰路に就いた時に女房がポツリと漏らした。

「あそこ、何だか行ったことがある様な・・・」

 私は後部座席で眠っているももたろうを“バックミラー”で一瞥して、「デジャヴじゃないの?」とだけ答えたが、果たしてそれは本当のことだった。

 事務所に到着して、物件の詳細を説明されていた時に、女房が腑に落ちたように「ああ、だから!」と叫んだかと思うと、書類に記載されている名前を確認して「私と同じくらいの子供がいらっしゃいませんか」と尋ねた。その物件が知人から依頼されたものだと説明しながら「まりちゃんかなぁ」と遠藤さんが呟くと、今度は更に勢いを増した調子で「やっぱり!」と言った女房の顔は晴れやかであった。

 実は、その物件は、私達の結婚式にも出席していた女房の親友宅で、その友人の父親が隠居するのに広島の実家に一家で転居するに当たって売りに出したものだった。親友とはいえ、連絡を受けていなかった女房がその“まりちゃん”に連絡して確認をすることができた。
 とかく中古物件は、以前に住まっていた家族がどの様な生活をしていたのか気になるものである。その家族というのが幼い頃から知っている友人一家だと知って、女房が一気に乗り気になった。そんな巡り合わせも不思議なものだったが、そこに住み始めてから少しして、もっと不思議なことに気付くことになるのだ。

巡り逢いの妙巡り逢いの妙⑦  ペットを巡る不思議な体験 第2話

2021年01月27日 | 日記
(1)「醜い“モグラ”の子」


 ももたろうは不思議な犬だった。その登場も、それから去った後も・・・。

 1999年4月3日に、私達夫婦は結婚式を挙げた。その後すぐに仕事を辞めて私が住む埼玉のアパートに越してきた我が愛妻は、たった独りぼっちで知らぬ土地に突如放り込まれ数日もしない内に引きこもり状態に陥ってしまった。仕事が忙しくて、5月の連休中に予定していた那須への新婚旅行が気晴らしになるだろうと想う様にして、私はそんな妻のことを気に掛けてやれずに4月末を迎えようとしていた。
 連休直前の4月28日、職場の若い女の子たちが私のデスクに押し寄せて何やら騒ぎ始めた。話を聞いてやると、私の車の下にもぐらの様な動物が死んでいるので片付けて欲しいという。私は「モグラくらい放っておけばいいのに、君たちは天使みたいに優しいんだね」などと嫌味を言いながら、心配そうな彼女らを宥めるくらいの軽い気持ちで仕方なく駐車場へ同行した。
 まだ二十歳前の麗しき乙女達が気味悪そうに見つめる中、私は自分の車に傷が付かない様に細心の注意を払いながら箒を車体の下に差し込んで、その“もぐら”を手前に掃き出そうと試みた。週末の旅行に備えて前の晩にワックス掛けをしてあったから愛車のGX81マークⅡのドアパネルはテロテロに輝いていて、満足気な私のニヤケ顔を映し出していた。“もぐら”はやはり死んでいるのか、いとも簡単にゴロゴロと地面を転がりながら姿を露わにした。

「あれ、これ、モグラじゃないね・・・」
「え?・・・何これ!!」

 真っ黒な“子犬”はグッタリとしていたが、死んではいなかった。その目はうつろで、今にも息絶えそうだったが、身体は温かく、何とか生きようと必死で呼吸をしていた。

「この犬、どうするの、君たち?」

 私が「天使」と喩えたはずの乙女達は、自分には関係ないといった調子で何の躊躇いもなく子犬を押し付けて走り去った。この時ほど女が無責任で卑怯に思えた瞬間はない。彼女らは、まるでその子犬を引き取って育てる事が私の義務であるかの様な捨て台詞を投げ付けた。

「・・・宜しくお願いしますね!!」

 呆然と立ち尽くして暫く考え込んでいると、すぐ傍を偶然社長が通り掛かり、恐れ多くも直接私に声を掛けて下さった。100人ほどの社員しかおらず小さな事業所だったし、元々気さくな社長ではあったが、擦れ違う時などにも敬礼しつつ道を譲らねばならぬ程の緊張を伴うのは何処も同様だろう。私のような末端の小間使いなど滅多に声など掛けてもらえる筈もないのだ。

