Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

36.告白

2020年08月02日 | 日記
教会に到着したのは午後6時前だった。前席越しのフロントガラスの向こうにニコラス牧師とカリンが出迎えているのが見えた。彼らが待ち構える歩道近くに車が静かに寄せられると,ドーバーから無言で運転してきた牧師が穏やかな声で「到着しました」と言いながらドアロックを外してくれた。僕が礼を述べながらドアを開けて降りようとした時,僅かに車が下がってサイドブレーキのギーという音が聞こえた。

ニコラス牧師は真っすぐにコチラを見据えて小さく会釈をした。僕はドアを閉めて彼の前に立ったが何を言うべきか思いつかず,ただ「ハロー」とだけ言って顔を覗き込んだ。

「手帳をお預かりします」
ニコラス牧師からそう言われて,荷物から雨や土を含んでブアブアにふやけたノートを慌てて取り出したが,僕は一瞬それを渡すのを躊躇した。そのノートは元々アジャに手紙を書くために自分で用意したものだったし,1ページ目には彼女とイーゴのことが記してあった。それに,数日間でも亡くなった人たちに寄り添った証として自分の身体の一部の様な気さえしていた。手元を見つめている僕の気持ちを察する様に,ニコラス牧師が両手で手帳を優しく掴んで,僕が手を離すのを待ってくれていた。僕は数秒ほどして大きく息を吐きながら指先の力を抜いた。ニコラス牧師は手帳を大切そうに自分の額の上で拝みながら祈りの言葉を呟いた後,すぐ後ろにいたカリンに渡した。ノートを受け取ったカリンが一瞬はっとした様にこちらに目をやったので僕は頷く仕草をした。きっとカリンも,そのノートが手紙用だったということに気付いたに違いない。

「これが代わりです。今回はお渡ししていなかったので」と言いながら,ニコラス牧師がポケットから新品の手帳を取り出した。彼も僕がW.W.になることまでは想定していなかったのだろう。

「お疲れでしょう,お送りさせましょうか」
長身のニコラス牧師は僕を優しく見下ろしながらゆっくりと話された。

「・・・いえ・・・」
僕がまたカリンに目をやると,ニコラス牧師が「カリンも間もなく帰ります」と付け加えた。僕が「では待ちます」と応えると,自らも降りて僕たちの様子を見守っていた運転手が「失礼します」と唱えた。僕が振り向いて「ありがとう」と言うのを合図に,彼は晴れ晴れとした笑顔で車に乗り込んですぐさまに走り去った。

ニコラス牧師は車を見送りながら会釈をしてから,僕の方へ向き直って微笑みかけた。
「あなたは思いがけず,私達の家族になりました」

その時僕は牧師の言葉の意味がよく分からなったが,何も言い返さずニコラス牧師の背中を見送った。カリンは悲しそうな瞳でちらりと僕の方を見てから無言のまま彼に続いて建物の中へ進んだ。

教会の屋根に据えられた十字架のオーナメントが青空を背にして,まるで帰りを待ち受けていたと言わんが如く,まだ高い日の光を僕の方へ反射していた。僕は暫くその眩しさに目を細めながら見上げていたが,ふと視野に入った道端のベンチに歩み寄って深く腰掛けた。貰ったとて使い道など思いつかない新しい手帳を右手に持ったまま,今度は肘を自分の膝に着けた前かがみの姿勢でカリンを待つことにした。記憶を整理しなければと思いつつも何から手を付ければいいか思案している内に,勢いよく右側に座ったカリンが僕を力強く抱きしめた。

「おかえりなさい」

そう言うと,カリンはすぐに両手で顔を覆ってすすり泣き始めた。どうしていいか分からなくて何度か彼女の名前を呼んだけど,僕の胸元でカリンは首を小刻みに横に振りながらただ泣くばかりだったから,今度は僕が彼女の肩を抱いてあげた。

「あなたがいないと駄目・・・」

そう囁いてからカリンは少しずつ落ち着きを取り戻して話し始めた。それでも時々苦し気に嗚咽しながら,アジャたちがずっとこの教会に通っていたことや,ニコラス牧師が本当はアジャたちの事を気にかけて僕のことを派遣したことを告白してくれた。

「ごめんなさい。でもこんなことになるなんて・・・」

イギリスからの派遣は元々後方の物資運搬の仕事が目的だったのだが,危険な地域に展開していたフランスの派遣グループに僕とゲイリーを加えたことも教えてくれた。それは僕をアジャに会わせる為に全てカリンが教会に頼んだことだったこともわかった。

「アジャは・・・アジャは私にとっても大切な友達よ。ゲイリーも・・・」

ゲイリーはカリンが勤める教会の信者家族の長男で,僕が帰国する迄には既に遺体不在のまま教会でひっそりと葬儀が執り行われた。ゲイリーの死の連絡を両親と妹が不思議な程冷静に受け入れ,母親が葬儀の挨拶の中で「神の御心に添えたから本望だ」と言った時,カリンはショックの余り足がすくんだという。

「私はあんなに強くなれない・・・」

カリンは左腕の傷跡を右手の人差し指と中指でなぞりながらまた泣き始めた。それから彼女が高校を卒業してすぐに幼馴染と結婚していたことや,夫が自分の父親の運転する自動車に同乗している時に事故で亡くなったことを話した。その時の怪我で父親が車椅子の生活になっていることも。

「父のことを憎んだって無駄だって分かってた。それでも恨むしかなかった」

罪悪感を払拭できない様子の父親を不憫だと思いながら,逆にその気持ちに甘んじて冷たく当たった挙句,当てつけに自殺を図ったいきさつも説明した。

「アジャの訃報は昨日知ったわ。だから・・・」

カリンは僕の腕を解いて,姿勢を正してから僕のことを少しの間力強く見つめてから静かに落ち着いて話し続けた。

「ソーヤンの気持ちが苦しいくらいわかる・・・」

僕はカリンの左手を優しく掴んで手首の傷を撫でながら「ありがとう」とだけ応えた。彼女に出会った頃からその傷には気付いていたけれど,まさかそんな悲しい物語が秘められているとは想像してなかったし,今回の派遣の一連の流れにも多少は驚いたものの,その時の僕には何もかもが普通に受け入れられる程の不気味なゆとりがあった。

カリンははっとした様に左腕を隠しながら恥ずかしそうに顔を背けた。

「ごめんなさい。こんな時に・・・」

僕は急に話題を変えなければと感じて,ベン達と会う約束がある事を伝えながら立ち上がった。カリンは座ったまま優しく「いってらっしゃい」と微笑んだ。僕を見上げるその表情は太陽の光に照らし出され,さっきまで泣いていたとは思えないくらい晴れやかに輝いていた。僕はカリンの笑顔を確認するために数歩だけ後歩きをして,そのままパブの方へ元気よく向かった。