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Are you Wimpy?

次々と心に浮かぶ景色と音。
そこからは絶対に逃げられないんだ。

★「ネット小説大賞」にもチャレンジ中★

44. 親愛なる父さんへ

2020年08月14日 | 日記
父さん,達者ですか。今頃はお祭りで賑わっているでしょうね。

実は怪我をして今は病院で治療を受けています。怪我とは言っても,病院で知り合った男の子は片方の足首を切断した上,両親とも死に別れたというから,それに比べたらこんなのは怪我の内に入らないかな。いずれにしても,これじゃ文字通り仲間の足を引っ張る様なものだから,歩けるようになったら来月帰国しようと思う。

何も断らずに軍を辞めたことは申し訳なく思っています。でも,僕は何も後悔していないし,こちらで過ごしてきた数か月はとても充実していたし,振り返る度に僕は幸運に恵まれているんだと本気で感じているんだ。

何しろ,Wimpyに会えたんだからね。これは奇跡に他ならない。

彼に出会うまでの僕は,ライフルと弾丸があれば,自分は無敵だと教わって生きていた。それは勿論軍隊でのことなんだけど,父さんの反対も押し切ってコネまで使わせてもらったのに,それが100%間違いなんだって気づかせてくれたのがWimpyという日本人なんだ。

僕が大勢の人達に囲まれてどうしていいか分からなずに焦っているところを彼が救ってくれたんだ。彼は銃なんか使わないで,何の武器もなしで,今にも襲い掛かってきそうな民衆を制圧してしまった。もし,あの時彼が助けてくれなかったら,僕は絶対に闇雲に発砲していただろうし,それが恨みを買って僕自身もきっと命を奪われていたに違いない。

だから彼は僕の命の恩人でもあるんだ。

彼が携帯している銃には弾が入ってないんだ。弾丸は1発だけ,別に持ち歩いていて,それは自殺用に持っているんだと彼は言っていた。それなのに,彼は市街地で攻撃があった時も,僕が止めるのも聞かないで,見も知らぬ老人を助けに行ってしまった。あの時,僕は足が竦んで車から降りることさえできなかった。その時,彼は仲間を失ったというのに,それでも銃は絶対に人には向けないと言っていた。信じられますか。

彼を送り届けるのが僕の任務だったから,帰国してから時間が経つに連れて,彼ともっと話をしておけばよかったという後悔が大きくなって,もう居ても立ってもいられなくなって,気が付いたら僕は除隊して彼に会いに行っていた。

でも,僕が戻った時には彼はもうそこにはいなくて,僕ができることと言ったら,仕事仲間や現地の人から彼のことを探ることくらいだった。

現地の護衛部隊のリアノ隊長が言うには,彼はウィンプだけど,別に何も怖がってはいないらしい。矛盾していてよく理解できないけど,他にも予感が当たるとか,彼についてはとにかく不思議な噂ばかりだった。

それに驚く程多くの人達が彼に感謝しているんだ。彼の仲間は勿論,難民キャンプや病院でも,彼の事を悪く言う者がいないどころか,小さな子供から老人までの誰もが彼の話をする時,物凄く幸せそうな表情をする。

試しに僕も装備として受け取ったライフルには弾を入れなかった。彼が一体どんな気持ちだったのか知るために,彼がやっていた様に自分もやろうと努力したけど,怖くて仕方なかったよ。いつでも足が竦んでしまった。そんな僕をいつもフォローしてくれたリアノ隊長はウィンプは「撃てない」んじゃなくて「撃たない」んだと言っていた。

軍にいたときに身につけた応急処置技術を買ってくれて,リアノ隊長は兵士としては役立たずの僕をそのまま置いてくれていた。

11月にWimpyが戻ってきた時は,僕は伝説の人に会えた喜びで興奮していたけど,残念ながら彼は僕のことを覚えていないみたいだった。それは初めて会った時に自己紹介もせず,ただ事務的に接していたから仕方ない。それに彼に助けられた事を僕が覚えていたとしても,彼にとってそれは毎日の出来事の内のほんの一瞬の出来事に過ぎないんだろう。

