
温泉山一乗院寶物、雲仙は昭和9年日本で最初の国立公園の指定を受けました。明治から大正にかけて雲仙は、避暑地湯治として外国人の人気が高く、当時の旅館の女将さんは英語とかロシア語が話せる程、日本人よりも多くのイギリス人やロシア人が長期滞在して雲仙での避暑をゴルフやテニス、乗馬、登山を楽しんでいた様です。
その頃の写真をみると本当に多くの外国人が雲仙を訪れていたことが判ります。その外国人達が雲仙を国立公園にという嘆願書も残っています。日本には国立公園の制度もなかったのですから・・・。
国立公園決定記念祝賀が、昭和7年に雲仙で開催されています。(主催は雲仙国立公園協会)出品目録が残っており、その最初に「温泉山一乗院寶物目録」があります。宇多法皇御尊影 天満宮榊御影 天満宮直筆法華経 天満宮直筆四季御紋章 天満宮直筆法華経一箱 天満宮榊鏡一個などが出品者南串山村一乗院から出されていました。周知のようを宇多法皇は道真を右大臣までとりたてて下さった方になります。こういった資料が温泉山に残っていたということは・・。
しかし、残念ながら寶物の殆どは散逸や保存状況が悪く、原形を留めていません・・・。(上記写真は、南串山一乗院生まれの父が残していたものです。)
ONE MORE THING
雲仙情報館のカウンターにいると、外国人は軽装リック姿で「どこか、登れる山はありませんか?」そして普賢岳や絹笠山などに登ります。女性一人でも、温泉街から片道3時間以上歩いて普賢岳登山をします・・。が日本人の団体グループ観光客は、雲仙地獄(歩いて20分ほどの歩道)ですら、「車では、まわれないのですか?」と情けない・・・。
日本には学校が全て引率する修学旅行なるものが、小学校からずっとあります。
自分で行きたい所を探し、日程を計画し、交通機関を調べて・・をする必要がない時間に追われた記念写真撮りの時間つぶしが。
その頃の写真をみると本当に多くの外国人が雲仙を訪れていたことが判ります。その外国人達が雲仙を国立公園にという嘆願書も残っています。日本には国立公園の制度もなかったのですから・・・。
国立公園決定記念祝賀が、昭和7年に雲仙で開催されています。(主催は雲仙国立公園協会)出品目録が残っており、その最初に「温泉山一乗院寶物目録」があります。宇多法皇御尊影 天満宮榊御影 天満宮直筆法華経 天満宮直筆四季御紋章 天満宮直筆法華経一箱 天満宮榊鏡一個などが出品者南串山村一乗院から出されていました。周知のようを宇多法皇は道真を右大臣までとりたてて下さった方になります。こういった資料が温泉山に残っていたということは・・。
しかし、残念ながら寶物の殆どは散逸や保存状況が悪く、原形を留めていません・・・。(上記写真は、南串山一乗院生まれの父が残していたものです。)
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雲仙情報館のカウンターにいると、外国人は軽装リック姿で「どこか、登れる山はありませんか?」そして普賢岳や絹笠山などに登ります。女性一人でも、温泉街から片道3時間以上歩いて普賢岳登山をします・・。が日本人の団体グループ観光客は、雲仙地獄(歩いて20分ほどの歩道)ですら、「車では、まわれないのですか?」と情けない・・・。
日本には学校が全て引率する修学旅行なるものが、小学校からずっとあります。
自分で行きたい所を探し、日程を計画し、交通機関を調べて・・をする必要がない時間に追われた記念写真撮りの時間つぶしが。
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