Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

33.天国への入り口

2020年06月28日 | 日記
僕は夢を見なくなっていた。あの頃は現実が過酷になっていたせいか,唐突に睡魔に襲われ気づくと,ワープした様に目の前の景色が変化している,といった感じで,自分でもいつ眠って目覚めたのか区別がつかない様な毎日を送っていた。どのくらい時が流れたのか,ついさっき自分が何をしていたのかもあやふやな,言ってみれば現実そのものが夢の中の出来事の如く存在していた。

ある夕暮れ時,イーゴと一緒に埋葬した写真の中で楽しそうに微笑むアジャとイーゴを思い浮かべながら,僕はホスピタルの2階から向こう側を流れる河を眺めていた。こちら側は河に沿う様にして大きな通りが見えたが,向こう側には靄が立ち込めていて,薄っすらと森のシルエットが確認できた。あの川を渡れば,アジャの命を奪った敵の拠点に辿り着くはずだが,当然の如く橋は破壊されていたし,かつては県境に過ぎなかった河のこちら側にも敵側の民兵が数えきれないほど潜り込んでいて,ホスピタルに運ばれるけが人や遺体の数は減ることがなかった。それでも,僕が滞在してた7月下旬というのは,その町が敵の猛攻撃を受ける1か月も前のことだったのだ。

「ウィンプ,今日は終わりか」

リアノが僕の背後から声をかけた。僕は返事もせず開けていた窓をパタンと閉めた。その日は朝から4人の埋葬に立ち会ったが,その中の1人は右足を無くした年端も行かぬ女の子だった。半狂乱の母親の前で横になり血の気が引いた真っ白な顔をした少女はリナという名前だった。

「支度をしておけ,今夜出発だ。20:00,エントランスに来い」

リアノが階下へ進む足音に重なる様に女の子が息絶えた時の母親の苦しそうな嗚咽の残音が微かに耳の中で響いていた。

自分が寝ているのか起きてるのか分からないくらいに体中の感覚がぼんやりとしていた。水は飲み過ぎるくらい喉は乾いたが,食事はもう何日も喉を通ってなかった。最初の頃は3日に1回程度の缶詰の支給が少ないと不満をもっていたのに,時間の感覚を失うにつれて1日に3回食事をするという当たり前だった事が飽くまでただの習慣に過ぎないのだと証明するに至った。

支度とは言っても荷物なんか特に持ち合わせていなかったから,僕は同じ場所で暫くぼーっと過ごしてから,待ち合わせの時間より少しだけ早くエントランスに向かった。車寄せには古臭いデザインの車高の異様に高いトラックがエンジンをかけたまま止まっていて,僕は何の迷いもなくその荷台によじ登った。荷台には遺体を運んだあとの血痕や治療の時に脱がせたと思われるシャツや靴などが散乱していた。僕は運転席側にしゃがみ込んで膝を抱え込んでうずくまった。間もなくしてリアノも勢いよく乗り込んできて,僕のすぐ隣に腰を下ろした。そのままトラックが重たそうな音を上げながら走り出した。見送りに来たジェイやラファエルが荷台の向こうで心配そうに眺めているのがわかった。北上して戻るのだろうと思っていたが,トラックは河を左手にして南に向かうのに気付いた。それでも,もう僕は何も気にならなくなっていたから,写真と引き換えに受け取ったアジャのお守りを取り出して眺めた。ジェイから事情を聞いたのだろう,リアノが「お前にも引き金を引く理由ができたのか」とふざける様に言ったが,僕は黙ったままお守りを胸のポケットにしまった。不可解なことにリアノは言葉を発しない僕との同行をまるで心地良いと感じている様な素振りだった。

「もう8月か・・・」
リアノはそう呟くとヘルメットを深く被ってライフルにしがみ付く様にして眠り始めた。日本ではあり得ないほどの日の高さだったが,1時間もすると辺りは暗がりに包まれていった。後で知らされた事だが,実はその時僕たちは国境をもう一つ南側に越えて別の支配勢力の胸元に入り込んでいた。その地域も“連邦政府”から攻撃を受けていてアジャたちと同じ民族も多く住んでいる場所だったから,手引を受けながら容易に侵入することができていた。

イギリスを出発したのが7月13日の土曜日だったから,その日が8月1日だとすると既に2週間以上が過ぎたことになる。そんなことを思って顔を上げると,トラックはいつの間にか森の中を走っていて,生い茂る木々の向こう側に薄紫色の夜空と満天の星が見えた。ふと僕はまるで天国への入り口を見つけた様な変な気持ちになっていた。そのくらい死が身近にあったし,死に対する恐れすら感じなくなっていた。