彼がアメリカ人兵士を助けようとして負傷した時に僕が手当てしたから,ようやく恩返しができた気がしたけど,それでは足りないくらい僕は彼に感謝していた。銃撃を受けている最中も,救わなければならない人がいれば彼は迷わず危険を顧みないで走り出す。僕はその度にいつも一歩遅れて彼の手伝いをするくらいしか出来なかった。

それでね,僕が今病院で一緒に過ごしている少年も,彼が救った命なんだよ。

最後に一緒に過ごした夜,寝ぼけた彼が上空のミサイルを流れ星だと思って平和を祈った時,冗談だと思っていたら本気で祈っているのを知ってリアノ隊長が感動して泣いたくらい,何か不思議なものをWimpyは皆に感じさせるんだ。

彼のお陰で・・・というか,自分が臆病なせいかもしれないけど,僕は誰も殺さずにこれたよ。だから,こんな怪我を負ってしまったのだろうけど,いずれにしても,僕は彼に感謝してるんだ。リアノ隊長が彼の住所を教えてくれたから,帰国したら先ずブライトンに行って彼に会いたいと思う。そして,じっくりと話をしたいんだ。それに,彼が探しているという日本人の情報も手に入ったし,取り急ぎ彼に伝えないと。

父さんが言う様に,武器を持たずとも世界は変えられるのかもしれない。父さんが軍を辞めて弁護士として戦ってる様に,僕も自分の戦い方を見つけられる気が,今はしています。

きっと天国の母さんも,僕のことを見守ってくれていたのかな。よく説明できないけど,彼の事を考えてる時,僕は母さんを思い出すんだ。

じゃあ,父さん,クリスマスは久しぶりにマッセルバラの家で一緒に祝おう。もし良かったら,その内,少し遠いけれど彼が住んでいるブライトンに一緒に旅行しないか。そして是非とも父さんにもWimpyに会って欲しい。

良い祝日を。

心を込めて。 ジェイソンより。
1991年11月30日

43. 13日の金曜日

2020年08月11日 | 日記
男の前にマシューが立ちはだかるのとほぼ同時に相手の連れが後ろから大男を抑え込むと,ベンとカリンが両側から僕のことを支えてくれた。ブランズウィックにはガードマンがいなかったから,バーテンダーが2人共カウンターの外に出て仲裁に入るべく声を荒げていた。

「まぁ,両方とも落ち着いてください!皆さんも」
突如として大男と僕の間に,ネクタイ姿の男性が割って入った。白髪を綺麗に整えてスーツを完璧に着こなした,60代・・・そう,すぐ傍らで抱き合ったまま事態を見守っているナイト夫妻とほぼ同年代の男性が,怒れる大男を宥める様に丁寧な発音で語りかけた。
「あなたがお怒りになるのもごもっとも。名誉棄損というわけですね」
「そうだっ! そいつが始めたんだ」
「失礼,私は弁護士です」
男性は大男に名刺を渡して続けた。
「この方を訴えると?」
「勿論だっ」
「では,そもそもの原因も証言しなければなりませんが・・・」
「オレは何もしてない」
「いえ,私もあなたが話しているのを小耳に挟んだのですが・・・」
くるりと僕の方を振り返った男性がウィンクすると,静まり返る客たちが注目する中,まるで法廷で演説するような口ぶりで分かり易く説明した。
「あなたがイギリスではない他の国に出かけ,一般市民を殺傷したことを知った彼が,あなたの事を殺人犯呼ばわりしたことが発端ですね」
「・・・いや,オレはただ・・・」
「いえ,私にはその様に聞こえておりましたし,あなたの友人も,多分他にも聞いていた方の証言がとれますよ」
その大男と連れの2人が間誤付いていると,客の中から「私も聞いたわ」「オレも聞いたぞ,人殺し」「お前は人殺しだ」と次々と客が騒ぎ始めた。大男たちが焦っている様子に男性が両手を高く翳して「まぁまぁ」と助け船を出した。
「皆さん,誹謗中傷はいけません。法廷で正々堂々闘うべきです」
男性はゆっくりと僕に近付くとにっこりと微笑みかけて尋ねてきた。
「あなたもあの方を傷害罪で訴えることができますよ」
カリンが心配そうに僕の唇の血をバーテンダーが持ってきたキッチンペーパーで拭いているのを制止して,僕は首を振った。すると今度は大男の方へ戻って男性は続けた。
「こちらはあなたを訴えないそうです。あなたは?」
大男はもはや戦意を失った様子で小さく「No」とだけ言って,そのまま逃げる様にして仲間とパブを後にした。それを追い立てる様に店内から拍手と歓声が起こったから僕は立ち上がって照れ臭げにお辞儀した。