「犬かい?拾ったの?」
「はい・・・女の子らがモグラだと」
「モグラ?モグラか。そりゃぁいいっ!!」

 社長は愉快そうに声高に笑って、私が社屋に犬を持ち込むことを許してくれたばかりではなく、「キチンと世話をしてやりなさい」と必要な物を買い出しに出掛ける許可・・・というより命令を下された。こうなると“社命”となるのだから、私は部署で慌ただしく事情を説明し、本来の業務を放置して犬の救命に奔走することになった。
 取敢えず近所のコンビニに“出張”して、牛乳と缶詰のドッグフードを2つ3つ見繕って、段ボール箱で拵えた“小屋”でグッタリとしている子犬の近くに置いてやった。犬はうつろな瞳のまま暫くは微動だにしなかったが、一瞬鼻をヒクヒクとさせて耳をピンと張ったかと思うと、スクっと脚を突っ張らせて全身を小刻みに震わせながら牛乳を飲み始めた。一頻り牛乳を飲み干すと、今度は脇に並べた皿に盛っておいた半生のドッグフードに勢い良く食らいついた。
 本来なら、この様な事が犬を育てる上では「禁じ手」であるのを今なら理解しているが、この時の私は犬を飼う知識が皆無であったのだから、犬の食いっ振りとみるみると元気になる様子に達成感すら感じていた。
 その日、私は犬を“小屋”に閉じ込めたまま仕事を続け、退勤時間になる頃には自分の手で育てる決心をすっかり固めていた。犬もそのことを望んでいたのか、唸りもせず吠えもせずに大人しくしていて、その粗末な“小屋”から全く逃げ出そうとする様子がなかった。家に連れ帰ってからも、新しい家族の参上に声を上げて大喜びする妻を余所に、まるで「抜き足差し足忍び足」といった警戒振りで騒いだり走り回ったりもせず、まるで必死で自分の気配を消している風に振る舞う犬の様子に少し戸惑った。まぁ、大人しいのはアパート住まいの私達にとっては大助かりだったが、「変わった犬」と言うよりは犬らしさを全く感じさせない「借りてきた猫」の様な余所余所しさを醸し出していて違和感の様なものさえ抱いた。
 予定していた旅行中も預かってくれるペットショップが難なく見つかり、旅先では偶然ドイツ警察犬のショーを見られて、そのトレーナーとも少し話ができるなど、犬を取り巻くあらゆる事が自然に流れた。獣医に診て貰った際、年齢が大体2ヶ月ということで、分かり易く3月3日生まれとして、桃の節句に因んで“ももたろう”と名付ける事にした。ももたろうは、飼い始めてからも時々「犬らしくない素振り」を見せることがあったが、それも“個性”なのだろうと気にせずに、2011年6月26日の午前2時に息を引き取るまでの12年間共に過ごすことになった。ももたろうが死んだ日、その違和感の答えの様なものが明らかになったのだが、その予兆はそれよりも大分前の2004年3月末に唐突に訪れた。そのことについてはまたの機会に・・・。
 とまれ、ももたろうのお陰で妻も前向きになったのだし、社長とも事ある毎に“モグラ”の話題で気兼ねなく話ができるまでになって、在職中は何かと目を掛けて貰いながら、更にその流れで私の転職にもプラスに繋がったのだから、ある意味、ももたろうは私達家族に幸運をもたらした奇跡の犬とも言える。

巡り逢いの妙巡り逢いの妙⑥ 自動車を買い換えるタイミング 後編

2021年01月18日 | 日記
 ご機嫌な彼らはバイクのエンジンを激しく吹かして騒音を立てながら「だったら俺たちに付いてくればいいよ」と親切にも私の車を先導するような体制を取り始めたのだ。改造されたオートバイの排気音は殊の外耳障りな上、暴走族御用達のラッパのようなホーンも鳴り響き、隊列を組んで先導する彼らの後を走る私の車は、端から見たらまるで族の一味か、もしかしたらグループの元締めの様に思われたに違いない。その時は「今警察がきたら大変だ」とか、あるいは早く警察が来てくれないものかと思いながらハラハラとして過ごした。5分くらい深夜の街中では大迷惑であろう騒音を撒き散らしながら一緒に走って、国道まで来るとおよそ15台ほどのバイクは快音を上げて去って行った。