32.出会い

2020年06月21日 | 日記


「やぁ,お帰り,ソーヤン」
ナイトさんが火を焚く手を止めて穏やかに話しかけると,奥さんもこちらに微笑みかけた。
「ナイトさん,本当にありがとうございます」
「自動車のことかい」
「ソーヤン,電話しようと思ってたのよ。その顔はどうしたの」
僕が眉の傷を触ると,老夫婦は少しだけ間を置いてから続けた。
「まぁ,先ずはきちんと着替えてカリンと一緒に来なさい」
「そんな恰好じゃまだ寒いでしょう,しょうがないわね」

僕は嬉しさの余り興奮していたから2人の戸惑った様子の意味がすぐには分からなったが,自分がズボンも靴下も履かずにコート1枚だけの奇妙な服装であることに気付いて慌てた。ベンとマシューが大笑いして,少し遅れてナイト夫妻もクスクスと笑った。
気温が低く,皆白い息を吐いていて,その様子が逆に僕の心を温めてくれる。皆生きているんだ。

「すみません,ナイトさん」
「まぁ,無事で何よりだ。パーティは5時からだからね」
「折角仕上がった自動車だから大切に乗るのよ,マシューにも感謝して」
「今夜は君が主賓だ,何も気にせず手ぶらでおいで」
「は,はい」

僕は後ずさりして何度か足をもつらせながら車に戻った。そして,笑いながら温かく見送ってくれるベンとマシューの姿が少しずつ小さくなっていくのをミラーで確認しながら,僕は走ってきた道を今度は十分に落ち着いてゆっくりと戻って行った。もうギアとクラッチの動作が自分に馴染んでいくのを感じる。ボンネットをつや消しのブラックに塗られた小洒落たローバーミニはキングズウェイを東に,右側のガラスにブライトンの穏やかな海を映しながら走った。

人の出会いや繋がりは実に不思議なものだ。円山さんが借りていた家のオーナーだったナイト夫妻に初めて会って事情を説明したのは1回目のミッションから戻った当日のことだった。アジャとイーゴとの別れと引き換えに,神様が・・・もし神様という存在が本当にあるならば,「生きよ」と言わんばかりのいくつもの出会いを,失われた絆とほぼ同じくらいのスピードで僕に与え給うたのかもしれない。

かくして,人生を旅に例えるならば,出会いとは行く先々に広がる様々な景色なのであろうか。長く留まりたい場所であっても,いずれ出発の汽笛が鳴れば否応にも後にしなければならない事もあろう。懐かしくて戻りし素敵な場所であっても,いざ辿り着いてみたら以前ほどの魅力を備えていないこともある。正に「一期一会」とはこのことで,僕たちの人生はこの出会いと別れの連続なのかもしれない。永遠を約束された出会いなどこの世にはない。この世に生まれ出でて,ひたすら死に向かって歩み続けるしかない僕たちの出会いには絶対に避けて通れない別れが常に影を潜めている。それは決して出会いの意味を否定するものでもない。別れを意識することであらゆる出会いを充実させることができるのだし,もしかすると,そうすることで僕たちは優しくなれるのかもしれない。ならば死を前提にした生こそは僕たちの人生の本来のあるべき姿なのだ。後悔しない生き方とはそこにあるに違いないが,しかしながらそう実践するのも容易なことではないというのもまた事実だ。

「Separation starts at the first meeting.」
誰のものだか忘れたが,とても印象的で記憶していた詩を僕は口ずさんだ。

ベン達と派遣先で再会したのは,スイスで訓練を受けて各地に向かってから2週間ほど経った頃で,あの時僕には時間の感覚が既に失われていたが,以来数日の内に彼らとは切っても切れない絆で結ばれた様な深い仲になった。車窓を通して視界を流れて行く平和な街並みを心地よく感じていた僕は,キングズウェイからキングスロードに差し掛かる頃,突然神秘的な経験が脳裏に甦ってはっとした。

「そういえば・・・」

日曜市が中止になってからの数日の事は今でも朧気にしか覚えていない。アジャとイーゴの死を振り払おうとしていたのか,僕はホスピタルでのW.W.としての任務を拠り所にして「遺言」を記録することに邁進していた。たった数日の内に20,30と記録が増えていくのを数えながら,もしかすると僕の精神状態は崩壊に向かっていたのかもしれない。それを察してか,リアノが僕だけを車に乗せてホスピタルを後にした。別れ際,ジェイが思いの他残念そうに僕を見送ってくれたのだけははっきりと記憶している。彼に求められてイギリスの住所を彼に渡したことは後から教えられた。あの夏の出来事はあらゆることがぼんやりとしていて殆ど覚えていないが,1つだけ,未だに説明できない不思議な出会いをしたことは確かだった。あの幼い兄妹は実在したのだろうか・・・それすら疑わしいと思う矛盾した感覚の中で,その兄妹の笑顔が今も忘れられない。