「いやはや,皆さん,お騒がせしました。どうぞお戻りください」
男性が声を掛けると,何人か心配そうに僕たちの方を気にかけていたが,少しずつ店内は平常を取り戻していった。

「ハーデットさん,ありがとうございます」
「これはモンテルさん,いやカリンで宜しかったかな?」

ハーデット氏は今月に入って2週連続でカリンの教会に拝礼に訪れてるとのことで,カリンとも何回か話したことがあるという。息子さんのことでニコラス牧師に何回か相談をしているとのことだった。

「とんだ13日の金曜日になりましたな」
「ハーデットさん…,初めまして。申し訳ありませんでした」
「なんのなんの。ワタシもアヤツらのいけ好かない武勇伝には辟易しておったのです」
「ハーデットさん,こちらは・・・」
カリンが僕たちの事を順番に彼に紹介した。1人ずつ握手を交わした後,ハーデットさんが切り出した。
「すみません,しかし念の為,ソーヤンと二人でお話させてください」

ハーデットさんに促され,僕はスヌーカーやダーツのある比較的空いている部屋のテーブルに向かった。僕は興奮がすっかり冷めて「うかつだった」と自己嫌悪の最中にあったが,ハーデット氏は僕をニコニコと見つめながらテーブルに両肘を着いて話し始めた。
「実はね。私の息子も出かけてるんですよ」
「息子さんが・・・?」
「はい・・・。ん?痛みますかな?」
「いえ・・・でも,少し・・・」
「それはお気の毒ですが・・・10分だけお話できますかな」

てっきり今回の事件に関してのアドバイスか説教だと覚悟していたが,ハーデット氏は僕の額や口の傷を気遣いながら自分の一人息子の話を始めた。その息子はジェイソンと言って25歳だということ。9月に陸軍を辞めて,その後アジャの国へ渡ったこと。そして最初は,ハーデット氏もさっきの大男の様に,自分の息子が義勇兵として殺戮の罪の中にあるのではと心配していたことなど,余り僕とは接点のない様な話を続けたが,危機から助けられた誼で1つ1つ頷きながら真剣に聞くことにした。

「ご存知ですか,「13日の金曜日」という映画。今日みたいな日は息子に恨まれたもんです」
「いじめられたんですか」
「いや,そんなことはなかったと思いますが,気に入らなかったでしょうな」
「映画が全てではないでしょう。もしそうだったらジョンはもっと大変です」
「なるほど,そうですな」

ハーデットさんは愉快とばかりにテーブルを数回叩きながら笑った。僕も映画は好きでよく見る方だったから,ハリウッド映画の主人公の名前にジョンが多いことを知っていた。

「私も空挺隊員だったのですが,息子には別の道を歩んでほしかったのです・・・」
ハーデットさんはパラシュートの刺繍が施された朱色のネクタイを僕に見せた。
「あいつは体が弱かったですし・・・。私もイスラエルでは大変な思いをしましたから・・・」
「イスラエルに?」
「ええ。ずっと昔です。大勢殺されましたし,大勢殺しました」
「それは・・・」
「いえ,あなたがおっしゃる“人殺し”とは違います」
「別にあの男と一緒にしようなんて」
「戦争がなくならないのが問題なのです」

あらぬ方向に話題が逸れてしまったが,ハーデットさんの口調に何の恨み節も嫌味も感じられなかった。しかし僕は次に続ける言葉が浮かばなかったから,すぐ脇のスヌーカーの様子に視線を向けて考え込んだ。すると,誰かがジュークボックスで“Alone Again Naturally”を流し始めて,リズミカルなイントロに誰もがリズムを取り始めていた。