 私は真の意味で解放され4時近くなって帰宅することができた。心身共に疲弊しきった私はフラフラと部屋に入って着の身着のまま眠ってしまった。

 災難はそれだけではなかった。神様の悪戯は翌日にも私を苦しめることになるのである。

 翌日は午後1時に私が任されている鹿島教室への出勤だったから11時近くまで眠って前日の悪夢の様な時間の事などは冗談交じりに両親に話して楽しませ、正午過ぎにゆっくりと自宅を出た。
 愛車のGX71の右サイドには例の2人が蹴飛ばした時についたと思われる大きな凹みが3カ所ほどあったが、まさか修理代を請求する勇気も持てず、車両保険にも入っていたからいずれ保険会社に相談することにして、先ずは命拾いしたことを自分1人で祝おうとコンビニエンスストアに缶コーヒーを買いに寄った時、目の前の光景にまた厭な予感が走った。
 駐車スペースにバックで入れようと切り返した時、コンビニの左奥の方にバイクがたくさん並んでいて、駐車場にしゃがみ込んだ柄の悪い連中の姿が目に入ってギョっとした。
 そのまま出庫して逃げても良かったのだが、子供の頃見た「Mad Max」という映画の中で関わりのない車が逃げたのを追いかける暴走族のシーンがあったから、ここは逆に知らぬ振りをして買い物を済ませて自然に立ち去ろうと判断したのだが・・・、ソレが誤りだと気付くのは降車してすぐのことだった。
 私がドアをロックしていると、しゃがんでダベっていた連中が急に立ち上がって私の方へ集まってきた。そして、「嗚呼、しまった」と思うが早いか、彼らが「先生!」と呼びかけてくる。
 昨夜は暗闇で彼らの顔はよく見えなかったが、彼らは自分たちが取り押さえた銀色のGX71と背広姿の私の事をすぐに認識できたのだろう。夏の日差しの下で見る彼らは、どう見ても「暴走族」といった風体だったし、中にはTシャツの袖下にタトゥが見え隠れしている者や、眉毛がない坊主頭の者がいたりして、その迫力といったら筆舌に余りある程だった。しかし、私のことを「先生」と慕ってくる眼差しには凶暴さは皆無で、従順な温かい気持ちに溢れているのが感じられた。

 「先生、これから仕事かい?」
 「ああ、コーヒーでも買っていこうかと思ってね。みんなもどう?」
 「いいよ、先生。俺たち帰るところだから」

 そんな風に談笑しながら数人が私と一緒に入店してレジまで付いてきた。彼らのリラックスした様子に、先程までの緊張も解けたが、レジで缶コーヒーを出して支払おうとした時の店員の声と手が震えているのを見て、別の意味の緊張が私を支配した。

 「昨夜と同じだな」

 きっと私は、周囲の人達からは暴走族の元締めか、彼らを“飼っている”地元の暴力団の構成員に見えたのかもしれない。いや、やはり他県ナンバーだし、もしかすると何かのトラブルの予兆かと思っているかもしれない。私は弁解したい気持ちで一杯だったが、やはりその場はやり過ごして、彼らに親しげに別れを告げた後クラクションで挨拶して立ち去った。

 私は免許を取得して以来大切にしていた愛車の修理を断念して、その週末には中古車屋に急いだ。水戸ナンバーの取得ということを名目に、ベージュのGX81クレスタに買い替えたのである。以来、彼らとは遭遇していない。

2020年DVD鑑賞レビュー♪

2021年01月05日 | 日記
昨年は結構見てますな・・・といぅより運転中に音声で楽しむくらいですが。全てではありませんが、次男君のメモを頼りに書き出したのはコチラ

自分でもストーリーを書きたいんですが、ここのところでは「64(ロクロン)」と「追憶」の展開に感銘を受けたところです。

ボキャブラリーはどうにもならないですが、いつの日かこんなストーリーを書いて、次男に映画化して欲しいw

努力します!