31.クリーム色のミニ

2020年06月14日 | 日記
ジリリリリという古臭いベルの音で僕は現実に無理矢理呼び戻された。
カリンが眠たそうにゆっくりと身体を捩らせながら可愛らしい欠伸をひとつする。僕は寒さで鳥肌の立つ両腕を摩って温めながら玄関に向かった。

「・・・だれ?」

カリンが僕の方に腫れぼったい目をうっすらと開けて尋ねたので,僕はただ微笑んでからインターフォンのスイッチを入れた。

「無事に戻ったんだってな」

ベネディクトの陽気な声がスピーカーの音を割る程の勢いで部屋に轟いたもんだから,カリンも僕も思わず吹き出した。もう午後2時を過ぎていたけど吐息が小刻みに白く部屋に舞うほど気温は低かった。

「すぐ行くよ」

僕はそう答えてからガスストーブのハンドルを2回ほど回して点火するのを確認すると,玄関にかけてあったお気に入りのダッフルコートを羽織って一旦振り返った。

「ちょっと行ってくるから、カリンはまだ寝てて」
「ありがとう,ソーヤン・・・」

僕が内ドアを開けて出ようとした瞬間,布団に包まったカリンが今までに聞いたことがない艶っぽい調子で「愛してるわ」と囁いたから,少し照れ気味に「僕もだよ。君以上にね」と返してから穏やかな気持ちで廊下を進んだ。

外ドアを開けた瞬間,両手を広げたベンが身体をのけ反らせながら真ん丸の目を見開いて大きな声で叫んだ。

「よぉ!ソイビーンズ!」
「元気そうだね!ベンド・ディック!」
「こぉの野郎っ!!」

僕らはどちらからというわけでなくガッチリと抱き合って笑った。ベンの肩越しに見上げると外階段の上でフェンスに寄りかかったマシューが軽く敬礼をしたから,僕もベンの身体を軽く押し退けてから心を込めて右手を額に当てて挨拶した。するとマシューの横で様子を伺っていたハミルトン爺やとその相棒が気を付けをして軍隊式に叫んだ。

「無事のご帰還をお祝い申し上げる‼」

いきなり僕たちの大きな笑い声が通りに響き渡ると,真っ白な吐息が雲の様に青空に向かって散っていった。

「何だか色男になったな」
少し悲し気な色を伺わせながらベンが僕の左の眉の傷をじっと見つめた。僕が跳弾を受けてまだ少し腫れあがった左の肘を摩りながら「危うく片腕になるとこだった」と言うと,ベンが息を詰まらせて「良かったな」と僕の背中を数回叩いた。そして,はっとした様にカリンのことを尋ねてきたのを僕がはぐらかす仕草に「ははん」といやらしく鼻を鳴らしてフラットの窓を覗き込んだ。

「ソーヤン,上がって来いよ」

マシューはそう言ってフェンスの向こう側へ僕を招いた。ベンに背中を押される様にしてゆっくりと階段を上がってピンク色の頬を艶々させてニヤニヤと見守るハミルトン爺やと真っ黒な口ひげを生やしたゲームのキャラクターのマリオみたいな小柄な相棒さんの前を横切って彼らの視線の先の方へモタモタと進んだ。マシューがクリーム色のローバーミニのエンジンをかけた。

「コイツぁ・・・」
「ナイトさんが貸してくれたんだ。保険にも入ってくれてね」

何のストレスもなく小気味の良い低い排気音を立てる小さな車体に近付くと,ベンが僕を運転席にぎゅっと押し込む様にして座らせた。僕はハンドルに両手を掛けながら瞳を閉じて深く空気を吸い込んだ。

「マシュー,ベン,ありがとう」
「礼はちゃんと動くか確認してからだな」

ベンが助手席を倒して後部座席に横向きに収まると,長身のマシューが窮屈そうに乗り込んだ。軽い金属音を立てて両方のドアを閉めるのを合図に,僕は遠慮なくギアを入れて車を通りに向けて勢いよく走らせた。海岸沿いのキングスロードを右折してパレスピアの方へ,その小さなクルマは軽やかに加速していった。ポンポンと若干は跳ね上がる癖があったしガソリンタンクからチャポンチャポンという燃料が暴れる音が聞こえたが,クラッチとアクセルの動きには無駄がなくスムーズにコントロールできたから,ベンとマシューが何かを話しかけてきたのを無視するかの様に僕は運転に夢中になって黙々とドライブを楽しんでいた。ブライトンターミナル駅を右手に眺めながらホーブの町中へ,緩やかな上り坂を3速のまま走り抜け,馴染のタミーバーガーやトッポリーノの前をパスしてシティホールの交差点を右折した先にあるナイト夫妻の家の前に車を横付けした。助手席のマシューが腕を掴んで制止するのを解いて庭でバーベキューの支度をしている老夫婦の姿を見つけて,僕は息を切らせながら駆け寄った。