「あなたがWimpyさんですか?」

ハーデット氏の突然の問いかけに,僕は完全に言葉を失った。そのニックネームを知る人はあの場所にしかいないし,僕はジェイソンなんてヤツは知らない。僕は何も答えずに冷静さを装って深く呼吸をしながら,ハーデットさんの優しい笑顔を見つめた。

「これを・・・」

彼は数日前に届いたというジェイソンからの手紙を僕に読んで欲しいと渡した。

42. 血の色と味

2020年08月10日 | 日記
“Dream, dream, dream, dream
Dream, dream, dream, dream・・・”

12月13日。僕たちは久しぶりに皆で集まってブランズウィックで寛いでいた。海側のエントランス手前に設置されたジュークボックスからは,僕がリクエストした“Everly Brothers”の名曲が流れている。ナイト夫妻も大いに喜んで,そそくさとパイントグラスを立ち飲み用のテーブルに置くと,カウンター前で2人で踊り始めた。店は例の如く混雑していたが,2人の上品なダンスに誰もが心を奪われて場を囲む様に広がったから,いつの間に舞台が出来上がった。

「ねぇ,私達も踊る?」
カリンが悪戯っぽい眼差しで僕に声を掛けた。
「じゃあ,今度,君と2人だけの時に」
そう言ってはぐらかしてから,僕はナイト夫妻のダンスを眺めて曲を聴いていた。カリンは嬉しそうに微笑んで,テーブルの上でグラスを休ませていた僕の右手の甲に指先でリズムを刻みながら,いつもの様に鼻歌交じりに歌を追いかけた。

その頃,僕の時間は順調に針を進めていた。この平和な時間が永遠に続くことを願いつつも,実はそれには実態もなく,だからこそ英語の“peace”は不可算名詞なのだと実感した。英語と言えば,2度目のミッションで僕が跳弾を受けて左腕に大けがをした時,その弾丸が砕いたコンクリートの破片でパックリと口を開けた額をホチキスみたいな道具で縫い留めながらビクターが話をしてくれたことがある。

「見えるか?」
「ああ,何とか」
僕の左瞼は,丁度眉の上で開いた傷のせいで開かなくなっていたけど,傷を縫ったお陰で辛うじて開けるようになった。それでも額からは思いのほか大量の血が流れ落ちて目にも入り込んでいたから見える景色は赤色に染まって恐ろし気に映った。
「まるで地獄にいるみたいだよ,ビクター」
「でも,本当に地獄に堕ちた訳じゃないよ」
「ジェイは天国に行ったのかな・・・」
ビクターは何も答えず例のごとくヒヒヒと笑ったが一瞬顔を曇らせた。そして僕の傷の上に絆創膏を貼り付けると,今度は僕の左袖をハサミで二の腕間で割いて具合を診てくれた。
「折れてないな。少し切れてるけど」
「ああ,感覚も少し戻ってきたみたいだ」
「じゃあ大丈夫だな」
彼はそう言うと肘の傷に絆創膏を貼って,折角切り裂いた袖を僕の傷を縫ったホチキスでバチバチと留めてくれた。僕はそのまま仰向けに寝て本当は青いはずの「赤い空」を眺めていた。

遮蔽物の向こう側から,1発銃声が轟いた。ガチャガチャという金属のスライドが廃莢と装弾を同時に行う音の後,「10インチ,右」という声と同時に銃声が聞こえた。それは明らかに人間の命を奪う為のやりとりで,その後も何回か繰り返され,やがてあの雨音の様な着弾音は止んだ。安堵のため息とガヤガヤとした話し声が周囲から漏れてきた。

赤い空に少しずつ青味が戻ってくると,僕は上を向いたまま,誰にと言うことではなく,むしろ自分自身に対してポツリと呟いた。
「僕は何で生きてるんだろう」
さっき頭から転んで耳鳴りが激しかったせいか声が大きかったのだろう。間髪を入れずにビクターが応えた。
「We must live to die」
「死ぬために?」
「辿り着く先はね。だから“We must live today to die”ってことだよ。コックニーさ」

英語の授業で前置詞のtoは自分が見ている先を示すもので,時刻や場所を表す語の他に次に行おうとしている動詞を置くことができるのだと習った。まだ距離がある場合に用いられるから行先や動作はいろいろと変更する余地もあるのだと。「生きる」という意味の“live”前の“must”には「絶対」という覚悟がある。差し詰め「どうせ誰しも死に向かってるんだから今日を覚悟して生きよ」ということなのだと僕は解釈した。

するとリアノが傍らに座って僕の様子を覗き込みながら付け加えた。
「ま,小説みたいなもんだよ」
「小説?」
「ああ。1ページずつ読んでくから面白えんだ。いきなり最後は読まねぇだろ」
いつになく優しい口調のリアノが僕を見下ろしていた。最初のミッションの帰り道で敵の攻撃を予見したなんてことをリアノは本気で信じていたらしく,奇妙な物を見る様な眼差しを僕に向けることがあった。


“When I want you in my arms
When I want you and all your charms
Whenever I want you
All I have to do is dream
Dream, dream, dream

When I feel blue in the night
And I need you to hold me tight
Whenever I want you
All I have to do is dream・・・”

ナイト夫妻は,嬉しそうに周囲を囲む客たちの真ん中で優雅に踊り続けていた。僕もふと我に返って,目の前のカリンの幸せそうな様子を眺めながら,「この時間こそ,かけがえのない瞬間なんだな」と感じていた。カリンがリズムを取りながらナイト夫妻の方へ気を取られた時,それとは反対側から笑い声交じりの大きな声で話す声が僕の耳に届いた。

「物凄いぜ。1発で血の海さ」

僕は夫妻に見とれている数人の客の向こうのテーブルで,すっかり出来上がった若者3人組の話に耳を傾けた。

「オレはそのメルセデスの運転席に狙いを定めた」
「それで?」
ダッフルコートを着た短髪の体格のいい若者が自分の武勇伝を仲間に聞かせていたのだが,しばらく聞いていて,それが明らかにアジャの国での出来事なのだと僕は確信した。
「まぁ,慌てるな。そいつらは荷物を屋根にロープで括り付けて逃げようとしてたんだ」
「それを撃ったのか」
「ああ,逃がすもんか」

“・・・I can make you mine 
Taste your lips of wine
Anytime night or day
Only trouble is 
Gee whiz
I'm dreamin' my life away・・・”

「ガラスがバシャっと真っ赤に・・・」
「おい,そんな話やめろ,人殺し!」
僕は無意識にそいつを怒鳴りつけていた。
「なんだ,お前」
「そんな話は聞きたくないんだって言ってんだ!」
「お前に話しちゃいねぇだろ」
「黙れ,人殺し!」

僕は自分のテーブルから離れて,騒然と引き下がる客の間を縫って迫りくるその男と対峙した。20㎝くらい高い所から見下ろす男は僕の胸倉をギュっと掴んで,酒臭い息を吐きながら僕の顔面に向けて「この野郎」と威圧した。僕は自分を制御できないくらいの怒りが混み上がってきて,思い出すと自分でも恐ろしいくらいの汚い言い方で彼を罵倒した。

「人殺しがしたくて行ったんだろう,お前はキチガイだ!」

次の瞬間,彼の拳が僕の左顔面を捉えていた。僕はテーブルの上のグラス諸共薙ぎ飛ばされ床に倒れ込んだ。騒然とした店内から女性の悲鳴が重なって聞こえた。口の中が切れてしまったが,僕は血を吐き出しながら更に彼を罵倒し続けた。


“I need you so, that I could die
I love you so and that is why
Whenever I want you
All I have to do is dream
Dream, dream, dream, dream・・・”

その男が息を荒くして僕が倒れている所へ歩み寄ってくるのが見えた。店内が静まり返ってジュークボックスの音が耳鳴りの向こうから木霊の様に聞こえてくる。僕は自分の血液が口内で甘く広がっていくのを感じていた。

41.いさかい

2020年08月09日 | 日記
「そんなこと頼めないわ!」
「僕が直接頼んでみる」
「だめ!反対よ!」
「頼んでみなきゃわかんないじゃないか」
「嫌だわ!!」

そこまで怒りを露わにして怒鳴ったカリンを後にも先にも僕は見たことがない。一緒に暮らし始める前から僕たちは穏やかに過ごしてきたし,新しいフラットでも仲良くやってきた。しかし,この日ばかりはカリンが真っ赤になった顔を激しく強ばらせて大粒の涙を零しながら全身を震わせていた。発端は教会のボランティアに再度参加したいという僕の呟きだった。

その頃になると,アジャの国の荒廃ぶりに同情した多くの若者達が義勇兵として戦地に赴くのが全英の社会問題になっていた。大抵の場合1ヶ月もしない内に骸となって帰って来て,ブライトンでも数件の葬儀を見かけた。それ程までにその国が歴史的な混沌の中を必死で藻掻いている様子は,もはや新聞でもテレビでもヘッドラインとなるくらいに英国のみならず世界中の話題の中心となっていたのだ。そこには常に「虐殺」とか「殺戮」とか言う文字が犇めいていて,もはや何の為の戦いなのかすら理由がはっきりとしないまま戦闘だけが激化しているのだった。とはいえ,もしかするとそれはマスコミが事態をセンセーショナルに伝えてスクープを狙おうとした副産物であって,客観的な見方を忘れなければ事実として伝わってくることはほんの僅かなのかもしれない。

意地でも僕を外出させないつもりなのか,フラットの入り口とバスルームの間に陣取って腕を堅く組んだままカリンが仁王立ちに構えている。どうしたらいいのか分からなくなって,僕は彼女の華奢な身体を突然思いきり抱き締めた。すると,カリンは組んでいた腕を解いて僕の腰に回してから幼子の様に大きな声で泣き始めた。夏だからという理由で片付けられないくらい尋常でないほどの汗をびっしょりとかいて,有り丈の力を放出する様な勢いで泣き叫ぶ彼女の頭を撫でながら落ち着くのを待つことにした。

暫くは過呼吸でも起こすんじゃないかとハラハラしたが,10分くらいすると少しずついつもの大人しいカリンに戻っていった。どうしたことか,カリンは頭の先からつま先まで,まるで海に飛び込んできたみたいに汗と涙でグショグショになっていた。

僕が行こうが行くまいが,あるいは万一幸運にも円山さんに会えたとしても,それで何かが変わるという保証はない。ならば何もしないで神の思し召しを待つのも正しい選択のひとつだろう。しかし果たしてそれで僕自身が納得することができるだろうか。詰まるところアジャとイーゴの死にすら決着をつけていないのは自分の不甲斐なさのせいなのだし,だからこそ自分自身の時間を止め去っている現状をどうにかして打開しなければならないということも僕は悟っていた。僕は彼女を宥める様に出来うる表現を全て用いてゆっくりと伝えようとした。呼吸はまだ整わなかったが, カリンは黙って僕の説明を聞いていた。  
「僕はまだアジャに別れを告げてないんだ」
僕は常にポケットに入れて持ち歩いていた紫色のお守りを取り出して静かに彼女の顔の前に差し出した。染みになった黒い血の跡が,それに込められたアジャの苦しみであり,それは同時に不条理に殺戮されていく人々の叫び声なのだ。円山さんが如何にして戦いの渦の中に身を投じてしまったのか計り知れないし,僕が自らの命や人生を思いのまま生きるが如く,それは彼固有の問題だということは重々承知しているのだが,だからと言って何もせずに看過するわけにはいかない。

カリンは僕が差し出したお守りを両手で愛おしそうに包み込んで胸に抱くと,暫く静かに目を閉じて祈るような仕草を見せた。そして汗を額から滝の様に流しながら少しの間そのままじっとしていたが,何かを思い立った様に腫らした目をしっかりと開いて「私に任せて」と一言告げると,そのお守りをいつものナップサックに入れてスタスタとフラットを後にしてしまった。

僕はカリンが出て行った後,もう1度新聞の円山さんの写真を見つめながら,自分の考えを整理しようと努めた。だから僕がナイトさんの家に到着したのは,いつもより2時間も過ぎてからだった。

マシューは遅刻の理由も聞かずに軽く僕に声をかけながら作業を続けていた。僕も何事もなかった様に取り繕うこともせずミニのボディシェルの中に潜り込んで,いつもの様に黙々とマシューを手伝った。夕方カリンが到着するまで,普段通り緩やかに時間を過ごしていたが,カリンと僕の物憂げな表情に皆多少の違和感を覚えたらしく, やがて邦子やベンと直美が到着して食事の席に着いた時も,どことなく重苦しい雰囲気が漂っていた。

「カリン,お祈りをお願いできるかい」
ナイトさんが優しく語りかけると,彼女は静かに頷いて小さな声で祈り始めた。
「生けとし生けるもの全てに永遠の安寧が訪れます様に」

異変を察したベンが気を遣っていろいろと話題を振ったが,その日ばかりは思うように食卓は盛り上がることを拒絶した様だった。ナイト夫人が腕に縒りを掛けたミートローフの味も良く分からないまま時間だけが静かに流れて行った。ブランズウィックへの誘いも固持して,僕たちはナイト夫妻に丁寧にお礼を述べてから,帰りのバスを拾いにホーヴ駅の方へと向かった。バスは相変わらず10分ほど遅れて到着した。僕はカリンの後に続いて2階の最前列に座って,バスがキングズウェイを東に向けて走り始めると,車窓から臨めるいつもの町並みとキラキラと光る海面をじっと見つめていた。僕は何から話せばいいのか分からず,カリンから目を逸らす様に景色を眺めていたが, 突然いつもより2つ手前のバス停で降りようとカリンが僕の手を引いた。

僕達は海岸通りの歩道を,遠くに見えるパレスピアを目印にゆっくりと歩いた。カリンは僕の手を握ったまま,海の方を眺めて黙っていたが,その横顔は今朝別れた時とは違って柔らかく,それだけでも僕の心配を取り除くに十分な力をもっていた。

「はい,これ」
カリンはもう片方の手で僕にアジャのお守りを渡した。

ハロウィンの週末に新しいミッションがあって,ニコラス牧師はそのW.W.として僕を派遣することを考えてくれると約束してくれた。打ち合わせはサマータイムが終わる10月27日の夕方に決められていた。

「カリン,君は強いよ」
「そうかしら」

カリンにいつもの優しい表情が戻った。彼女は繋いでいた手を僕の右腕に回してギュウっとしがみ付いて僕が大好きな“All I Have to Do Is Dream”を歌ってくれた。

40.戦士の肖像

2020年08月07日 | 日記
9月2日。かくして僕はカリンと地元のカレッジに通うことになった。教頭のムーディ氏は日本のユニバーシティを卒業している僕の入学については手続きが不可能だとは言いながらも,所謂「聴講生」としての通学は許可してくれた。

通ってみれば楽しいもので,コミュニティカレッジの性格上ヨーロッパからの留学生も僅かながらいたし大半が地元のイギリス人で年齢層も広かったから,以前通っていた語学学校に比べれば何倍も有意義な時間を過ごすことができた。自転車での通学は急な坂が多い街中では少々骨を追ったものの下り坂を風を切りながら走る時はこの上なく爽快だった。

カリンとは選択している授業時間が区々だったから一緒のクラスで学ぶことがない上に登下校の時間も別々だったけれど,朝食と夕食は2人で仲良く食べた。特に夕食では週に数回は例のケバブで済ませる事が多かったから,水曜日の夕方6時前に僕がセントジェームズストリートの上り坂を自転車を引きながら歩いて行くと,屋台から身を乗り出して僕の姿を確認したアハメッドという店員が予め2人前料理して待っているのが当たり前にもなってしまっていた。そんなとき僕が冗談で「今日は要らないよ」というと,愛想の良い笑顔を振りまきながら「特別サービスで大盛りにしてあるし,チリソースもいっぱいかけてあって美味しいよ」と語りかけてくるのがルーティーンだった。

カリンと僕の中途半端な関係はある意味「良好」に続いていた。最初は一緒に床に就くのも,シャワーを浴びた後Tシャツと下着1枚で過ごすカリンの露わな姿にドギマギしたものだが,2週目に入る頃にはすっかり慣れてしまい目のやり所に困ることも少なくなっていった。確かに女性としては意識してはいたが,その頃はまだ僕の中でのアジャの存在が大きすぎて,失礼な言い方だがカリンのことを愛おしく思うまで至らなかった。

マシューとの作業も順調にいっていた。彼は元々のんびりとしている性格だったから,素人の僕がモタモタしていても全然気にしなかったし,時々説明書とにらめっこして彼が考え込んでいる間もそっとしておくのが常だったからきっと気楽だったのかもしれない。それでもナイト夫妻が「調子はどうだ」とか「いつ完成するんだ」とか根掘り葉掘り聞いてくる時には唇をへの字に結んで答えるのに苦慮している様だった。ナイト夫妻とマシューは組み立て作業より紅茶を飲みながらたわいない話題でお喋りする方を優先したから作業は遅々として進まなかった。僕は主に配線の整理を担当していたが,無数のカラフルな配線コードを束ねたりボディの内側に取り付けたりしている時に,あの“カーボム”のことが脳裏から離れなかった。リアノは自動車には爆弾となる素質が備えられていると言っていた。ちょっとだけ配線を弄ってやることで自動車は小規模なロケットの働きをするのだという。僕があの日のことを思い出しながら1本1本確認しながら作業しているのを見て,一度だけマシューが「丁寧だな」と言ったが,それは決して嫌みではなかったはずだ。

アジャの国の政情はイギリスでもトップニュースとして扱われることが多くなっていた。僕が活動していた場所にも8月中旬に“連邦軍”から大規模な攻撃が加えられたし,9月22日の日曜日には首都も総攻撃を受け,視察の為に上空を飛んでいた国連のヘリコプターも撃墜されて16人の職員が亡くなったという。イレイナの消息が分からなかったこともあったし,未だにアジャとイーゴの死を受け入れることのできなかった僕にとって,そんなニュースを目にする度,頭を金属の棒で力一杯殴られるような激しい衝撃を受けた。

10月5日。朝早くからナイトさんの家へ行く準備をしていると,カリンが学校からもらってきたガーディアンの束が何となく気になって天辺に無造作に置かれていた古い新聞を開いた。「ヨーロッパ研究」という科目の資料に使うスクラップブック用に,カリンは廃棄する新聞を1週間分まとめてもらってきてはせっせと記事の整理に勤しんでいた。土曜日はナイトさんの家で夕食を頂くのが楽しみになっていたから,翌日のサンデーサービスの準備があるカリンは昼間は自分の研究と教会の支度で忙しなく過ごしていた。普段はお互いの生活を尊重してスクラップブックに目を通すことはなかったが,まだ作業の途中らしき新聞の赤いペンで枠が付けられた記事に僕は釘付けになった。

「戦地で戦う日本人」という題は勿論のことだが,強烈に目に飛び込んだのは新聞の1/6程を占める大きな写真の中でこちらを殺気立った表情で睨み付ける髪や髭を伸ばし切ったミリシエマンの姿だった。身体の右側に巨大な重機関銃を携え,そのチャンバーにつなげられたアモーを左手で支えている様子はまるで映画の「ランボー」そのままだった。記事にはアジャの国の内戦で勇敢に戦う“平和主義の国”日本から来た多くの青年達の武勇伝が取り上げられていた。僕はカリンの勉強机の椅子にドサっと座り込んで,バスの時間も忘れてその写真に見入っていた。朝食の後片付けをしていたカリンがその様子に気づいて僕の両肩に手をかけて話しかけてきた。

「驚くでしょ。戦っている日本人がいるなんて・・・」
「君がみつけたのか」
「アジャの国のことだもの。研究課題はこれしかないと思ったのよ」
「いや,そうじゃなくて・・・」

僕はスタンドを灯してもう1度記事の写真を見つめた。

「円山さん・・・」
「え?」

そんな恐ろしい形相をしたところを僕は見たことがなかったけれど,その写真は間違いなく円山さんのものだった。僕たちはしばらくの間言葉を失った。そして薄らいでいたはずの悲しい記憶が一気に僕の中で目覚めていった。帰りのトラックの荷台でのリアノの一言が僕の耳元に蘇って目の前が真っ暗になった。

「お前にも引き金を引く理由ができたのか」

円山さんがそんな結論に達したのだという事実を僕はその時信じることができなかった。